やり遂げられない人の生きる意味
身体が弱く、人と同じ強度で仕事や色々なことをすることができない自分に対して、ひどく疲れてしまいました。
信頼されて任されたことや、やり遂げたいと思ったことも いつも頑張っている矢先に身体がダウンし、場合によっては半月程寝込んでしまいます。
その度に 私はせっかく人から頂いた信頼を失い、また0からスタートするような喪失感に見舞われ、今までもずっとそうだったので これからも延々こうなのだと思うと 現在は心が折れてしまいそうです。
お誘いを頂いて旅行や観劇、宴席の予定を立てても、体調不良でキャンセルにさせてしまったり 予定していた仕事に出られないことが 申し訳なくていたたまれなくて仕方ありません。
勿論 いつもダウンしないような努力は自分なりにしてきたつもりです。それでも、人に出来る頑張りが自分に出来ないことが辛くて仕方ありません。出来損ないで気合が足りず、頑張れないから役に立てない。こんな自分に価値がないような心地になります。
幸いにも人に恵まれており 友人や助けてくれる人、優しい人は周りに沢山います。両親も優しく、いつも私を気遣ってくれます。充分に幸福なのはわかって理解しています。
ただ いつも「寂しい」「誰かにそばにいてほしい
」という思いがあります。
そう思いながらも 両親は大人になった今では頼るべきものではなく 今までお世話になった分を返すべき存在であって これ以上迷惑を掛けられないとも思い、上手く現状も話せず、家族関係も上手く運べていません。友人も、私にとっては押し並べてそういう存在です。
大人として当たり前の体調管理が出来ない
それだけのことで、恐縮なのですが
どうしたら普通になれるのか分からず
悩んでいます。
自分の価値が、よく分からなくなってしまいました。何も生み出さない自分の、生き方と進む先が分かりません。
アドバイス頂けますと 大変有り難いです。
虚弱体質 虚栄心
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたにはあなたの生きる道がある。
まみろもさん、こんにちは。
体力が弱くて、いろいろ周りにご迷惑を掛けてしまって、辛いのですね。
人はみんな同じのようで同じではありません。大きい人もいれば、小さい人もいる。体の丈夫な人もいれば体の弱い人もいる。能力がある人もいれば能力がない人もいる。たくさんの違う人が集まって社会ができているのです。一見自分は必要ない、価値のない人間ではないかと思うかも知れませんが。価値の多様化が社会を構成し機能しているのですから、価値のない人間なんていません。
それでは、どうすれば価値ある生き方ができるかといえば、それは人それぞれの努力でしかないのです。たとえ病気で何もできない人でも、その方の笑顔を見ることで心が癒されるという人もいます。相手の能力を羨むよりも、自分のできることから始める。そして他人と比べるのではなく、昨日の自分と比べ、今日が向上できた一日を送れたかどうかを確認する。それでいいのです。一日、たとえ1cmしか進まなかったとしても、1年で3m65cm、10年で36m50cm進むのです。
千里の道も一歩から。
その気持ちが大切です。そこからあなたの価値が作られてくるのです。
まみろもさんの人生を作ってください。それはあなただけの宝物です。
いつでもいろいろ悩んだらメール・電話相談してくださいね。お互い、まずはできるとこから、頑張りましょう!合掌
『お詫び』
投稿した文章は仏典・論書・祖録等を引用して予め法理を明示しなかった為に、回答内容が仏教とは異なった通俗的な価値観に比重を置いたアドバイスになっておりました。
この回答が仏教を学ばれる方々の妨げとなる可能性がありましたので、まことに勝手ながら回答を全て削除させていただきました。
代わりにここでは、仏教の概要を少し紹介させて頂きたいと思います。
『仏道』
仏教の門戸とその修行法は多種多様でありますが、その道のりの先にあるのは解脱です。
大乗仏教では、菩提心がその人に現れる時から仏道は始まり、数多の転生を繰り返し、数多の大師や仏菩薩と出逢いながら、久遠の修行の時を経て、その人の全てが捧げ尽くされ、そこで菩提心が開示されます。
道の始まりから人は、菩提心に導かれ解脱へ辿り着きますが、そこで悟るものも菩提心です。
道の初め、自らの苦しみからの解放を求める切なる純粋欲求であった個人的な菩提心はやがて、すべての存在を救いたいという祈りに裏打ちされた不屈の意志と信心をその人に刻み付け、非個人的な菩提心が解放されます。
そのような菩提心と與に道を歩む人を菩薩と呼びますが、菩薩の意志や信心、原動力の源が解脱の時に悟ることになる菩提心です。
菩薩が歩む大道の上には、見道や解脱、その先に続く仏としての完全な成就の因となる多種多様な修行が立ち現れます。
日本仏教という道もこの大道を源としているので、全ての道はそこへ還りつくようになっています。
その人の道はその人にとっての真性の師である覚者との邂逅や、久遠の時を與にしながら道を歩んだ法友との再会によって開かれ導かれていく歩みであると伝わっております。
どうかまみろも様の出逢いとその歩みの上に障碍がありませんように。
願以此功徳
普及於一切
我等與衆生
皆共成仏道
合掌
質問者からのお礼
有難うございます。
「どうすれば価値ある生き方ができるか」という言葉に ハッとさせられました。
どうにもならない現状を悲嘆するのではなく、じゃあどうするのか、どう生きるのか。
自分の辛い気持ちだけで視野が曇っていましたが、改めて考えてみようと思います。
みんなと違う自分も、価値のある人なんだと思えるようになっていきたいと思います。昨日より今日。有難うございます。お言葉のお陰で 頑張ってみようと思えました。


