hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

別れた後の態度に困っています

回答数回答 1
有り難し有り難し 13

同じ職場で付き合って別れました。
こちらは振られた側で、業務のことは普通に話しかけています。
でも向こうは冷たい態度や避ける態度を取り、その度に悲しくなったり、腹が立ったりします。業務で話さなければならないことがあっても、話しかけてこなかったり伝言で対応したりされます。
さすがに直接怒りそうになりましたが、ぐっとこらえて、帰ってから怒りで身体が震えました。

相手の好きなようにさせよう、相手が子供だから、と思ってもやはり納得いきません。
付き合っているときに何か悪いことをしたわけではなく、職場の自分とのギャップに冷めたようです。
なにも悪いことをしていないのに、勝手に嫌うような態度をとられて本当に腹が立ちます。

相手がどう思ってそういう態度をとるかはっきり知りたいですし、
怒りをどう鎮めていけばいいかわかりません。
助けてください。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お互いに公私混同しない

あなたも公私混同しない。
彼も公私混同しない。
それを明日、約束されてはいかがでしょうか。
仕事は仕事として、個人的な感情を交えてしまうと、お互いの為にもよくありませんから、仕事に関しては今までの事を交えずにちゃんと務めるようにして頂けないでしょうか、と低姿勢に話をしてみてください。
それでも変わらなければまたどうぞ。
仏教は一言で申し上げるならば「わたくししない生き方」です。
彼の事もそうですが、あなたもあなたで冷静さを見失わない様に、彼がたとえ公私混同しても、彼に対して公私混同しないようにしてください。
どうしても変わらなければ第三者の公平な方を通して改善していくようにつとめてみましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます
気をつけていきます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