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生きること

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私の過去の選択のせいで、たくさんの人に迷惑をかけてしまいました。
そして、一人の人からは恨まれる結果となってしまいました。
あのときの人生の選択のせいで、今でもずっと恨まれて生きるのは辛く、また過去に遡っては後悔の念が消えません。
罪悪感ばかりが年々増していきます。
どうしたらこころがかるくなるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

徳を以って怨みに報ずる

みっきーさん、ご質問ありがとうございます。
お気持ち拝察いたします。
私も、過去に人に怨まれるようなことを行いました。
後悔もしましたし、反省もいたしました。そして、悶々とする日が続きました。

しかし、そういう日々を続けても意味がないことに気が付きました。
経本の中の言葉が、気づかせてくれました。

伝教大師最澄の言葉です。

「怨みを以って怨みに報ぜば、怨み止まず。徳を以って怨みに報ぜば、怨み即ち尽く」

「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」

恨みとは決して消えないものなのか。
恨みとは恨みでしか重ねることは出来ないのか。
恨みとずっと付き合わなければいけないのか。
恨まれていることをしてしまった自分を恨み、負の連鎖になっていないか。

そんな忸怩たる思いの中の明解な言葉でした。
恨みを以って恨みに対峙していては、結局は恨みは止まない。
徳を以って恨みに対峙していけば、恨みは尽きる。

僧侶でよかったと思えた瞬間でした。
そして、その徳の積み方は慈悲の実践だということも同時に
「己を忘れて他を利する、という利他行」である。

ということで伝教大師の言葉が繋がりました。
中々実践に移すことは難しいですが、日々少しずつやっていくことによって
恨みが少しずつ無くなり、徳を積むことが出来るのではないかと思っております。

変えられない過去にしがみついたり
変えられない相手にしがみついたりするのではなく
変えられる恨みへの考え方と
変えられる日々の行動に焦点を当てることで人生も変わってくると思います。

恨みの連鎖ではなく、徳の連鎖を作れることが出来るのも人間だと信じています。
自宗派の宗祖のことばかりになってしまいまして恐縮ですが
みっきーさんだけではないということを感じて頂ければ幸いです。

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おきもち


天台宗 高龍山明王院普賢寺 住職。 一般大学、アメリカ留学、一般企業を経...
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生きているということは

みっきーさんへ

どんな人だって、一人では生きていけないから、
大なり小なり、周りに迷惑をかけながら生きているはず。
生きるということは、そういう事ではないでしょうか?

永六輔さんの詩に
『生きているということは
誰かに借りをつくること
生きていくということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように
誰かにそうしてあげよう

生きていくということは
誰かと手をつなぐこと
つないだ手のぬくもりを
忘れないでいること
めぐり逢い愛しあいやがて別れの日
その時に悔まないように
今日を明日を生きよう

人は一人では生きてゆけない
誰も一人では歩いてゆけない

生きているということは
誰かに借りをつくること
生きていくということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように
誰かにそうしてあげよう
誰かにそうしてあげよう
誰かにそうしてあげよう 』と、あります。

借りた恩は、誰かにそっと返してあげて下さい。
かけた迷惑は、みっきーさんが誰かに迷惑をかけられた時、すぐに赦してあげて下さい。

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おきもち


昭和43年、奈良県葛城市生まれ。子授け寺浄願寺の住職、鷲尾隆仁。 日...
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繰り返さないこと

私にも考えると悔やまれる過去がたくさんあります。
私の意図とは反対に、人の心を傷つけ恨まれもしました。
私の意図がどうあれ、受け取る側からしてみれば一方通行ですから、言い訳をしても仕方がありません。たぶん今でも恨まれているかも知れません。
今の私の中にも、その念は消えてはいませんが、後悔はしていません。

なぜなら、同じことを二度と繰り返さないことこそが、私なりの償いだと思っているからです。
その過ちに関して、私が自分に対してやったことは、それまであった自分の過ちを反省し、同じような間違いを二度と繰り返さないと心に決めた、ただそれだけです。

