得度はさせて頂いたのですが
お坊さんに質問致します。
回答は心の病気もあるので優しくお願いいたします。
回答を頂いたのですが疑問点があるのでよろしくお願いいたします。
私は12年前に高野山の宝亀院というお寺で得度をさせてもらいました。
そのとき京都の庵で線維筋痛症という激しいいたみのため知り合ったところで先祖供養をしていて、浄霊をして先祖供養をしているときお大師様から得度をさせてもらえると知り、亡くなった父の祖父が一年に一回高野山参りをしていたので喜んでいるとそのときの先生に教えてもらい得度をしました。
今乳がん全摘2年半目で、軽いうつ、パニック障害、不安障害で15年通院していて糖尿病もあり、橋本病と緑内障もあります。
病気をしてることが今後人の役にたつ修行なのでしょうか?
得度してからそう思えて仕方がないのです。
得度をすることで功徳を頂くとそう得度式のときに言われましたが
大きな病気になりました。
泣きましたが今は前をむいて歩いています。
どうしても得度したというと何かしないといけないのかなと
思ってしまいますが病気の私には年に一度も高野山に行けないので
今疎遠になってしまいました。
乳がんの手術のときには両親に自分の得度したとこ奥の院、金剛峰寺に書いてもらい、枕もとにおいておきました。
麻酔のきいてる中「あなたは生きないといけない」「やるべきことがある」と
お大師様の声が聞こえてまいりました。
ありがたいことです。
ここのサイトを調べてしれたのも、ご先祖さまが守ってくださって導いてくださったんだなとありがたく思っております。
ご回答よろしくお願いします。
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あなたの体のある場所で
得度をされたというのは、仏弟子として生きる道を選んだということでしょう。そしてあなたは、様々な病気と向き合い、修行されているのです。大変尊いことだと思います。
高野山にお参りに行けなくても良いのです。修行はあなたの体のあるところでできます。救われたいと願う気持ちが、修行を進めて行きます。ベットの上で横になっていても修行はできます。お風呂に入っていても、食事をしていても、24時間修行です。
修行のあり方を学ぶ必要はありますが、お参りに行きたいと思う時にはその場で手を合わせ、今体のあるところからお参りしてください。
それで十分です。
質問者からのお礼
私は得度してたくさんの本を読んで勉強をしました。密教の簡単な本も読みました。
得度したからには勉強しなくてはいけないと思い込んでいたんですね。
邦元様の言葉で救われました。
いろんな場所で修行はできますものね。
祖母の世話をするのも修行みたいなものです。
また高野山へは元気になったらお参りにいって癌が再発していない守られている感謝を言いに行ってきます。ありがとうございました。