死にたくて死にたくて仕方ないのに
前にも相談しましたが、死にたくて死にたくて仕方がありません。
原因は上司のモラハラ気質な言動と寮の先輩です。
なぜ私だけ親の職を侮辱されなければならないのか、なぜ私だけ嫌みったらしい言い方をされるのか…実に耐え難いです。
先輩はあれこれと言ってくるくせに自分は全くやらないし、潔癖の押し付けで毎日毎日何かと小言を言ってきてストレスゲージが振り切れそうです。
辛いことから逃れたいから死にたいのではなく、自殺してこの2人を社会的に潰してやりたいのです。苦しみから逃れたい思いも3割くらいあるかもしれません。
誰か身近な人間に相談しろと思われるでしょうが、職場の人間以外に周りには知り合いもおりません。
親に死にたいなんて言っても親は「何言ってんの笑」と笑い飛ばすタイプで真剣な相談なんて出来ないし、職場の上司は死にたい原因の一つで相談できません。その上の上司に相談したら直近の上司は指揮系統に従わなかったことに対して今まで以上に嫌味を言ってくるのが目に見えています。それに上にバレると過保護なので病院に連れていかれてしまいますし、そこで診断なんてつきようものなら、そこから人並みの昇任コースから外されてしまう職場なのでそれは避けたいです。先輩に相談しても死なれたら処理が嫌だからやめてよ〜の一言です。
2人は潰してやりたいけれど、職場や親に迷惑を掛けるのは嫌でどうしても踏み切れません。転職なんてめんどくさいし、泣き寝入りと同じで嫌だし、生きるのも辛いし、2人を堕としてやりたいし手っ取り早く死んでしまいたいです。病気の人とかには申し訳ないですが本当に死にたくてたまりません。なのに昇任の勉強とかして先を考えている自分もいてもうどうしたらいいか分かりません。生きていきたいわけでもないのに先の事を考えて行動してる自分も死にたい自分もいてもう自分がよく分かりません。どうしたらいいでしょうか。
支離滅裂で読み辛い文章ですみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死ぬのはやめましょう
拝読させて頂きました。あなたが大変追い込まれていらっしゃるご様子を読ませて頂きました。かなり精神的にも圧迫されていらっしゃるのかと感じます。
あなたがそのお二人を憎んでいらっしゃるお気持ちはよくわかりました。が、しかしあなたが自分の生命をかけて二人を社会的につぶすことは難しいと思いますし、あなたが生命をかけるほどの価値は全くありません。
そのお二人共に人として小さい愚か者なのではないでしょうか?であるならば余計にあなたの生命をかける必要は全くありません。
人を蹴落とす様な弱い者をいじめる様な愚か者は己れの我欲や悪業によって報いを受けて必然的に潰れていき落ちぶれていきます。あなたが気にするまでもありません。
また仕事での付き合いでしかありませんからビジネスでしかありません。その様なビジネスにあなたの生命をかける必要は全くありません。
この先未来永劫そこにいるわけではありませんからね。ビジネスとして冷静に割り切りましょう。
今はすぐには難しいでしょうが、落ち着いてどうか冷静にお考えなさってくださいね。
あなたの生命は大切なのです。あまた無数のものごとや人々からご縁を頂き生命を頂いていらっしゃるのですから生命をその様な愚か者にかけることはありません。
落ち着いてからお仕事関係も整理して考えてみてくださいね。あなたがこれから先どの様に仕事なさっていきたいか何をなさっていきたいかをしっかりと考えてくださいね。
私も以前は一部上場企業に勤めていまして管理職でしたが、自分の生命をかけるほどに大切な重要なことはありませんでした。結局代わりはいくらでもいますからね。自分にとって本当に大切なことは別にありますからね。頭がいっぱいになっている時にはわからないですが、離れてみるとよくわかりますよ。
あなたがこれからの人生で本当に大切な方々やものごとに巡り会い、そして自分から大切なことを見つけていかれて心も身体も充実して豊かな毎日をお過ごしなさってくださいます様にと心から仏様やあなたのご先祖様にお祈りさせて頂きます。
どうか大切な人生をしっかりと考えて歩んでくださいね。
中道
ウナギイヌ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
少し職場におけることもございますが、希死念慮のことからも、鬱病になられるような兆候であるのかもしれません・・
職場の事を身近に相談できる方がおられないのでしたら、一度、労働基準監督署管轄の総合労働相談センターや男女共同参画センターの相談窓口等にて相談なさられることもお薦め申し上げます。
少し考え方が極端になってきてしまっているようにも見受けられますので、中立・公平的な立場の方の意見やアドバイスを冷静に聞いてみられるのも良いのではないだろうかと存じます。
とにかく極端な考えはあまりよくありません。仏教でも極端を避けた中道が求められるものとなります。一かゼロか、有るか無いかではない道も選択肢として模索していって参りたいものでございます。
どうか笑顔があり、活き活きとした日常となりますように、祈念申し上げます。
川口英俊 合掌