生きる意味
最近、何もやりたくなくなって、体に力を入れるのが辛いときがよくあります。
でも何もしていないのも嫌だし、やらなきゃいけないことはあるのにやらなきゃと思うだけで何もできなくて、無駄に時間だけ過ぎるのが嫌で、だけど何もしない自分が大嫌いです。
生きていたら幸せなこともたくさんあるだろうし今も楽しいと思う時はあるし、死にたいなんて思いませんが、どうせいつか死ぬのなら一瞬楽しいと感じることも意味がないのではと思ってしまいます。それなら辛いことがないように早く死んでしまった方がよほど良いのではないでしょうか。そもそも生きる意味ってなんですか。
努力して夢を叶えたり有名になったりしても結構は何かしらで悩むのなら、どうなることを目標に頑張ればいいんですか。
なんでみんな、目標も理由もなしに普通に毎日を過ごしていられるんでしょうか。ただ毎日同じように生きていずれ死ぬだけ、それはすごく虚しいことに思えます。
物語の中みたいな絶対的な幸せが欲しいです。でもそんなものは現実には無いこともさすがに分かります。そういう幸せにはどう頑張っても辿り着けないと思うと気力が消えてしまいます。
こういう悩みは恵まれているからこその甘えだと自分でも思うけれど、そう思ったところでどうにかなる訳でもなく…。
自分でも何が辛いのか、何を解決したいのかあまりよく分かっていないためまとまりの無い文章で申し訳ありません。無気力にならないで頑張れるには色んな疑問をどう考えていったら良いのか、教えていただけると嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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フリーダーム!!自由を叫べ!自由を喜べ!
「どうせいつか死ぬのなら一瞬楽しいと感じることも意味がない」
う~ん、どうでしょう?私は反対かな?
「どうせ生かされているのなら虚しく終わるより楽しく生きよう」
です。
このまま「虚しい・辛い・苦しい・意味ない」と不満たらたらで過ごすのも、いつかは死ぬけれども今生かされているのだから「ああしたい・こうなりたい」と希望を持ち過ごすのもあこさんの自由です。
しかし、自由なのは与えられたいのちや境遇に対してどういう態度をとるか、どういう思考を持つかという点であり、生死が自由になるわけではありません。
これなら死んだほうがマシ、その気になれば死ねる、と考えているのだとしたらそこに間違いがあります。
死にたくても死ねない辛さ、生きたいのに死ななければならない辛さを抱えているのが人間です。
そういう生死をかかえたいのちの営みの中で、
「ただ毎日同じように生きていずれ死ぬだけ」
それはたしかに虚しいことかもしれません。
(中には常に変化していく自身や環境の中においても同じ日々を過ごせることに喜びや尊さを見出す方もいらっしゃいます。)
人は、最初から「目標や理由」が与えられてこの世に誕生したわけではありません。図らずもこの世に誕生させていただいたからこそ「目標や理由」を見出して生きていくのです。
私のいのちにはじめから与えられた「目標や理由」があるのなら、それと違う人生・それを見つけられない人生は失敗ですか?そんなものはくそくらえです。
いのちを与えられたからこそ「目標や理由」を「私が」見出していくものです。それは「ご縁の中で」という制限はありますが、基本的に「自由」なのです。
好きに生きてよいのです。
腐るも自由。活かすも自由。
「努力して夢を叶えたり有名になったりしても結構は何かしらで悩むのなら」、どんな悩みも引き受けて、悩みながらも生きていける私になればいい。
仏教は一つ一つの個人の悩みを解決するなんてスケールの小さな教えではありません。
誰のどんな悩みであろうとそれを本人が受容して生きていけるという、万人の「苦悩の元」を救う壮大な教えです。
それが「絶対的な幸せ」です。
私は悩みに対するあなたのその姿勢が好きですよ。たくさん疑問を抱えているのですよね?いつでもどんなお話しでもまたお聞かせください。具体的なお悩みでもかまいません。
生きる意味や目的とは
拝読させて頂きました。あなたのおっしゃる意味は理解できます。何のために生きなければならないのか?と考えるのは必然的に思う感情です。
それでも私たちは両親から生命を与えられてこの世に生を受けました。
そして様々なものごとや人々から与えられて生かされています。その生きている意味がわからなくても様々な原因がありご縁があって存在できているのです。
自分が生きることによって様々なものとのつながっていきます。例えば結婚し子供が生まれて次にもつながるでしょうし、自分が取り組む何かによって人が生きていく為に役に立つことがつながっていくこともあります。
生きていく中では様々に迷いも多いとは思います。どう生きて行けばいいのか皆目見当つかない時もあります。ただ私たちは自分の為にだけ生きているわけではありません。何かしら人とのつながりによってそれぞれ目的を与えられて生きているのです。
確かに苦しいこともあるでしょうし辛い思いをしなければならないこともたくさんあります。そんな中でも充実した毎日を実感し、人から喜ばれたり共に思いを分かち合うことができる時生きている意味をその時その時感じることができるのではないでしょうか。
私は僧侶ですから仏教についてお話しさせて頂きますと、
仏教の教えとは人が善によって正しく生き、決して悪を行わないことです。そしてものごとの道理や真理を理解していくことで円満な人格をもつ、つまり仏となって迷いの世界を脱していく教えです。
すべての人がそして世界が争うことのない安らかな平和をもたらすことができる教えです。
残念ながら世界は争いに満ちています。
その愚かな行いを自ら正していくことはやはり私たちがこの世に生を享けた真の意味や目的です。
仏教の教えに巡り合えることは得難き有難きことです。そしてその仏教の教えによって私たちは迷いを断ち切り正しく生き完全円満な仏となっていくことができるのです。
あなたにはこれから健やかにそして心穏やかに生きて頂きたいと願います。必ずや生きる目的を見出す機会が巡って参ります。
これからの人生に於いて様々な得難い有難い出会いが訪れてこれからあなたは成長なさっていかれるでしょう。
あなたが未来がこれから開け素晴らしい毎日となることを心からご祈念申し上げます。
質問者からのお礼
kousyo Kuuyo Azumaさん
お返事ありがとうございます。上手く言えないのですが、とても心に響き、考えさせられました。周りに与えられて生かされている分、私も他人を喜ばせたり社会をより良くできるような何かをしたいと思います。仏教の教えについても興味が出ました。自分でも少し調べてみます。本当にありがとうございました。
吉武文法さん
お返事ありがとうございます。「どうせ生かされているのなら虚しく終わるより楽しく生きよう」この考え方にとても納得できました。せっかく生きているのだから、目標や理由は自分で見つけて充実した人生を送れるようにしたいと思います。本当にありがとうございました。