情報化社会の疲労から抜けたい!
お世話になります。
インターネットが発展してきて短時間、簡単に情報が手に入ることは良いかもしれませんが、真実でない情報も多いし人とのリアルなコミュニケーションが減少している事も寂しく感じます。
時々、電車を使うのですが、みんなスマホに夢中ですよね。友達いないのかとも思ってしまうことがあります(笑)
時代が発展し続けることはそれはそれで良いことかもしれませんが、自分で上手にストレス発散するしかないんでしょうか?
自分自身も1日完全にネットを使わない日はありません。
いざネットから離れようとしても反対に何をして良いか分からない自分もいます。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自問自答する人間らしさ
拝読致しました。
私も、勤めていた職場でパソコンを使い始めて以来、お寺に戻ってからもパソコンは手放せません。資料作りなどがメインですが、作業がひと段落すると、このサイトも含め何気にネットサーフィンしていたりします。
わたなべさんの仰る通り、インターネットなどの普及により、何処にいても、あらゆる情報がパソコンや携帯電話を通して手元に届けられるようになりました。毎日のように一人で向き合う携帯電話やパソコンのモニターには、ネットのニュースが日々流れ、あらゆるジャンルの情報が時々刻々と更新されます。上書きされ続ける情報…気が付けば私達は、テレビやネットから垂れ流される情報に振り回されていないでしょうか。
ワンクリックで朝注文した品が、その日の内に手元に届く時代。ひと昔前の5分が、今では10分にも20分にも感じられてしまい、トントンと物事が進まないと損した気分になってしまう。「便利」でなきゃ、「不自由」に感じてしまう。「不自由な時間」は、「無駄な時間」に思えてしまう。「不便さを楽しむ」余裕が無いというより、そのものの価値を放棄している。
身近なところでも、そんなことがずいぶん増えたように思います。
何処で見付けたのか記憶が曖昧ですが、ある若者の意見が心にずっと残っています。
「昔に比べて人と関わらずとも生活出来るようになると、他人を気にする必要も無くなる。寂しくなれば自分に都合の良い仲間をネットで見つけ、都合が悪くなれば切り捨てる。このようにして、集団生活に向かない人間がどんどん増えると、何が常識で何が道徳なのか分からなくなってくる。法律だけでは住みやすい社会にならないし、これも個人主義の弊害なのかもしれない。面倒くさいながらも、昔のように人とつながっていた頃の方が、知識ではなく本来の意味での見聞が広まり、他人がどう考えるかを感じながら生活出来た。そんな生活こそが、思いやりやマナーを根付かしたんだろう。」
結局のところ、文明の恩恵に与る代償として、人類は様々な利便性と共に常にストレスを抱えたまま、異形の進化(退化)を遂げるのかもしれません(笑)
恩恵を被りながらも、常に自問自答する人間らしさを大切にしましょう。
質問者からのお礼
丁寧に回答頂きありがとうございます。
参考にさせていただきます。