人の優しさが
うざくて、うざくて、気が狂いそうになります。
そんなこと頼んでない、やめてよって思ったり、
それは迷惑なんだよってイライラしてしまいます。相手に悪いし、無理してありがとうというと
自分の心が死んだ気持ちになります。
もっと落ち着いて受け取りたいです。
なんで上手に受け取れないのだろう。
自分を責めて悪循環になってしまいます。
どうしたらいいのかわからないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
白でも黒でも何でもイイのだ。どんと来い
修行道場で指導者の老師のカバン持ちをやっていた時のことです。
お茶を飲みながら、しその味噌巻きをいただきました。その時、老師は「昔から近所のおばちゃんが沢山くれるんだよね。美味しいのは美味しいんだけどさぁ。さすがにこんなにはいらないんだけど、「美味しかったですよ!」って言うとおばちゃん喜んで、また山ほど作ってくれるんだよな。食べ切れねぇよ(笑)」と、文句言いながら幸せそうに食べていました。文句の部分もひっくるめて思い出の味であり、文句の部分もひっくるめての親愛の情なのでしょうね。
人情ってのはそういうモンだと思います。やめてよという気持ちと、有り難しな気持ち、いろんな気持ちがマーブル模様みたいに折り重なっているモンです。そうやって色んな気持ちがあるからこそ、心は活きているんじゃないでしょうか。
まずはそういうモンだと認めてみてはいかがでしょう。迷惑だという気持ちと受け取る気持ちは、矛盾しているけど両立できます。不思議でしょ?でもそういうモンなんです。人情って割り切れるもんじゃないんです。だからmmさまが、素直に受け取れないmmさま自身を許し、認めてあげましょう。
自分の嫌な部分を否定すれば引き算です。引き算をすればいずれ0になります。それは心が死んでいるのかもしれません。
でも、自分の嫌な部分でも受け入れれば足し算になります。足し算ができれば、いずれ素直に受け取る心も、感謝の心も、目の前の人のことも足し算できるようになるでしょう。
だから足し算をして善い循環にしましょう。そうすればきっと楽になります。
立派な人じゃないとダメだ!なんて気負わない気負わない。頓着せずに生きた方が賢いんです。テキトーに生きましょう、テキトーに。
コップの水のように
拝読させて頂きました。どうしたらいいのかわからない、あなたの今の心情を読ませて頂きました。
人の親切や優しさがウザくてどうしようもない、迷惑なのだ、それはあなたの今本心でしょうね。あなたの偽らざるお気持ちでしょう。
あなたはそれほどに人を受け入れられず心の余裕も失っていらっしゃるのでしょうか?
あなた自身が実は心も身体も疲れて追い込まれていらっしゃるのではないかと感じます。
そんな全く余裕のない時にはどんな有難いことであっても受け入れることはできないかもしれません。
あくまで私の私見であって感じるところですから流して頂いて構わないことかと思います。
やはり先ずはあなたの心や身体をいたわってあげてください。コップの水のように目一杯になってしまって溢れ出している状況になっているならばしっかりと溢れた水を取り除きゆとりを持たせてくださいね。
できるなら心を癒す為にもリラックスできるところで心を落ち着けてください。
人はどなたも有限です、限界があります。
あなたにも少しでも心にゆとりを持たせてこれからも人と交わり、豊かな人生を歩んで頂きたいと思います。
人生は長いようでもアッと言う間に過ぎていきます。
あなたのこれからの未来もこれからも身体もゆとりを持って充実した毎日を送って頂きます様にとお祈り申し上げます。
それでいいですよ。
こんにちは。小松拓実です。
やめてよって思ったりイライラしたりしていいんですよ。
無理してありがとうって言わなくていいんですよ。無理してありがとうっていってmmさんの心が死んだ気持ちになっていいんですよ。
人の優しさを上手に受け取れなくていいんです。
そもそも優しさを上手に受け取るとはどうゆうことなんですかね?
mmさんは上手に受け取ってると思いますよ。
どう思ってもいいんです。イライラしてもいいんです。どんな気持ちになってもいいんです。
ただそうなっている自分をありのままに感じて肯定してあげてください。
自分を責めてしまう自分がいるのであればそうゆう自分がいるんだなー。って認めてあげてください。
こんな自分は嫌いこの性格は嫌だって思わないでただ感じて、ただ認めてあげてください。
私は今のmmさんは素敵だと思いますよ。