少子化と働く女性
仕事の昇格のタイミングで妊娠していることがわかりました。
私が産休に入れば多くの人に迷惑がかかります。
家庭に従事する女性ならば、妊娠すると周りの人に幸福を与えれるのに、私のような仕事をして働いている場合は周りの人に迷惑をかけてしまう。
会社の人は喜んでくれるよ、という方も居ますが実際迷惑になると思います。
職場では女性のキャリアと育児を重視してくれるし、とてもいい社風ですが、実際最前線で働いて来ていると責任がのしかかってきます。働いていれば若くしての妊娠も迷惑になるし、中間ポストでも迷惑。女性の妊娠すべきタイミングがいつなのか分からなくなってきました。嬉しく感じれない妊娠はなんだか悲しいです。
こちらで気持ちの吐き出しをしてしまい申し訳ございません。私のように感じている女性も沢山いるのではないか、と思いました。子供を宿してこんな気持ちである自分を仏様はどこへ導いてくださるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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出産育児を支える社会、支える企業に変わらねば
「出産で迷惑をかける」という考えからの転換が必要となる時代になってきていると思います。そういう意味で今が「過渡期」なんだと思います。
直接の回答にはなりませんが、すごくざっくりした捉え方になりますが、近世から近代の士農工商での女性労働を考察すると
農業
近隣の田畑なら女性も大部分の農作業に従事していたと思いますし、重要な労働力だったと思います。
工業
昔の家内制手工業中心の工業の場合、女性の労働力は重要視されていたと思います。
商業
個人商店では、接客、販売、会計、在庫管理に関して女性も立派な労働力だったと思います。
保育園が無い時代でも、家族・親族・地域で育児を支えあうシステムが存在し、支えあってきたからこそ、子育てしながら農工商の仕事に従事できたのだと思います。武士階級は、公務員です。城下や代官所の屋敷に於いて年貢米の管理や藩の施設の建設管理等を行うサラリーマンでした。武士の場合、職場と家庭は分離され、武士階級の女性で仕事に就ける人は稀であり、大部分は専業主婦であったと思います。
近世になってから、工業、商業は大規模化していき、サラリーマン化していきました。女性でもサラリーマンとして仕事に就く方は少なからず居ました。しかし、職種・職能は限定され、保育園が皆無であった時代そして保育園が希少であった時代が続き、「女性は結婚すると退職。」「妊娠したら、退職」が不文律として存在してきたと思います。
ここ数十年少しずつ保育園が増え、結婚・出産後も働ける環境は改善されてきたし、一応「男女雇用機会均等法」なる法律も制定され雇用や労働の在り方を見直す契機にはなってます。総論に於いて、女性がそれぞれの能力を活かして結婚後も出産後も仕事を続けることに反対する方は居ないと思います。ところが各論となるといろいろと難しくなってしまうのが現状でしょう。
「子供を出産し、育てること」と「会社の責任ある業務を担うこと」の重要性を比較してはならないと思います。出産育児をしながらの就業のハードルはまだまだ高いかも。でも、「出産で迷惑をかける」と思う必要は無いと思います。現実には迷惑はかかるかもしれないけど、出産はそれ以上に大事なことですし、誇りをもって産みましょう。出産育児を支える社会にならなければなりませんし、出産育児を支える企業にならなければなりません。
命より大事なものはない
りかさん、はじめまして。質問を拝読しました。
りかさんは仕事の昇格が決まったタイミングで妊娠していることが分かりましたが、仕事で迷惑をかけてしまうことで出産に対するジレンマを感じているのですね。
私は、「命より大切なものはない」と考えています。
りかさんの仕事は他の人に変わってもらうことはできないのだと思いますが、りかさんに宿った命を生み出すことは誰も代わることができません。りかさんにしか、できないことなのです。
仏教において仏の心とは2つあります。「慈(じ)」と「悲(ひ)」です。
「慈」とは、慈(いつく)しみの心です。親が子を大事にする、子が親を大事にする心です。
「悲(ひ)」とは、誰かの悲しみを我が悲しみのように感じることです。
仏の慈は、どんな人にも平等に楽しみを与え、仏の悲は軽い思いを問わずあらゆる苦しみを除いてくれると説かれています。
生まれてくる子どもは慈悲の心を持って生まれてくる存在です。生まれてくる子どもの存在は仏の心そのものだと私は思っています。
りかさんが仏の心を持つこどもが元気に生まれることを祈念しております。
質問者からのお礼
皆さま、ご回答ありがとうございます。
いつからか、出産育児が良いイメージでなく悪いイメージになっていました。陰で話されている、周りにかける迷惑の大きさに怯えてしまいます。
思うのは、男に生まれたかったです。