トラウマと、気持ちの切り替え方法
簡単に人に相談できるような内容ではない悩み、トラウマがあります。
トラウマとなった出来事は昨年5月のことで、関連することは昨年2月~8月ですが、今でもふとした瞬間に思い出てしまい、後悔、自分や当事者に対する怒り、不快な気持ちでいっぱいになります。
この、行き場のない怒りや言葉にできないような感情のせいで眠れなくなることも多く、授業に集中できなかったりもします。
一部は、とても信頼していて話しやすい先生に相談してあり、大変お世話になりました。ただ、この件だけはまだ話していないし、話せそうにありません。
自分を刺してしまいたいくらいムシャクシャします。忘れてしまえばいいと思うのですが、なかなか忘れられないどころか、事から月日がたつにつれて、違う形でこういった気持ちが強くなっていきます。
不要なことで時間を無駄にしたくありません。このような気持ち、どうすればよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
消せない記憶の対処法
取り返しのつかないことや、どうしても思い出したくないことは誰にでもあるものです。
そういう思いに対しては、自分の意志で反発したり排除しようとせず「頭にとことん考えさせてあげる」とかえってすぐに消えてゆくものです。自分でそれを自主的に考えるのではありません。
脳は過去の未消化なことをきっちり情報処理、消化したいのに「ワタシ意識」を盛んにして抵抗したり、いやだなぁ(-_-;)と思って反発することで返って脳がそのことをピックアップし続けてしまうという事が起こります。
問題は、そのことが【思い起こされていることを❝厭い嫌う❞という行為】ヘイト意識ヘイト行為なのです。
ここは大事なのです。
ちょっと話が違うかもしれませんが、参考になると思うので聴いてください。
私が曹洞宗大本山総持寺で修行5年目くらいの時でした。
修行道場は5日に2回、買い物に行けるのです。近くのSEIYUの中にあった健寿の森という健康食品ショップによく行っていました。
「◌✖チャンカタ二ィィィルマニューム●◌●◌●◌●チシ◌マ」という謎の呪文が聞こえてきました。
それがなんて言っているか聞き取れないのですが、ずーっとお店で呪文が唱えられているのです。
「(-_-;)…何だあれは、なんて言っているのだろう。」
聞こえたことは確かなのですが、それが何だかよくわからないままにお店を後にしました。
12月は1日から8日までずっと坐禅をするのですが坐禅中にその謎の呪文が気になって気になって∞ループなのです。
脳というものは、自分にとって気になったことはそれを解消したい、解消しようとする働きがあるのでしょう。
坐禅どころではありません。
もう嫌で嫌で仕方なくなりました。
排除したいと思えば思う程それが無限にループしてくるのです。
あとで後輩に聞いたらこのCMソングだったことが判明して思い起こされてももうどうでもよくなりました。
https://www.youtube.com/watch?v=Ymapu8_fXqA
強烈なフレーズと映像でこれに勝る呪文はありません。
結論:トラウマやフラッシュバックは自分が起こしているのではないと気づいてください。
思い起こしたくないことが思い起こされる。
その時に、そこに「わたくし」という評論家を脳内スタジオに呼ばないことです。
困った時はお電話もお待ちしています。
カミングアウト
こんばんは。そうですか。それは大変そうですね。
…と他人行儀な始まりでごめんなさい。
どこか近くのお寺にお地蔵さんがいたり、家にお仏壇があったり、ご先祖の写真が飾ってあったら、そこに向かってカミングアウトしてみたら如何でしょうか。あるいは「お坊さん一覧」を見ると、メールアドレスや電話番号を公開していらっしゃる方もおられますよ。「仏教テレフォン相談」なんというのもあるし(平日昼間ですけど)。
それか、ムシャクシャしている自分を観察する。「あーまた同じ事でムシャクシャしてるよ。今回は何分続くかな…」と、「ムシャクシャしている自分」を若干茶化してしまう。このページの下の方に「似たような質問一覧」がありますから、それを読みあさる。
そのどちらかです、お勧めは。
…ただし、こんな「思わせぶり」な書き方をしている限り、解決は近づかないと感じます。他のお坊さん方はどう仰るか分かりませんが。
…だから、僕を気に入らなくてもいいけれど、hasunohaは嫌いにならないでね。
忘れる必要はないと思います。
華子さん、こんばんわ。
埼玉県で僧侶をしている千田明寛と申します。
よろしくお願い致します。
過去に起きたトラウマ体験に苦しめられているとのこと。
人に言えるような内容でもなく、自分の中での葛藤に悩んでいる。
実は私にも華子さんと同じようなトラウマ体験があります。
7歳の小学二年生の時です。ちなみに今まで誰にも話してません。
なぜ自分はあんな酷いことをしてしまったのか。
怒り、悲しみ、後悔、そのような感情に眠れぬ日々を過ごし随分と苦しめられました。
尚、20年以上経ちますがこの日のことを忘れたことは一日もありません。
寧ろ、時が経つにつれて自分の中で大きくなっているような気がします。同じですね。
よく心の傷は時間が解決してくれると言いますが私は場合によると思っています。
この辛い思い出を一刻も早く忘れたいとのことですが、
忘れたいと願えば願うほど、逆に頭の中にそれしか思い浮かばなくなるのではないですか。
私は心理学の専門ではありませんが、こういった体験は中々忘れられるものではないと思います。
故にトラウマなのではないでしょうか。寧ろ、忘れてはならないとさえ自分は考えています。
自分のしてしまったことに対して逃げずに正面から徹底的に向き合う。
なぜ自分はあの時あんなことをしてしまったのか、と私は毎日自問自答しています。
20年以上経った今でも答えは出ません。
償えるものなら償いたいですが残念ながら私は自分のしたことはそう易々と償えるものではないと
思うので一生をかけて背負っていくつもりでいます。
都合の良い考えと思われるかもしれませんが
この時の後悔を忘れずに次には絶対に同じような事態は避ける。自戒ですね。
そして同じようなことで苦しんでいる人が居たら話し相手として耳を傾けます。
私はこれを徹底しています。これが私にできるせめてもの償いです。
不要なことで時間を無駄にしたくないとのことですが、この時間は決して無駄ではありません。
むしろ自分と向き合うために必要な時間ではないでしょうか。
もちろん、悩みすぎるのは体にもよくありませんが。。
すいません、何か中途半端な返答になってしまいましたが内容がわからない以上は私に言えるのはここまでです。
あくまで私はこう思っているという「例」の一つとして受け取って貰えばと思います。
質問者からのお礼
御三方、ありがとうございました。
三様のアドバイスがあり、どれもしっかり胸に刻ませていただきました。
意識しすぎず、でも二度と無いよう忘れずにいこうと思います。