殺してしまった鳥への供養
初めて投稿します。
私が小学生の頃、自宅の庭に生まれたばかりなのか、毛も生えていない雛が落ちていました。
ぴくりとも動かなかったので、死んでしまって親鳥に捨てられたんだと思いました。
折角生まれてきたのに可哀想だと思った私は、庭にその雛を埋めてお墓を作りました。
その庭には、飼っていたカブト虫や金魚などが死んでしまったらいつも埋めていました。
墓標代わりの石は最初こそ置いていましたが、近所にはそうたくさん石がなく置く事が出来なかったので、その内埋めるだけで置く事はしなくなりました。
何ヶ月も経ち、庭で遊んで穴を掘っていた時に、その雛を掘り起こしてしまいました。
死んでいたと思っていた雛は生きていて、ドクドクと脈打つ心臓、腐乱しかけの肉、窪んだ目、それに湧く虫…全て覚えています。
「私は雛を生き埋めにしたんだ。」と気付いた時には心臓に冷水を掛けられたような、とんでもない事をしてしまったという罪悪感と焦りと絶望、何と説明したらいいか分からない感情が駆け巡りました。
助けようとも思いました。でもあれはもう助からない、直感でそう感じました。
自分の手で殺す事も出来ず、誰かに見られたらという恐怖もあり、私はその雛を再び埋めてしまいました。無かった事にしたのです。
そんなつもりじゃなかった、というのは言い訳です。命を1番惨い方法で苦痛を与え殺しました。
一番仲が良かった友達にも、誰にも言えずにそれから10数年が経ちました。ずっとその雛をあんな姿にしてしまった事を受け入れるのが怖くて、何もしてあげられませんでした。でも心の中にはずっとあの時の事が残り続けています。
実家とは折り合いが悪く帰れないので、そこで手を合わせる事も出来ません。
成仏して欲しい、幸せになって欲しい、そんな事を私が願っていい訳がない。懺悔したい訳でもない。でも私が殺してしまった小さな命に対して、今更ながら何かしたい気持ちもあります。
どうしてあげればいいのでしょう。
墓標も無く、名前も何もない雛に、違う場所から何を供えればいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
よく打ち明けてくれました
そんなことがあったのですか…恐ろしい体験をなさりましたね。でも、お坊さんに話してくれて本当に良かったです。
お坊さんが断言します。何ヶ月も埋められて生き続ける雛は絶対に絶対にいません。雛の心臓が動いていたように見えたのは、おそらく中で虫が動いていたのでしょう。それに巣から落ちた雛は長く生きられません。あなたが埋めた時には、雛は死んでいたのです。あなたが雛を埋めてあげたことは優しい行いだったのですよ。あなたは雛を殺してなんかいません。
ショッキングな光景ですが、生物はあのようにして土に還ります。雛は死んで、なるべきようになったのですよ。あれで良かったのです。そして今では、新しい生命へと繋がっていることでしょう。また、どこかで鳥を見かけたら、優しい眼差しを送ってあげましょう。眼施という供養です。
その優しい気持ちがすでに供養
大慈上人の仰る通り、生きているように見えたんだと思います。
子どもには衝撃的すぎる体験でしたね…
先日もある質問に答えさせていただきましたが、生き物が死んでしまった「理由」は「生まれたから」であり「この世とのご縁が尽きたから」です。
ゆきさんは何も悪いことしてません。
動物の世界は畜生道といい、人間から見たら悲惨な世界です。
命の保証はなく、食べ物も見つかるかどうか分からず、名もなく、捕食され、休まる暇がありません。
その雛も同様でしたが、ゆきさんの行いと優しい気持ちは、きっと温かく頂戴していると思いますよ♪
もっときちんと心の整理をしたいなら、お気軽にうちのお寺までご連絡下さいませ(^0^)
質問者からのお礼
御二方、ご返答ありがとうございました。
何度も何度も御二方のお返事を読み返して泣いてしまいました。
私がした事は殺人と同じだとずっと悩んでいて、いつもどこかで引っ掛かって重くなっていた心がスッと軽くなりました。
眼施という供養方法がある事、生物が死んでしまった理由、身近に相談できる寺院がある事など、知らなかった事を学べてとても良かったです。
もう生まれ変わっているのかどうか分かりませんが、あの雛が目を開けて世界を見たり大空を飛べなかった分、次の身体では幸せになっていて欲しいと願います。どうか届きますように。