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夫の隠し子で

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二年前、夫が飲み屋の30代と浮気をし妊娠し、産んでしまいました。主人も私たちに幼い子供もいるけど、産むことを承諾し、どちらにも、中途半端なままいました。
主人は、二重生活をしたいと、最終的に言い出しましたが、それは、子供も含め全員が不幸になるから認めませんでした。
そして、話し合いで、私との子供に責任と償いで、父として母として生活することになりました。
私は自分の決断で、この子達から、父親にいない子供にどうしてもしたくないのです。
私さえ、何もないように、生活すれば、子供達の生活は守られます。もちろん、私もです。
何も悪くない子供たちが母子家庭になり、
淋しい思いをし、
一方、妻子ある男性とわかり、妊娠したいと言っていた自己中心的な女性と子供が不自由なく暮らすなんて、許せませんでした。
沢山泣き、七キロ痩せ、過呼吸になり、音楽もテレビも見れなく、植物も枯れはてただ、子供達の世話を必死にして辛かったです。始めて、人って、本当に落ち込むと、夜になることも、朝一日が始まることも、こんなにも苦痛だと知りました。半年後から
子供を守るため、必死にこの二年やってきました。どんな状況でも旅行や、夕食は共にしてます。私さえ強くいれば、子供を守れると思い続け。子供が主人と車で笑う姿をみて、これで良いのだと。後部座席で言い聞かせています。もちろん、私も息抜きはしてます。今年で3年、認知を私は認めなかったので、主人はしてないようです。そして、相手に慰謝料請求もしてません。時効が3年なので、今年ですが、裁判をする行為は苦痛です。でも、謝罪もありませんでした。なにより、その、女性は私に、貴方の子供は貴方が欲しくって作った子供だと。愛人は自分は愛がありできた子供だと電話で言われたことがあるのです。私はこんなにも、人に対して、憎しみをもったとこもなく、また、死ねっと心でいって気持ちが楽になることもありませんでした。主人に対してもです。主人の死を私は悲しむことができるだろうかぁ。主人の遺産で子供達が傷つくかと思うと。私は主人より長くいき、あの子達の心のフォローをしてあげたいと。主人の死を悲しめないであろう自分の心と、死ねと、心で叫ぶ自分、今までにはない、恐ろしい自分になりました。けじめとして裁判をすれば心穏やかになるのかなぁ。離婚したら、楽かなぁ。人を許せる心にはどうしたら良いのでしょう。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたはあなたを生きている ご主人はご主人を生きている

お子様はお子様を生きています。
その愛人も自分を生きています。エゴでしょうが。
その愛人のお子さんには何の罪もありません。
あなたは人と同居しながらもわたくしルールという縄で相手を縛ることを無くして、ソロ活動をすると良いでしょう。人生には最上の生き方があります。
それが、何物にも所属せず、完全分離の自分を生きることです。
たった一人の男性に女性が二人いる場合、そこでの最も有効的な愛は❝実際の愛情関係❞です。
厳しいことを申し上げますと、あなたが夫を愛していると言ってご主人に愛を注いだとしても、ご主人がそういう形の愛を望んでいなかったら、ご主人はあなたの元を去っていきます。
これは男女が入れ替わって同じことが起こりえます。
たった一人の女性を二人の男性が自分の方に気持ちを振り向けようとしても、最終的にそれを決めるのはその女性次第でしょう。
残念で悔しいでしょうが、その女性はご主人の心のすきに入り込んでしまった。
あなたとの愛情関係が堅固であればそんな事はなかったわけですから10:0(10対0)という事はありません。勿論悪いのはご主人です。
ここは冷静に男性のエゴに振り回されない生き方を選択するべきであろうと思います。
そして、あなたの男性に対する理想・夢・ストーリーを思い切って捨て去って、実際のご主人との関係性を再構築してゆくべきです。
そうでないと、あなたは悲しくもかつて愛したあなたの理想とするご主人の幻影を追っていく事になってしまうからです。あなたの理想としたご主人はあなたの理想なのです。残念ながら現実のご主人は、あなた以外の女性とも関係を持って子供もいるということが現実です。
それを受け止める、というより、そこから対処対応をしていくべきなのです。
水たまりで転んだら、転んだことを悔やみ続けたり、濡れたままでいるよりは対処をなさるべきです。
そこで、特別な解決策でありますが仏教の教示する人間の無我性に目覚めることをお勧めします。
意外なことに坐禅は離婚・夫婦間トラブルをも解決する力があります。文字数の関係で説明しきれませんが。要はワタシ意識があなたを苦しめているので、それを取り除けるのです。
より高い次元の愛に目覚め、あなたの苦しみを根源から救うことになります。
文字ではうまく伝わりませんから、分らなければお電話ください。
とげぬき位はできると思います。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
お言葉の通り、私は、理想や夫の幻影を、この様な状況でも追いかけてしまっています。
主人はもともと、女好きでずっと、女遊びをしていたそうです。主人の周りの方が今に始まったことではないと。薄々、分かってはいましたが、今回のことで、私は、全てが分かりました。また、自分のことも、どこまで、バカなんだろと、恥ずかしいです。主人は主人ですね。でも、家族だから、子供だけは、傷つけないで、せめて、浮気してほしかったです。父として、無断外泊、隠し子それだけは、やめてほしかったです。それも、私のエゴなのでしょうか。私は私。主人は、主人と頭を切り替えられるようにしたら、今よりは穏やかになる感じがします。執着しないように。ソロ活動、実践していこうと思います。
ありがとうございました。

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