地獄とは恐ろしいところでしょうか?
地獄とはいったいどんな事をされるところなのでしょうか?
八大地獄というのを聞き、この八大地獄とはどんなところなのか気になります
悪行はどんなちいさなことでも悪になって地獄なのでしょうか?
父と母そして姉がいます
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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地獄はここにあります
太郎さん、はじめまして。質問を拝読しました。
太郎さんは地獄で何をされるのか分からず怖いのですね。悪行はどんな些細なことでも悪と見なされ、地獄に落ちてしまうのではないかと気になっているのですね。
まず、太郎さんは八大地獄が気になっておられるようなので、どのような地獄なのか紹介します。
1.等活地獄・・・互いに敵意がむき出しになる地獄
2.黒縄地獄・・・熱い鉄板の上でむち打たれる
3.衆合地獄・・・大きな石や山に踏みつぶされる
4.叫喚地獄・・・熱湯や猛火によって苦しめられる
5.大叫喚地獄・・・苦しみで大声で叫ぶ
6.焦熱地獄・・・猛火によって苦しめられる
7.大焦熱地獄・・・焦熱地獄の10倍の苦しみ
8.阿鼻地獄・・・地獄の1000倍の苦しみ
では、地獄はどこにあるのでしょうか。
こんな逸話があります。
あるお侍が「地獄はどこにあるのか」を知りたいと思い、高僧の寺をたずねた。
寺はみすぼらしく、とても高僧がいるとは思えない。しかし、侍は寺の中へ声をかけた。
しばらくすると、ボンヤリとした僧が顔を出した。
侍は名乗り、高僧に会いたいので話を通してほしいと伝えた。ボンヤリした僧は、「高僧は出かけている。どんな用だ?」と聞いた。
侍は、「地獄がどこにあるのかを高僧に教えてもらいたい」と言った。
それを聞いたボンヤリした僧は大笑いをした。「侍のくせに、地獄が怖いのか? 腰抜けめ」
侍はカチンと来て、「成敗してくれるわ!」とボンヤリした僧に刀を抜いた。ボンヤリした僧はひらりひらりと身をかわしたが、ついに本堂の角に追い詰められた。
侍は「覚悟せい!」と刀を振り上げた。その瞬間、ボンヤリした僧は言葉を放った。
「それじゃ。そなたは今、地獄にいる。その心が地獄なのじゃ」
侍はハッとして刀を降ろした。それを見てボンヤリした僧は「そこじゃ。そなたは今、極楽にいる」
どうですか?
太郎さんが地獄が怖いと感じているのは、太郎さんの心の中に地獄があるからです。地獄にいることに気がついたとき、太郎さんは瞬時に極楽に行くことができるのです。
太郎さんが心の地獄を抜け出し、仏さまの住む極楽浄土に行くことができるよう祈念しております。
地獄とは想念が創り出すもの。
太郎さんこんにちは!
地獄ですかー、行きたくないですよね^_^;
地獄についての記述がいろいろ有りますが、地獄とは、「ディズニーランド」「ユニバーサルスタジオ」みたいに“ここが地獄ですよ”というような確固たる場所があるわけではないと思います。
仏教とは少し違う話しになってしまうのかもしれませんが、人は亡くなると、肉体を脱ぎ捨てて想念の世界になるようです。その想念がどんなものかによって、目の前に現れる世界が違ってくるのだと思います。生きていればこそ心でどんな事を想っていたとしても、それが相手になかなか伝わるわけではありませんが、肉体を脱ぎ捨ててしまえば、いわば“モロ見え”です。なのでその自分の想念が、天国でも地獄でも創り出すのでしょう。執着はあまり持ち過ぎない方が宜しいですね^_^;その為に、我々人間は生きている間の行いや過ごし方が大切になってくるのかもしれません。自分で蒔いた種は自分で刈り取らなければなりませんが、しかしながら我々はこの世に生きている以上、誰にでも間違いもありますし、煩悩に振り回される事だってあるわけですよ。完璧な生き方をする人間なんていないでしょう。なので、いつでもどこでも、何度でも、気付いた時に自分を見つめ直していけば宜しいのではないでしょうか。変にこれもしてはいけない、あれもいけない、と囚われを作ってしまっては、かえって生きづらくなってしまいます。地獄を意識し過ぎると、本当に地獄を創り出してしまうかもしれません^_^;
重要なのは、心の持ち方ではないでしょうかね。
