祖父母の死を看取れませんでした。
初めまして。
私は今海外在住です。
海外に出てから祖父が亡くなり、先ほど祖母が亡くなりました。
強い後悔と悲しみで押し潰されそうです。
この国に来るたびに死に目に二回も逢えず,呆然としています。
何だか帰って来いと言ってもらっている気さえします。
祖父の死は約3年前でした。
急だったので、ただただ驚きました。
日本に戻り、葬儀には間に合いましたが、法事にも出席できませんでした。
祖父の習慣は日記をつけることで,亡くなった年には "今日は特になし"と付けてあることが多くなったそうです。
それを見て、祖父の寂しさに気づけなかった事、また海外からあまり連絡していなかった事に、後悔の念でいっぱいです。三年経った今も、涙が出ます。
また、祖母はアルツハイマーを患っており、祖父とは離れて暮らしていた為、祖父が亡くなった事は知りませんでした。
祖父は今、何をしているのでしょう?
また、祖母が祖父の死を知らないことをどう思っていたのでしょう…
看取れず、またお話もできなかったことを悔やんでも悔やみきれません。
私は祖父の死後、日本に2年半ほど戻っていました。
祖母はその後、アルツハイマーが悪化し、遂には食べられなくなりました。
日本滞在中に、父から亡くなるということを念頭に置いておくように言われていました。
私は、祖父の様に最期を看取れないということがないようにと、自分にも言い聞かせていました。
しかし、その後祖母は食事を少しずつ取れるようになり、私は安心して、私は1週間前に日本を発ちました。
しかしながら、本日息を引き取りました。
こっちに来て、たった1週間。
祖母も看取れなかった…その事が悔しくてたまりません。
また今回は海外にいなければならない事情もあり,葬儀に出席もできません。
祖父母に看取らせてもらえなかったと思う気持ちまで芽生えています。
しかし、祖父とやっと会えたのかな?とも思います。
私はこれからもこの気持ちを背負っていかなければならないのでしょうか。
苦しくて、悲しくて、やりきれません。
後悔でいっぱいです。
どうか、こんな私にアドバイスをいただければと存じます。
長々と失礼いたしました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
このコメントは読んでくれていますよ。
このコメントで十分です(あなたの優しさが満ちあふれています)。
私たちの宗旨では、亡くなった方は皆❝極楽浄土❞に往って再び会えると説きます。❝倶会一処(クエイッショ)❞〔ともに一つ処でまみえる〕という事です。従って、お祖父様もお祖母様も一緒に仲良くしているはずです。あなたは何の心配もいりません。
現代は国際化して、「親の死に目」にさえ会えない人も沢山います。それもある意味「定め」かもしれません。生きている内に十分尽くしていればいいのです(いくら尽くしたとしても悔いは残りますが・・・)。
あなたにお願いです。今後は「お祖父ちゃん・お祖母ちゃんが喜んでくれるやろな~」と思うことをして下さい。「お祖父ちゃん・お祖母ちゃんが悲しむやろな~」と思うことはやらないで下さい。それが一番「祖父母孝行」(=供養)ということです。
心からお悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏
私は浄土宗なのでもしかするとあなたの家の宗派とは違うかもしれませんが、その時はお許しください。
祖母様は浄土というところに行かれたのです。そこには祖父様も居られます。ですから2人は浄土で再会を果たすことになります。また、たくさんのご先祖様も居られますから、寂しくはありません。喜びに満ちているのです。
あなたは浄土をお造りになった仏様に手を合わせてくださいね。もし浄土宗などであれば南無阿弥陀仏と唱えてください。日蓮宗などであればお題目を唱えてください。他の宗派であれば、その宗派の方法で祈ってください。
これまでいただいた恩や思い出に感謝してください。正しく生きていくことを誓って、祖父母達を安心させてあげてください。
あなたの心はきっと仏様に、そして、祖父母たちに伝わると思いますよ。
最後を看取るということはなかなかできることではありません。ですから、生きている時を大切にしてくださいね。
南無阿弥陀仏
あなたのお気持ちは届きます
拝読させて頂きました。あなたのお気持ちはよくわかります。あなたがお祖父母様をみとることができなかったことをおくやみなさることは確かにつらい悲しいことかと思います。
あなたのお祖父母様が正しく仏様のもとに生まれ変わられて心安らかになられます様にとお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏
あなたもどうか心を込めてお祖父母様をご供養なさってくださいね。
あなたとお祖父母様とはこれからも永遠のおつきあいがあるのです。
大丈夫です。あなたをこれからもずーっとお見守り続けてくださいます。
あなたがその生命を全うなさる時には再び巡り会いますからね。
どうかご安心なさりこれからも心よりご供養お願いします。
世の中はグローバル社会でありグローバル世界です。その流れはやむを得ないのです。それは巡り合わせです。あなたのせいではないのですからね。
うちのお檀家さんでもエジプト駐在の方やブラジル駐在の方、そして大洪水に見舞われたタイに駐在の方もおられました。皆さんお身内の方のお葬式に戻ってくることはできませんでした。ですから場所は違えども共にお亡くなりになられた方々を心を込めてご供養頂きました。私はそれで良いと思います。ご供養のお気持ちは必ずや仏様やその方々に届きますから。そしてその方々は自分を供養してくださる方々のお気持ちを喜んでくださいますからね。
大丈夫です。悲しみは尽きないかもしれませんが、どうか真心込めてご供養なさってくださいね。
質問者からのお礼
ありがたいお言葉の数々、ありがとうございます。
遥かな地より、南無阿弥陀仏と唱えさせていただきたいと思います。