他人の評価でしか自分の価値をはかれません。
初めて相談します。
私は何をしても、他人の評価をもらわないと嬉しい気持ちになれません。
例えば部屋を掃除してきれいになっても、
誰かが
「きれいになったね、頑張ったね。」
と、誉めてくれないと、嬉しい気持ちになりません。
難しい資格試験に挑戦して、合格できても、誰かが誉めてくれないと嬉しくならないのです。
また、多くの人が
「すごいね!頑張ったね!」
と、誉めてくれても、心無い一人の人が、
「そんな資格取ったってなんにもならないじゃん。」
なんて言おうものなら、
嬉しかった気持ちはペチャンコになってしまいます。
人の言うことなんか気にするなとよく言われますが、他人がなにかを言ってくれないと、自分を評価することができないのです。
どうしたら、自分だけで嬉しい気持ちになれますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誰だってそうですよ。
こんにちは、千田明寛と申します。
よろしくお願い致します。
マンマさんからの他人の評価で自分の価値を測ってしまうとの悩みですが
これって人間として極めて正常なことだと思うのは私だけでしょうか?
人間誰しも「人から認められたい」という認証欲求が多かれ少なかれあると思うんです。
今はSNS全盛期で色々な方がFacebookやInstagramなんかで自分の顔写真や楽しいパーティなどの
写真なんかを上げてますよね。私はあれも突き詰めれば究極的には皆んなから「キレイだね、凄いね」と褒めてもらいたい
自己認証欲求の表れだと思ってみています。口に出さないだけで心の中にはそのような気持ちがあるんですよ。きっと。
無論、私の中にもそのような欲求があります。
これが全くないと極端な話この社会から良い意味での競争とか向上心等が消え去ってしまいます。
これでは私たちの社会は成り立ちません。
だから、他人の評価がほしいという気持ちは全然おかしいことではありません。
ただ、私は自分の好きなことだけには何故か絶対の自信があり
他人の評価があまり気にならないのです。
例えば、昔から洋服が好きなのですがこれに関しては誰もがセンスが悪いと
思うような服でも私は自分が良いと思った物を着ています。
気分的には「これの良さがわからないなんてまだまだだね〜」と一人で勝手に思っています。
また、私はインドに留学していた経験があるのですがヒンディー語の勉強を今でも
続けています。よく人からは「そんなマイナーな言語を勉強して何になるの?」と聞かれます。
その答えは「好き」だからです。ただそれだけです。
自分が本当に「好き」になった物に関してはその一般的な価値や必要性なんかは度外視して
ひたすら夢中になれると思うんですよね。
マンマさんも自分が本当にこれだけは好きで好きで堪らないんだという物を
一度見つめてみては如何でしょうか。もしなければ焦らずゆっくり見つければ良いだけの話です。
そこから導き出された答えは誰からの評価も必要としないし、気にもならない
あなただけの素晴らしい結晶になるはずです。
損得、計らい、一切ゼロ
人に褒められると確かに嬉しくなりますよね^ - ^
でも、私たちの行動は褒められるために行うのではないですよね。食事をすること、赤ちゃんの頃は「よくたべまちたね〜」と褒められる。しかし、今は褒められなくてもできる。トイレに行って用を足した後、お尻を拭くこともできます。^^
食事の後の食器洗いも当たり前にできる?かどうかは得意不得意がある。部屋の掃除も同じ。つまり、苦手意識があると、当たり前になってないから、褒められるという、報酬を求めてしまうのでしょう。
これらの行為は当たり前になるかどうか、損得をさし挟まないでできるかどうか、ということにあります。そのうち結果として褒められることもあるでしょう。いつも食器が綺麗に洗われていて、綺麗に整頓されて居る姿を何度かみた人がいれば、「いつも綺麗だよね」と言ってくれるかもしれない。
部屋の掃除も同じで、いつも綺麗にしていたら、時にはお客さんが「マンマさんの部屋いつも整ってる〜気持ちいいね」となるかもしれません。
何よりそれが当たり前になれば特別な感じもなくなるでしょうし、嬉しさなんてなくてもできます。
損得、計らい一切ゼロ。考えを挟まず、ただやってみることが、いずれ当たり前になり、ときに褒められるということにもなるでしょう。
質問者からのお礼
千田明寛様
ありがとうございます。
みんなそうなんですか?
目から鱗が落ちました。私の友人にスペシャルな事がなにも無くても、なんだかいつも楽しそうな人が居ます。
あんな風になれたらなー!
と、憧れていましたが、そうですね。
本当はみんな褒められたいのかもしれませんね。
今年頑張ってソムリエの資格を取ったので、大好きなワインにしばらく熱中してみようと思います。
邦元様
当たり前にするようになればいつか褒められるですね。
ありがとうございます。
私は苦しいときに苦しい顔を見せたくなくて、へっちゃらそうに振る舞ってしまいます。
苦しいことを知られたくないから平気なふりをしているのに、周りが
「いつも楽しそうね。苦労なんてないでしょ!」
なんて言うと、
「誰もわかってくれない!」
と、気分が落ち込みます。
知られたくないのか、知ってほしいのか、自分でわからなくなります。
当たり前とは思えない苦労もたくさんありました。
頑張っている自分を誰かに知ってほしいのかもしれません