なるべく謙虚さを心掛け、愛と感謝を元に行動するようにしていけば、生きてるんですから、人間臭さがあっても宜しいのではないでしょうか。
一度その専門学校の経営母体を確認してください
こんにちは
まず、仏教では、人が死んだ後の世界について「わからない」としています。地獄が本当にあるかどうかもわかりません。
一方で仏教で地獄が説かれる理由は、人を地獄に行かせることが目的ではなく、むしろその反対で、地獄に行かないことを願うがゆえだと思います。
地獄図があえて身の毛がよだつほど醜悪に描かれていれば、地獄が誰もが堕ちたくない最悪の場所、と思いますよね。悪い事はやめておこうって。それが地獄の存在意義だと思います。方便として「地獄」が語られているに過ぎないとご理解ください。
類似がありますので貼っておきます。
http://hasunoha.jp/questions/14307
http://hasunoha.jp/questions/13943
前回の質問で、「仏教の専門学校」に通っているとの事ですので、このような事も教えてもらえるはずです。もし、地獄の恐ろしさばかりを執拗に説いているようでしたら、そこは、「仏教の専門学校」としてはオカシイです。専門学校のフリをしたヤバい所かもしれませんので、一度きちんと経営母体などをご確認された方が良いと思います。
地獄のものたちを救うためにこそ・・
太郎様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
先ほど別のご質問でもお答えさせて頂いた内容と被りますが・・
地獄というのは、この迷い苦しむ輪廻における心のありようの様態の一つのことで、針山が、釜茹でが、と色々と表現されていますが、それはあくまでもこんな感じという苦しみの比喩的な想像のものであると考えております。
もちろん、確かに最も迷い苦しんでいる心の状態であることにはなるでしょうが、その原因は、天道であろうが、人間道であろうが、餓鬼道であろうが、変わらず、「煩悩」とその親玉である「無明」(根本的な無知)と、それらによる行いである「悪業」となります。
仏教は、その輪廻の原因である煩悩・無明を、仏道を修することによって対治し、功徳を積むことにより悪業を無くし、悟り・涅槃という究極の楽・幸せに至ることを目的と致します。
正直なところ、これまで拙生も、いったい何度、地獄へと落ちてきたことでしょう・・
数えきれないぐらいに何度も落ちてきてますから、今さらまた落ちることにそう抵抗もありませんが、幸いにも今は人となりて、仏法にも出逢え、そして、少しずつでも心の相続を清らかな流れへ向けるための機会に恵まれることができております。
もちろん、その流れの中でも、また地獄へと落ちることもあるでしょうが、今では、地獄に落ちれば、落ちた時で、必ずや地獄のものたちを少しでも救えるためにこそ、仏法をしっかりと修しておきたいという気持ちも持っております。
人間道などの上の世界に比べて余裕が限りなくない地獄の世界において功徳を積むことができれば、その功徳は、上の世界で積める功徳の何倍にもなることでしょう。悟りへと至るために必要な功徳を、地獄においても何とかしっかりと積ませて頂きたいと存じております。
是非、太郎様もこれを機縁に仏教にもっと興味を持って頂きまして、地獄のものたちを救えるぐらいにまでなって頂けますと、誠に有り難いことでございます。
先で地獄に落ちた拙生に功徳を積む余裕がなさそうでしたら、その時はどうか宜しくお願い致します(笑)
川口英俊 合掌
どんな小さな悪行でも必ずその見返りを受けることになります。
ただし同様に、どんな小さな善行でも必ずその見返りを受けることになります。
大切なことは日々善行を積み重ねていくことです。
貧しい人に寄付や募金など布施をしたり、助けの必要な人を助けたり、働くことで社会に貢献したりすることなどは善行です。
小さな善行でもいいのです。
できる範囲で善行を積んでいれば、たとえ来世が地獄界であろうと餓鬼界であろうとそこで善行の見返りとして幸、喜びを受けることになるでしょう。
もしかしたら天界に生まれるかもしれません。
なお、六道輪廻から離れて極楽浄土に生まれるためには日頃から南無阿弥陀仏と念仏を唱えるとよいです。
質問者からのお礼
沢山の返答ありがとうございます
わからないことが怖くてこうして気になってしまいます
でもなんとなくですが落ち着きました
ありがとうございます