他人の成功が妬ましいです
お世話になります。
私は現在、漫画家を目指して働きながら執筆活動に勤しんでいます。
嬉しいことに、最近になって出版社から漫画の仕事をいただけるようになりました。
しかし、その仕事は特に自分が描きたい内容の漫画雑誌、ジャンルではありません。
それでも勉強のため、稼ぎのために依頼を受けました。
そんな折、自分と同じように漫画家を目指していた友人たち数名が立て続けにプロデビューしました。
中には、描き続けたウェブ漫画がコミックスになるという友人もいました。
そのすべてが、私が描きたいと思っていた出版社の雑誌、ジャンルです。
正直言って、嫉妬で心が苦しいです。
確かに私はまだ二年ほどしか漫画を描いていません。
漫画の仕事をいただけて、自分の成長を実感しているところでした。
それなのに友人たちは、私と同じくらいの期間しか漫画を描いていないにも関わらず、私が描きたいと思っていたものを仕事にしたり、コミックス化して印税を得るなどしています。
本当に、見ているだけで辛いです。
もしかしたら友人たちは、「描きたいジャンルで漫画を描く」ために、私以上に努力をしているのかもしれません。
でも、私からしてみれば「自分の方が努力しているのに、なぜ?」と思ってしまうのです。
私は、どうしても自分の描きたい内容やジャンルで漫画家デビューがしたいです。
どうしたら、嫉妬の渦から抜け出せるのでしょうか?
そして、どうしたら他人を妬まずに、自分の夢をつかむことができるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
無駄な問いをやめて頂戴
こんばんは。好きなことを仕事にできて、よかったですね。ここhasunohaには、漫画家の尼さんもおいでです。「おーい」と呼ぶと答えてくれるかも知れません。「これだけニコニコするんだ、お坊さんって」と、「お経を読む人」という固定化されたイメージを取っ払ってくれる絵柄ですよ。
さて、貴女が陥っているのは
「努力を他人と比較する」という罠です。もう滑稽なほど見事に、すっぽりはまっています。
努力とか頑張りというのは、人に評価されるものではないのです。「私は努力した」を他人が否定する事は出来ませんよね。「イヤ、アンタは努力してない」というのは水掛論…にもなりませんね。一人称にしかならないことば。「人と比べて」という相対的な文脈には乗らない言葉なのです。
もしも私たちが、工場で生産されたような、均一の性能を持っているならば、「努力の量」は「成果」から測ることができるでしょう。貴女のいう「自分の方が努力しているのに、なぜ?」という問いを発してしまうのは、「私は工場生産である」と自分を想定しているようなものなのですよ?
さらには、ご縁という問題もあります。以前「イラストのオリジナリティをかけて、自分の作品を分解検証され、嫌な気持ちだった」という投稿がありましたが、これ「どこに発表したか、いつ発表したか」という、作品「を取り巻く環境」によって価値が変化していく例ですよね。
ということで、生まれつきも違い、やってきたこと(努力含め)も違い、環境も違って「結果の違い」が出る、というのが本当の姿だ。わたしはそう思います。
だのに、「どれだけ努力したか」だけに原因を求めるような態度は「無駄な問いだ」と言ったのです。
あ、いま思いついた。
このhasunoha、出版化されています。今度はそれをシナリオとして、漫画版を製作するというのは面白くない?言葉という制約を離れて仏教の知恵や態度を表現するってどうですか?
まずは手っ取り早く、ご自身の悶々とした気持ちを漫画にする…イヤ余計な話ですね。