母が苦しいです
こんばんは。ひらながと申します。
母のことについて、話を聞いてください。
私は、自分で言うのもなんですが、いい子として育ってきました。
長女なので、下の兄弟の面倒を見、母の手伝いをするように、幼い頃から言われ続けてきました。小学生くらいまでは、大人の役に立ち、「えらいね」「いい子だね」と褒められることがすべてでした。
その頃は、母は絶対の存在で、母のすること、言うことは絶対に間違っていないのだと思っていました(私に限らず、たくさんの人がそうかとは思いますが…)
なんでも母の言うとおりにしてきました。進路、友人関係などなど…。まったく意見を聞いてもらえなかったわけではありませんが、困ったときにはいつも母に頼っていました。
それが、今になって、なんだかとても苦しいです。
これまで自分自身が決めて行ったことが、どれだけあるのだろう、と思います。
母の意見に、私はいつまで賛成していなければならないのだろう、と思います。
母に賛成でないと機嫌を損ねるのです。口をきいてもらえず、謝罪すら受け入れてもらえなくなります。だから母の言うことには、いつでも機嫌良く、「そうだね」と言わなければなりません。
小さなことで毎日私だけ怒られます。
下の兄弟には母は何も言いません。私だけ。
そのくせ怒るときには「ひらながだけに怒るのではない」と言ってのけます。
長子というのはこんなものなのでしょうか。
思い返せる限りでは、最近褒められたことがありません。
昔、忙しく、疲れて帰ってきたときには、「家でまでそんな疲れた顔をするな」と怒られました。
私が母と反対のことを言うと怒るのに、「自分の意見をはっきり言え」と言われました。
認めてもらえていない気がします。
いつからか、この人にはあまり期待しないようにしよう、と思うようになりました。けれど、そう簡単にも割り切れず、苦しくて、何もしていないのに涙が出てくることがあります。
いつもこうなら、私もそれなりに慣れることができますが、感情の波があるのか、機嫌のいいときはとても優しいのです。そのときは安心しますが、今考えると、おそろしいような、気持ちが悪いような、そんな気がします。
私の心が狭いのでしょうか。
母というのはこんなものでしょうか。
字数が足りません。これで失礼します。
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母も苦しい。でも、それで良いんです
それがライフステージを進めるということです。10代で学生さんということは、大学1年生か2年生でしょうかね。その時期は自立の始まりの時期です。心身共に大人になり、社会のことも分かり始めてきます。だんだんいつもの親が違って見えてきます。時には大きかったはずの背中が、妙に小さく見えることもあるでしょう。そういうものです。それで良いんです。あなたが大人になり、世界の見え方が変わってきた証拠です。
自分で情報を集め、自分で色んな人と相談し、自分で自分の今と将来を考えましょう。誰もがそうやって巣立っていくのです。どんどん『生意気』になれば良いです。
んで、いつか子育てをするようになると、親の苦労が分かり、また親の背中が大きく見えてきます。その時にまた素直になれば良いです。そんなモンっす。
その一方で、子供がライフステージを進めると、親も一緒にライフステージが進むんです。子育てをする親から、子を巣立たせる親に。私はまだ経験していませんが、人によっては物凄く認めがたく、受け入れにくいそうですよ。特に第一子の時は。そして女の子の時は。
>私が母と反対のことを言うと怒るのに、「自分の意見をはっきり言え」と言われました。
これってまさしくそういうことでしょう。ひらがな様の自立を望むの半分、いつまでも手のかかる子でいて欲しいの半分。お母さまもまた、葛藤しているのです。そうやって親も親で失敗し、凹みながら成長するんです。
でもそれはひらがな様が知らなくていい事です。気を使えばかえってお母さまのプライドを傷付けるかもしれません。そっとしておいてあげましょう。
この機に独り暮らしするも良し、実家で一緒に悩むも良し。でも、あなたはあなたの自立に向け。真っ直ぐ、迷わず進みましょう。お坊さんが断言します。一人前の大人になることが、最大の親孝行です。そしていつか自分で自分のことをできるようになったら、年老いたお母さまを支えてあげて下さい。
>戯れに
母を背負いて
そのあまり
軽きに泣きて
三歩歩まず
(石川啄木)
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
そういうものでしょうか。もう少し考えたいと思います。
ありがとうございました。