その方たちには許してもらえないかも知れません。
でも、その方たちがいたから、私は過ちに気付くことが出来たのです。
恨まれていても、その方たちには感謝しています。

今も、その方たちと時に関わりがありますが、その方たちが常に目の前にいるわけではないのに、そのことばかりを考えていても仕方がありません。
そのことばかりを考えていては自分がいつまで経っても先へ進めません。
逆に、それを踏まえた上で自分が先に進まなければ、それを繰り返さない自分自身つくることも出来ません。

マイナスのイメージは、マイナスの要素を呼び、今以上にマイナスの方向へと引っ張られしまいます。
かといって、無理にプラスをイメージしようとしても無理がありますから、無理してプラスにも考えない。

その時にあったことを真摯に反省して「こうだったから次はこうしよう」「こうならないように気を付けよう」これで良いのだと思います。

目の前にあることを、ただ淡々とこなしていく中で、その時の反省の結果、自分が得られたものを役に立てていく。

これしか今の自分にはできません。
それどころか、今の私にとってその方たちは、私を気付かせてくれた恩人にさえ思えています。

過去を引きずるのではなく、過去を経験した自分が、今を懸命に生きていくことが、もしも誰かの役に立つならば、直接でなくてもあの時こうしてしまった自分自身への償いにはなると信じています。

過去の過ちは過去の自分が起こしたこと、今の自分はもう繰り返さない。

それで良いと思いますよ。

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おきもち


思い出している時だけ心が重く感じる

仏教では、心は無常(瞬間瞬間に変化する)と考えます。
「どうしたらこころがかるくなるのでしょうか?」
と質問されていますね。
ということは、あなたは、心が重いと感じており、しかも、ずっと重いままでちっとも軽くならない、と感じておられるのでしょうか。
しかし、そんなはずはありません。
心が重くなるのは、重くなるようなことを思い出している時だけです。
今から、酸っぱいレモンか梅干しの味を思い出してみてください。
どうぞ!………はい、ありがとうございます。
酸っぱい食べ物の味を考えている瞬間も、心が重かったでしょうか?
心は、同時にいくつものことをできませんから、別のことをしているときは重くないはずです。
しかし、あなたは、重くなった場面だけをつなげて編集して、重いシーンばかりだと思い込んでいるのです。
質問に対する私の回答は、「別のことを考えたりやってるときは、心が軽くなります」です。
余談ですが、心は、酸っぱい食べ物を念じただけで唾を分泌させるほど、肉体に影響力がありますね。
仏教は心を扱うスポーツみたいな面もあり、おもしろいです。
あなたの「こころ」さんにお伝えください。
「もうだまされないぞ!私はおまえを自在に変化させてみせるぞ!」

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おきもち


がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

大変ありがたいお言葉ありがとうございます。

私は、毎日毎日罪悪感に苛まれていて、精神科にも通院していました。
でも、変えられるのは自分ですよね。
時間をかけてでも、少しずつ良くなるようにしたいです。
ちなみに、恨みは逆恨みです。

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生きたいと思いたいです

30代女です。9ヶ月程前に最愛の母を癌で亡くしました。(生まれてからずっと実家暮らしでした。) 母は約6年闘病し、死ぬ1ヶ月程前に病状が急速に悪化し、定期の受診をした際に緊急入院になりました。コロナ禍の為に面会が出来ず、病院から呼び出された時には母は意識が無く、手を握って呼びかけていましたが、回復しないまま亡くなってしまいました。 緊急入院した当日、私は仕事に行っていた為、母に言った最後の言葉は、前日の夜の「明日は病院いく日だから、早う寝なあかんよ。」という冷たい言葉でした。そんな事もあって、母の死に対して、後悔とか、懺悔とか、悲しみとか、とにかくとてもショックが大きくて、今でも母の事を考えると涙が止まりません。 そのため、母が亡くなってからは、例えば交通事故などで明日自分が死んでも構わないと思うようになりました。でも痛いのや怖いのは苦手なので、自殺願望はありませんし、病気とかも怖いので、なりたくないです。 ちなみに、日常生活は普通に送れていますし、趣味などを楽しんでる時は普通に笑えます。仕事も一生懸命やってますし、ご飯も美味しいと感じます。 自分が死んだら父や兄姉、友達、職場の仲間も"悲しんで"くれるとは思いますが、"困る"事は無いと思います。独身だし、財産もないし、仕事は別の人が引き継げば良いし。だから適当なタイミングで、あっさり死ねると良いなと思ってしまいます。 こんな考え、生きたくて必死で頑張っておられる方々に失礼な考えだとは分かっております。本当に身勝手だと自覚してます。 だからやっぱり「死んでも良い」ではなく、「生きたい」と思えるようになりたいです。

