教えてください、差別は悪いことではないのですか?
私は子供の頃から、人を外見や生まれた国で判断してはいけないと教えられました。
もし、貧乏な子供をなじったり、ハーフの子をからかったりしたら担任から拳でなぐられました。
正義というのは見方や時代によって変わりますが、基本的人権の尊重というのは普遍的なものだと私は思うのです。
しかし、私の周りでは近年の日中韓関係の悪化から、彼らのことを悪く言う人が増え、自分の父親さえトランプの肩を持つような発言をします。
私の周りのコミュニティでは排他主義者が多数派となり、特定の国の人を差別することは正しいということになってしまいました。
それでもやっぱり、差別することは間違っていると私は思うのです。
しかし、最近は私の考え方に自信が持てなくなってきました。
お釈迦様は、インドの厳しい身分制度がある社会で愛を説かれたと聞きます。
死んでしまえば天国、地獄はあるかもしれませんが、この世に生きる人間に優越はあるのでしょうか。
仏教では差別に対してどのような考え方、解釈をされているのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
怠けの煩悩
本来は、人間一人ひとりをよく観察し、分析し、判断する必要があります。
しかし、愚かな人間には、それができません。
一人ひとりをちゃんと見てから判断するのは、かなり大変なことなのです。
それに比べて、〇〇人だからとか、カテゴリーでサクサク判断した方が楽ですね。
つまり、手抜きをしたい怠けの煩悩なのです。
仏教では、煩悩が悩み苦しみの原因だと説きます。そして、仏教では、悩み苦しみの原因を悪と言うのです。
つまり、怠けの煩悩による差別(判断の手抜き)も煩悩だから、悪です。
一方で、どんな悪人をも慈しむのも仏教です。
差別してしまう弱い人間への慈悲も忘れてはいけないのです。
仏教では平等です。人だけでなく、生きとし生けるものは全て平等です。
お釈迦様は愛は捨てろと説かれました。愛は執着だからです。その代わり慈悲を持てと説かれました。慈悲とは他人の幸せを願い、他人の苦しみを共に悲しみ、その苦しみを取り除くことです。
差別というのは感情から起こることが多いです。しかし、仏教とは感情を自らコントロールして、理性で物事を考え行うことです。
理性を保てば消える差別は多いと思います。
仏教徒である私達は感情に流されずに、理性をしっかり保っていきましょう。
差別は愚かな罪です
拝読させて頂きました。あなたがおっしゃる通りです。どの様な時代でもどの様な状況であっても差別はしてはいけないことです。
人には安心して幸せに生きる権利がどなたにもあります。
お釈迦様もあらゆる身分や職業や性別の方々にも等しく教えを説いておられます。生まれで差別されることはないと説いていらっしゃいます。
私達人間は愚かにも常に人を差別して侵害して争いを起こしてきました。
その繰り返しでした。
そしてあの戦争が起こり罪もない方々が大量に殺されました。
アウシュビッツでの虐殺や原爆での虐殺が起こりました。
それは人が人を差別しておきた恐ろしい大変愚かな罪です。
私達はその愚かな罪を深く深く反省して今の日本国憲法の基本的人権の尊重や平和主義や国民主権ができたのですし、国連憲章の人権宣言ができたのです。
その精神は仏教の教えを法律として体現したものと考えることができます。
世の中が排他的になり相手を敵とみなしていく考え方はまたあの愚かな罪を犯すもとになってしまいます。
日本でもヘイトスピーチが起きておりますが大変愚かな言動であり。人を差別して人を深く傷つける罪です。
様々な国家で排他的な主張が主導権を握っていますが、その行きつく先はあの愚かな戦争です。
おそらく次にあのような大規模な戦争が起きたときには様々なところで虐殺や原爆が落とされて本当に罪もない人々、赤ちゃんや幼い子供達や老人達が殺されてしまうでしょう。
そして人類はもはや地球を壊してしまうでしょう。
排他的な言動を行う者は自分達の目先の利益しか考えていないのです。
今だからこそ正しく歴史を学び、私達はどう生きていくことが正しいのか、正しい智慧を学ばなければなりません。
長くなりましたが、差別は本当に罪です。愚かな所業です。
私も差別ない世の中人々がお互い安心して生きられる社会や世界となるようにと心掛けて参ります。
あなたもどうか正しい智慧を身につけて正しく生きて頂き決して差別しない生き方をなさって頂きます様切にお願い申し上げます。
質問者からのお礼
ありがとうございます。うまく言い表せませんが、色々と救われた気持ちです。