hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

ポジティブに考えるにはどうしたらいいですか

回答数回答 2
有り難し有り難し 23

何か問題にぶつかった時に、
いつもネガティブに考えてしまいます。
周りもテンション下がるし、治したいです。
どうやったらポジティブに考えられますか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

柔軟な心を

ポジティブに考えるにはどうしたらいいか・・・

ペットボトルにジュ-スが半分残っています。
これを「あと半分しか無い」とみるか、「まだ半分ある」と見るかは、結局は自分次第。
「こうすればいい」という方法はないんですよね。
自分なりのやり方を見つけ出すしかないのです。

一つ言えるのは
「全方位、色々な方向から物事を見る」
ことができるような人になれば、ポジティブもネガティブもなく、自由自在・臨機応変になるよということ。

「一見四水」という言葉があります。
「同じ水でも、天人はキラキラ光る宝と見て、人間は水と見る、餓鬼は膿血と見る、魚は住まいと見る。」
という意味で、その対象を見る主体によって、その存在は変化するのだという教えです。
同じ事柄でも、立場によって見え方が変わるのです、ゆきさんも、自在に立場を変えてものが見られるように、柔軟な心を育んでいきましょう。

かたよらない
こだわらない
とらわれない

ですよ^^

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの苦しさや痛みを共に分かち合い、少しでも和らげることができれば幸いです。
自分自身も重度の知的障害児を育てながら家事と仕事で忙しくしています。 外に出ていることも多いので、なかなか時間がとれないかもしれませんが、なるべく時間が許す限りお話を聞きます。

イイコト12コ 悪いこと12コ 本当は1コ 

ダースというチョコレートがあります。
イイコト12個というキャッチフレーズがあります。
チョコは良いもの?悪いもの?
良いこと探しをすれば、チョコは甘い、オイシイ、ギャバでストレス軽減、
悪いこと探しをすれば、チョコは太る、虫歯になる、ニキビができるなどと、悪いモノにもなってしまいます。
つまり「(チョコに限らず)チョコ」という【そのもの自体】には本来良い悪いはないという事をまず知ってください。
私はかつてプラス思考講座を開いていました。
ぶっちゃけお勧めしません。
要点を申し上げますと、プラス思考やポジティブシンキング、陽転思考というものは、
まず「事実は一つ、思い方が無限にできる」ことを知ればいいのです。
ついうっかり悪いことと思ってしまう事の対極の明るい価値を考えて、良い方の評価を選択すればよいだけです。
例:自分は短気だ⇔でも結論をすぐに出せる 言葉が乱暴だ⇔勇ましい 暗い性格⇔慎重な性格
たとえば、今日は曇りという事実があります。
そこにはまだ評価はありません。
人間を一喜一憂させるのは評価の方であって事実の方ではありません。
事実思考「くもりだ」
マイナス思考「陰鬱だ」
プラス思考「過ごしやすい」
本当は誰でも最初は純粋にその事実を味わっています。
二次的に、想念を起こして生滅、生死、損得、美醜、善悪、ポジティブ⇔ネガティブという相対的なものの見方が生ずる。これは人間の観念によるものの見方、想念越しのモノの眺め方なのです。
仏法とはポジティブ・ネガティブ思考にわたらない、ありのままの事実をそのままに見ることです。
もっと言えば仏法とは物事を真実のさまとして眺める方法でもあります。
たった一つの事実という実物を観ずして、観念越しにものごとを眺めている世界を卒業して、勝ち負け、損得に一喜一憂しない最高のポジティブとすら言えましょう。
想念越しに見た優劣、良し悪しの評価世界は本当は嘘の世界とすら言えるのです。
見方によって角度や価値や意味が変わる。
それは想念、評価という心の行為する世界なのです。
故に心が良く評価するように、心がニコニコマークになるように努めてみましょう。
今日はある芸能人が離婚したけど再婚してお子さんを授かり、おめでた報道がありました。
どう転んでもよかったねで丸く収めるようにつとめましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。

すぐには無理かもしれないですが、
そのお言葉を常に心にかけて過ごそうと思います!

ありがとうございます。

ダースの例えがとても分かりやすかったです!
心がニコニコマークになれるよう、
物事の良い面に目を向けていきたいと思います。

煩悩スッキリコラムまとめ