感情を抑える癖を治したい
お世話になります。
幼少期の親との関係もあるのか素直な感情を抑え「良い子」であることを演じ続けている自分がいます。
もっと素直に変なプライドもなく頑固さを取りたいのですが、どのようにしたら良いのでしょうか?
毎日、一人で勝手に疲れているという状況です。
身近で本音を話せる人もいないので毎日苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分への図式化思考を手放す
流行りの本などの影響で自分が今こうなっているのは、幼少期にこれこれこういう事があったという事の「せい」にしてしまうものですが、おもいきって、その思考自体手放してはいかがでしょうか。
全部自分のせいにしましょうという事ではありませんが、何を考えるのもみんな総じて自己責任なのですよ。
思ったことがこころに作用する。
思ったことがあなたの目前の現実を歪めたり、過去への評価を一面的にしたり、歪めたりする。
あなたが今、それをできない、しない、してしまうのは、どのみち「行動」です。
その行動を選択しているのです。
その反応でいることが安全地帯で心地いいのですよ。
ところがそういう行動をしていると、自分の思う望ましいものではないと後から判断されてくる。
そうして、自分を悪く評価したり、悪しざまに心の中の悪口を自身に向ける。
それがあなたの苦しみの箇所です。
まずは、何をするにせよ、何ができないにせよ、黙っていたという事も、それをやったことになると知ってください。
全部自分がしたいことを選択しているのです。
出来なかったのではなく、しなかった。
やりたいのにあれのせいでできないのではなく、そっちでいた方がぬくぬくで心地が良いから安全地帯、ぬるま湯を選択したと思いましょう。
そうして、自分の素っ裸をみた方が、そこから行動を変えることがたやすいからです。
あなたは本当にしょうもない自分を観ていないのです。
その本当にしょうもない自分意向き合いたくなくて予防線を張って5点に見せかけたしょうもない自分を我々僧侶に見せているのです。
本当は2点なのです。0点なのです。
プライドが意識されているのはそこでしょう。グサリ
抵抗しない
ご質問読ませていただきました。
とてもよくわかります。私もそうでした。…というかいまもそうかもしれませんが。笑
自分で自分の感情や思いを気にしていて、起こったらまずブレーキをかけて、この感情や思いがこの状況に相応しいのか?出した批判されないだろうか?を判断して、それから表に出す。…っといった感じでしょうか?
疲れますよね。言葉を発する前に一旦とまるというのは決して悪いことではないと思うのですが、それが他人の評価を気にしてのものであるとストレスになりますね。
まず、自分の価値は他人からの評価できまるものではありませんし、おそらくあなた様は、「自分を否定されたくない」という思いに縛られているように思います。そしてその「思い」にまた瞬時に抵抗してるのでは…?
自分をとことん「ゆるす」というのはどうでしょうか?なにを思ってもどんな感情が沸いてきても全てゆるす。今までの習慣でとっさにぐっと力んだり、感情にブレーキをかけてしまっても、それにただ気付いて、ゆるす。たとえ、「あ~また我慢してしまった~」と思ってもその思いを評価せずに、ただゆるす。とことんゆるすという習慣を少しつけていけば、楽になってくるのではないでしょうか?
仏教では「人生は苦である」といいますが、「苦」とは「思いのとおりにならない」という意味です。自分の思いのとおりにしようとしなければ人生は愉しいです。「思い」=「私」ではありません。それがだんだん分かってくると「私」という思い込みもほどけてくると思います。
質問者からのお礼
とても参考になるアドバイスありがとうございます。