父の怒りに耐えるのが私に与えられた使命でしょうか
ももと申します。バブルの頃、私のとこは自営業で板金加工するところで男性と同じように結婚までの5年間残業もして働きました。
でも父は「お前は働いたうちにはいらん」と言ってます。
離婚してからも父が母の手伝いしろというので働いたけど
そのときバブルも下がって、給料でないしでそれで私も腕は痛いし手はしびれるし、眠れないしで心療内科に紹介されたら、「男性のように働きすぎ」やから休みなさいって言われて15年経ちます。それから痛みの病気もして乳がんの全摘、橋本病にもなり糖尿病と緑内障にもなりました。それでも父は暴言や嫌味、怒りをぶつける対象でしかなく褒められたことなどありません。
今は母が心療内科と歯科の他の医療費は出してくれています。
車は私は今パニックで乗れないので母が病院につれていってくれます。
ありがたいことです。感謝しています。
父のことは感謝できないんです。
それと糖尿の野菜代は母はくれません。祖母の若い頃手伝いをして年金と
恩給でお小遣いをもらえています。
祖母が亡くなった後が心配です。病気なおっていればいいのですが
それは私にもわかりません。
今は96歳の祖母の世話をしています。母の祖母でボケは少しありますが
穏やかで優しい祖母に赤ちゃんの頃から子守してもらい両親以上の愛情を
もらいました。感謝しています。
私は痛みの病気のとき、先祖供養で未成仏霊も浄化してもらい高野山で
得度させてもらいました。
そのとき霊感をさずかり、父の祖父の励ましの声が聞こえます。
土地神さまの声も聞こえてその通りにし、父の会社の土地が売れました。
他にも土地神さまが出て売れたところもありますが両親から「ありがとう」と
言われたことがなく、まだ残ってる土地がいつ売れるのかと聞く両親です。
長くなりましたが、父の怒りに耐えていくのが運命かなと思っておりますが
父の介護はする気持ちになりません。
こんなことですがお坊さんに相談したくて書きました。
よろしくお願いします。
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そんな使命はもったらあきません
人の怒りに耐えるのが自分の使命なんて、そんな山奥にある穴の空いた切り株のような人間になったらあきませんよ。高野山に来られたことがあるんですね。僕も高野山です。(^o^) 厳しいお父さん、優しいお母さん、そして病気がちな貴方様と、大変な状況で、明るく前向きに考えられなくなってしまっているんでしょう。だから、そんなふうな使命を感じてしまうのかもしれません。使命とはもっとこう、誰かの役に立つ(あなたの場合は厳しいお父さんのわがまま聞き役かな)ということであり、具体的な誰かでなくても、世のため、人のためと広い範囲で考えた方がいいと思います。
高野山を開かれた弘法大師空海様は「済世利人(民)」という言葉を大事にしていました。世の中を救って(為に活動して)人(又は民)を利するということです。社会福祉の基本的な考え方だと思います。実際、お大師様はダムを作ったり、池や井戸を掘ったり色々な事業もされておられました。
そんなでかいことをしましょうとは言いませんが、ちっちゃいことからコツコツと、何か、世のため人のためになることをされてはいかがですか。
また、高野山にもお参りくださいね。今は寒いので、もし来られるのであれば、暖かい格好をしてください。気持ちを外向きに、楽に考えてみてください。月並みな答えですみませんが、高野山の奥の院にお参りされると、きっとお大師様もお力をくださいますよ。
質問者からのお礼
卓阿様何度か高野山の奥の院へはお参りさしてもらいました。自分の得度した宝亀院にもおまいりし弘法大師さまにお力を頂きました。そうそうのお返事ありがとうございます。
今は病気をよくすることと、祖母の世話や介護が私の役目になっております。
父は高野山へ行くと優しいのですが、家に帰ると私しかはけ口がないのか怒ります。
物心ついたころからですから知らん顔しております。
お礼までありがとうございました。