生きているうちに劣等感の克服はできるのでしょうか
はじめまして。
色々と思い詰めてしまい、どうしても誰かに話しを聞いてほしくて投稿します。
私は、発達障害を持っています。
大人になって色々と問題が大きくなり、発覚しました。
それもあり、今とても生きづらいです。
障害の特性もあり他人とのコミュニケーションが上手くいかず、相手の意図を正確に読み取れずトラブルを起こすことが多いです。
幼い頃からそういうトラブルをくり返した結果、虚言癖や逃げ癖がしみつき、それがさらにトラブルに繋がるような始末です。
そして、トラブルがトラブルを呼び、どんどんと自分自身に劣等感を感じ、それにより絶望感を募らせ、すっかり悲観的になってしまいました。
今はそこから抜け出すために、自分の特性と向き合いながら、過去の人とのやり取りで傷付いた自尊心を育てつつ、どうにか人並みに過ごせないかと苦心しているところです。
ですが、向き合っても対策をしても、自分の悪い所は無くなる気がしません。
むしろ酷くなってる気さえしてきます。
「こんなに努力をしてるんだから!」と周りにひけらかしたり、気が大きくなって突拍子の無いことをして迷惑をかけたり、かと思えば、それを後悔して絶望感を感じてなにもかもから逃げだそうとしたり。
先日も自分の振る舞いで友人を2人ほど怒らせ、トラブルになりました。
それでも、ひたすら向き合って、支えてくれる友人や家族のために生きなければと思い、努力をしているのですが、どうしても不安になってしまいます。
「これはいつ終わるんだろうか」
「向き合うことはこんなにも苦しいのに、いつか軽くなることはあるのだろうか」
「本当に努力をすれば人以下から人並みになれるのだろうか」
「もういっそ努力をやめて、他人に依存し責任を押しつけるような、ずるい人間として生きた方が楽なのでは」
そんな考えが頭に浮かびます。
どうしても、自分が居るだけで他人に迷惑をかけてる気がして仕方ないです。
「それも低い自尊心のせいだ」と、自分と向き合って誠実にすごそうとしていますが、それでもやっぱり心が折れそうです。
この努力は本当に報われる時がくるのでしょうか。
劣等感が消え去り、心の重荷がとれるのを感じる事はできるのでしょうか。
どうしても諦めそうで、逃げてしまいそうで辛さを感じています。
助けて欲しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたがそこに生きている、それだけで充分
先日、「はからいのない心」というタイトルで私が書いたブログ記事です・・
http://ameblo.jp/zuiunzan/entry-12237516551.html
実はここだけの話、ダウン症の息子を遊びに誘ってくれた男の子も発達障害があります。
常に落ち着きが無く動いている感じ、多動というやつですか。
けれど、とても心の優しい子です、ブログにも書きましたが、私はこの子に仏を垣間見ました。
小吉さんの発達障害は、またこの子とは違うのでしょうが、人の価値はそこだけで決まるわけではありません。
質問の文章を読ませていただいただけでも、真面目で優しい人柄がわかりますよ^^
人間関係における「和」は、確かに大事で、円滑にするためには努力が必要かもしれません、けれど、無理をして自分を曲げてまで周囲に気を遣っていると、いつかあなたが壊れてしまいそうな気がしてなりません。
ちょっと困ったちゃんかもしれないけれど、そんな自分を好きになってあげましょうよ。
お釈迦様は、地面の土を指ですくい上げて、お弟子さん達にこう説きました。
「この世界中に地面の土ほどに生き物がいるが、その中で人として生まれてくることができる命は、この爪の上の土くらいしかいない」
人として生まれることは、それだけでも大変な確率であるということですね。
小吉さんが小吉さんとして生まれてきたことが、それだけで大変なこと、有り難いことなのです。
そして家族や友人と出会うことができた。
ネットを通してお坊さんとも出会うことが出来た(笑)
今在る、あなたの周りのモノすべてが有り難い。
そのことにまずは感謝しましょう。
その年になるまで、あなたを育んでくれたすべてのものと、それらと引き合わせてくれたすべてのご縁。
何もかもが有り難い事なのです。
残念ながら、努力が必ず報われるわけではありません。
けれど、すべてが無駄なわけでもありません。
失敗も挫折も、すべての経験があなたの人生の糧となります。
完璧を求めても仕方がない、完璧な人間なんていない。
結果ばかりを焦ってはいませんか?
もう少し肩の力を抜いて、気楽に自分と付き合っていこう。
完璧ではない自分を、あなた自身が認めてあげよう、無条件でね。
そして、あなたの周囲に今あるものに感謝をしましょう。
「人」という概念は幻
「人」という概念は、ただの概念です。
世界中どこを探しても、標準的な「人」という人物は実在しません。
実在しない幻の「人」という概念にとらわれると、自分と他人を比較して、自分の価値を気にしすぎてしまいます。
仏教では、人は、色・受・想・行・識という五種類の現象「五蘊(ごうん)」の集まりだと言います。
「人」という概念は実在しない、言葉だけの幻なのです。
その幻の「人」の枠を自分の頭の中で創りだして、それと比較して自分の価値を気にしているのは、ハッピーなことではないでしょう。
「いつ終わるんだろう」と思うなら、今すぐ終わらせてください。
要は、「気にしすぎ」なのです。
他人にできて自分にはできないこと、ダメなことなどを気にしすぎるとストレスになります。
あなたは、鳥に比べたら空を飛べませんが、しかし、鳥はあなたのように読み書きできません。
あなたにはあなたのりっぱな能力がたくさんあるのに、自分よりできる人とばかり比較しないでください。