自分の性格と人間関係に悩んでいます。
私は本当に心を許した人でないと、ありのままの自分を出して仲良くできません。今、心を許している相手は、地元の友達2人と家族と彼氏だけです。
仲良くない人と会うと気を遣ってしまい疲れるので、極力それを避けたいと思っていますが、出掛けた先で会う可能性がゼロではありません。現に見掛けて、必死で隠れたこともあります。
そもそも気を遣うこと自体が結局は自分よがりで、相手にとってそれが最善だとは限らないと最近気付きました。
相手の気持ちは見えないものなので、変な気を遣われて嫌な人もいると思います。それに私自身が人間として未熟なので、気の遣い方も下手ですし、遣うだけ無駄というか、実際は遣えていないような気もします。
そう気付いたのは、以前私が悪気なくしていたことを、ある人が嫌がっていた事をあとから分かった時です。
結局、表面上で仲良くしていても、心では何を考えているか分からないということです。それが怖いです。
短所がない人間はいないでしょうし、私にもその人の嫌いな所があったりするので当たり前なのですが、あとから分かった事なので謝ることもできず距離が遠くなっています。
これから仲良くしようとは思わないので、謝る機会はないと思うのですが、少し罪悪感があります。
私は本当に嫌な性格で、心を許した人でないと…などと言いながら、誰にも嫌われたくない性格です。自分が嫌になります。
こういう性格なので、その罪悪感がなかなか消えません。嫌われていると思って思い詰めてしまいます。
いっそ知り合いに誰にも会わない場所に引っ越したいと考えるようにもなりました。スーパーで買い物する時も、気付かれないように毎回マスクして人目を気にして過ごすより、精神的に楽になるような気がします。
引っ越した先で出会う人とは、これまでの経験を踏まえて程よく付き合っていけばいいと思います。
これは現実逃避でしょうか?
他人は自分をそんなに気にしていないと理解していますが、自分が他人を一番気にしているのだと思います。
どう考えを改めるべきでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
全員を好きになるなんて無理。まずは好きな人を大切に。
美琴さん、こんにちは。
他人に心をゆるせず、会うのも苦痛なのですね。
当然です(笑)。他人に心を許してはいけませんよ。どんな人かわからないのですから。
子どもの頃は学校では、みんなと仲良くという指導をされますが、大人になってみんなと仲良くなんて無理なのはわかると思います。みんなそれぞれ違っているのです。180度心が違っている人と仲良くできるわけがありません。プラスとマイナスは反発するのです。だから、もう一つの学校の人権でならうこと「みんな違っていい」と実は矛盾しているのです(笑)。だから好きになる、心を開く必要はありません。まずはあなたが心を開ける、家族や二人の友達をいっぱい大切にしてあげてください。
でも大人になると、嫌いな人でも付き合わなければなりません。これが、大人と子どもの違いです。
大人としての付き合いです。美琴さん、嫌いであってもいいとわかったら楽になるでしょ?心は嫌いでいいから顔だけニコニコして触れ合う技術を持つことが大切。そのコミュニケーション能力を持ってくださいね。
そして、あなたの好きな家族や二人の友人には、美琴さん以外にも大切な人がいるはずです。あなたの大切な人の大切な人だから、美琴さんも大切にできると思います。そうしながら少しずつ人との触れ合いの力をつけていってください。そして最後には仏さまのように、自分を好きでも嫌いでも関係なく、人間として好きという見方を作っていきましょう。私もどんな人でもあなたは必ず仏のようなやさしい心、仏心を持っているので拝みます。という相手の優しい心を拝む精神をつくるために修行しています。これを、仏性礼拝行といいます。
是非、美琴さんもいろんな人の表面ではなく、いろんな人の持っているであろう仏心を拝む練習をしてください。この人は嫌いな人だけど、優しい心は持っているんだろうなー、でいいんです。そこから人の見る目はかわります。
お互い頑張りましょう!合掌
質問者からのお礼
染川智勇様
お返事ありがとうございます。
「他人に心を許してはいけませんよ。どんな人かわからないのですから。」の言葉を聞いて、今までもやもやしていた気持ちの整理ができました。
誰にでも心を許すのが当たり前で、心を許して人間関係を築いていくものだと思って生きてきたので、私は苦しかったのですね。
今、心を許せる大切な人、その大切な人の大切な人を、精一杯大切にしていきたいと思います。
他人には心を開かないと決めて、さらに心で嫌いと思っていると相手に見透かされそうで怖いですが、相手の優しい心を拝むことができれば、私の心の中では、その人との人間関係が罪悪感なく完結できそうです。
自分の感情と割り切って、人間として好きになる…、時間がかかるかもしれませんが、"仏心を拝む練習"頑張ってみます。
「お互い頑張りましょう」の言葉にも救われました。
本当にありがとうございました。