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読んで不快に思われる方も多いかもしれません。申し訳ありません。 匿名ですので、偽りなく書きます。 24歳女です。中学から不登校になり、通信制の高校を卒業しました。専門学校を中退、就職しましたが一年ほどで退職し、風俗で働き始めました。風俗を始めた目的は、お金に困っている母にお金を残すためでした。この頃には既に自殺願望が根付いていましたので、どうせ死ぬならと、死ぬことを目標にがむしゃらに働きました。向いていたのかそれなりに稼ぎ貯金をしました。その後1年半ほどで鬱が酷くなり引きこもりました。何もしないまま2年が過ぎました。皮肉なことに風俗で稼いだ貯金のおかげで、お金には困リませんでした。 そんななか、私と結婚したいという人が現れました。風俗のお客様だった人です。そういう関係で、風俗を辞めてからも定期的に援助をしてくださっていた方でした。 お金に余裕のある方で、私の鬱にも理解があります。 今まで通りお金を渡すから家事をしてくれればいいと言います。もし働きたいなら働いてもいいと言います。 もちろん体目的でしょうが、それだけでもないと思います。 3年ほどの付き合いで、お互いに情はあるのでしょう。 死ぬくらいなら、結婚してもいいのかもしれません。 そして、本当に前にも後ろにも進めなくなってから、死ねばいいのかもしれません。 どう思われますか? 本音を言うと、どうでもいいのです。 私は、その方に恋をしているわけでもなく、嫌っているわけでもなく。 その方といることで救われるわけでもなく。 肉体関係にも意味はなく、お金の代償でしかないのです。 このまま生きていても、私はずっと苦しいままでしょう。 ですが死ぬ踏ん切りもついてはいないのです。 どうしてこんな生き方しかできないのでしょうね。どこから間違ったのか、今も間違い続けているのか… 長々と申し訳ありません。 読んでいただき、ありがとうございました。 何かお言葉をいただけると嬉しいです。

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人に優越感を与える為に生きたくない

いつも和尚様方の温かい問答拝見しております。 何のために生きていくのか分かりません。 40代後半、独身です。 独身の理由は自分が自由が好きである事及び実家に将来の配偶者となる人を実家に呼べない事です。 一生懸命生きてきました。あまり裕福ではない家庭で育ったものの親はその家計に合わない機会を与えてくれました。塾やピアノや私立大学や。それ自体はありがたいですし、感謝をしております。ただ、周りにいた人達はもっともっと裕福で、見ている世界が違います。働いた今もそうです。いわゆる有名企業に勤めておりますが、お育ちの違いを度々感じます。常に劣等感を感じていました。そして両親も私をほめてくれた記憶がありません。常に親せきや親の友人をほめており、記憶上私をほめてくれた事ほぼありません。私は人の優越感を感じさせるために生まれてきたのでしょうか。 そして親には私が今一流企業でたくさんの給与を稼いでいる事、美しくいる事をひがまれます。独身でいて駅から家まで送ってもらうくらいで脛をかじってと言われます。実家に帰ればご馳走もしますし、お金をせびった事は大学卒業して以来一度もありません。孫がいればいいのでしょうか?私は散らかって狭い家にフィアンセを呼ぶ事を躊躇しました。そして家族一緒にいようと言っていた親を悲しませたくないと思い独身です。 頑張っても頑張っても報われなくひがまれどうしていいのか分かりません・・・。 もう頑張りたくもないですし、何のために生きているかもわかりません・・・ 頑張っても人は自分より下だと思うと優越感を感じるのですよね。人に優越感を与える=自分は劣等感を感じなければならないという事がとてもむなしく、生きている気力がわきません・・・。 こんな事は本当にわがままなのはわかっていますが生んでくれって頼んでないのにひがまれたりするのは悲しいです・・。

有り難し有り難し 11
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