hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

威張るんです…

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

私には姉が2人おります。先日ご相談させていただいた方の姉は次女で今回は長女の姉の事でご相談させていただきます。姉は独身です。昔から元気な性格ではありましたがここ数年、母にすごく威張るんです…。たまに私達にも威張りますが 笑 母は数年前に病気を発症しており、自分の病気の事の心配で精一杯なのに、最近は姉が威張るたびに、認知症のような症状が酷くなってきているような気がします。姉はそのくせ、周囲にはわたしが一番母の世話をしているような事を話しています。世話なんかしていません…ただ、たまにきて威張るだけなんです…母は仕事のストレスなんだろうか、と言っていますがちょっと酷いんです。更年期だろうかとも思いましたが。姉は本当に怖くて逆らえません。間違っていることを指摘しようなら百倍になって返してきそうな勢いなので…どうしたら威張らなくなるのでしょうか…


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こけーっ、こっこっこ!コケ!コケ!🐓コケーッ!(怒)

こっこっこっこっこ!
こけー!
つん!つん!🐓🐔
今度お姉ちゃんが怒ったら、深呼吸して冷静にニワトリ後に変換してみてください。
人間どんな偉い人間が怒ろうが動物のケンカ、威嚇と変わらんのですよ。
つまり、コケー、こっこ、こっこっこっこ、コケー、ケッコー、ケッコウなのです。
あ、すみません。うっかりニワトリ語にしてしまいました。
つまり、人間はいくら怒ろうが、声を怒らせているだけで、言ってることはケッコウ単純なことなのです。
あなたは妹ですから、幼少期からの関係上、表面的な言葉にビビってしまうのでしょうが、今年はそのチキンハートを捨てましょう。
また、お姉ちゃんがトサカに来て、おでん男のようにお母さんにつんつん!つんつん!ツンツンすることがあったら、普通に、フツーに、道理としておかしいことがあったら、ちゃんとあなたもツンツン!してあげることです。つんつん!🍢
おでん男はどうしようもない人でしたが、あの言い方はさほど暴力的ではなく、むしろ人を傷つけない言い方です。つーん!つん!
人間、本当のことを言ってあげないと人って変わらないのです。
ただし言い方が大切です。
ケンカというものは、言いたいことを声を荒げて言っているだけで、その口論が終わったら、もう言葉のやり取りは終わった訳ですから、あとは気にせず3歩🐓歩いて忘れるぐらいでいいのです。
姉妹兄弟というものは家庭によっては一生仲が悪かったりして当然。それはそれでケッコウなことです。
とくに第一子というものは、親にとっては人生ではじめて生んだタマゴ🐣ヒヨコですから、大事にし過ぎて、それがかえって不自然にはたらいて、今になってブーメランしているだけであったりします。
親の方はさほどあなたほど心配していないと思いますから、あなたとしては、お姉ちゃんがトサカに来ない程度にチキンと「おかあさんがかわいそう。」「言い方が強すぎる。こちらとしてもそういう言い方でお母さんを責めるのは同じ兄弟姉妹として、何か哀しくなる。良くないと思う。」「ちょっとお姉ちゃん、最近何かあったの?」などと、冷静に愛情をもって言ってあげることです。
自分、人間、ワタシであろうとするから、物事が狭く見えてしまうものなのです。
ニワトリ目線で乗り越えてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

「弱み」を見せたくないので「威張る」のです。

姉上様は独身だそうで・・・、お仕事をバリバリやる方ではないかと想像します。社会的にもそれなりに認められておられるのではないでしょうか。そういう方に有り勝ちなのが、周囲(特に身内)に「威張ったり」「文句言ったり」するものです。
逆に言えば「将来独りぼっちになるのではないか・・・」と不安なのです。それを隠すため、周囲に威張り散らすのです。
ハッキリ言って姉上様の「威張り」は直ぐには治らないでしょう。お母様は薄々気付いておられるのではないでしょうか・・・。
とにかく、姉上様の「不安」を察する努力をなさることが、今のあなたにできる一番大事な事ではないでしょうか。
ちなみに仏教では❝独生独死独去独来(ドクショウドクシドッコドクライ)❞といって、所詮人間は「独りぼっち」だよ、とも説きます。姉上様共々よく味わってください。

{{count}}
有り難し
おきもち

質問者からのお礼

yosyiaki O 様
お忙しい中ありがとうございます。はい、母は直ぐには直らないというのはわかっております…姉は最近何だか、結婚に焦りを感じているように見えてくる時もあるので、yosyiaki様がおっしゃっている様に不安なのだと思いました。今迄結婚出来なかったのも、うち(実家)のせいだと言っていますが、ただ縁がなかっただけで人のせいにします。
威張るのは不安を隠すため、と聞いて、そうなんだ!と納得いたしました!威張るのは聞いていて気持ち良くはありませんが、察してあげられる努力をしていきたいと思います。
ありがとうございました

丹下覚元 様
お忙しい中ありがとうございます。
いつも何か言わなくては…と思いつつ、姉は本当に怖いので言えないんです…泣 ですが今度同じ事が起きた時は間違っているよ、と優しく伝えたい…と思いますが…言えるかどうか、です…。姉2人が元気なので、ストレスで一杯です 泣
ありがとうございました

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