悩んで悩んで悩んで、
第二子の中絶手術を受けました。
以前こちらで相談させていただいて、
絶対に産んだ方がいいと背中を押していただいたのに、
勇気がでませんでした。
職場にこれ以上迷惑をかけられない、
上の子がまだ小さいので親の反対など、
自分勝手な理由です。
お金はどうとでもなるし、
産んでも育てられる環境でした。
自分の弱さのせいで、
大切な一つの命を奪ってしまった。
後悔しても戻ってこないのに、
後悔ばかりしてしまいます。
手術前は、手術をして、私と旦那だけの心にしまっておいて、
仕事も復帰して気持ちを新たに頑張ろう!
と思っていました。
赤ちゃんを忘れるというわけではありません。
ですが、子供たちと関わる仕事です。
仕事のために中絶をしてしまったようなものなのに、
辞めたいと思ってしまいます。
でも、辞めたらそれは赤ちゃんへ申し訳ないような気もするし、
どうしたらいいかわかりません。
私は生きる資格がないと思います。
大好きな子供たちと関わる仕事をしていながら、
大事な息子がいながら、
中絶だなんて。
自分がどれだけのことをしてしまったか。
後悔しかありません。
まわりの目なんて気にしないで
産めばよかった。
命より大事なものなんてない、頭ではわかっていながらも
いま、生きているのが辛いです。
こんなことを思っていては、赤ちゃんに申し訳ないとも思います。
赤ちゃんのために、私は何ができるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
前回のご相談と併せて拝読しました。
悩みに悩んで選択したご決断です。その責任を引き受けて生きていかねばなりません。生きるのに資格はいりません。私たちは生かされているのです。そして今回のお子様も私たち同様に生かされており、この世への誕生の機会を待っておったのでしょう。
このご縁をきちんと受け止めるため、供養の機会を設け、仏法にであっていただきたいと思います。
後悔を断つための供養ではありません。一生をかけて今回の責任を受け止めていくための供養です。
仏様の教えは人を裁きません。まだ作らぬ罪については抑止して嫌い、既に作った罪については許してくださいます。
「辛かっただろう、悲しかっただろう、情けなかっただろう。そのままおいで」と慈悲のこころで包んでくださいます。
生きている以上、他のいのちを奪うなど数々の罪を作り続ける私たちを、そのまま無条件に救ってくださいます。
だからこそ、私たちはその教えに触れた時に自らの有り様を恥じ、申し訳ないと頭が下がり、心から懺悔するのです。
罪がなくなるということでなく、許されるからこそ罪を自覚し、罪と向き合いながら生きていく私に出会わせていただくのです。
あるも様もすでにして、そのお子様との今回のご縁により「いのちの重さ・尊さ」を学び、「生かされるいのち」に気づかせてくださる仏法に出会う機会をいただいたのです。
後悔の闇に沈んでいくばかりでなく、後悔と共に生きていく覚悟を決めなければなりません。
生まれるかもしれなかったいのち
今、生かされているいのち
この世の縁尽きていったいのち
全てのいのちに手を合わせ、供養し、仏法にいのちの尊さを聞いていきましょう。いのちは本来私たちの思い通りになるものではないのです。現代という時代はその事実を見えなくする、人間を驕りたかぶらせるようなはたらきに溢れています。
出会うべきはたらきはそうしたものでなく、仏法です。生涯をかけてともに手を合わせて参りましょう。
南無阿弥陀仏
今後の第一子のお子さんの教育にも今のお子さんへの接し方にも「親の都合」が及んでいる可能性があります。
生命は親の意志で生まれて来ようとして生まれてくるのではありません。
その命の誕生のさせ方があるのです。
誕生した生命に対しても、親が親の都合やエゴで「こういうふうにしよう」という気持ちがあることで、その子供は生きながらに親のエゴの犠牲者になります。
中絶の事はとやかく申し上げません。
自然が自然として人間のエゴや人間の都合とは無関係に生命の働きそのものとして働いていることをよく考えてみてください。
草木、花一本にしてもあなたの意志とは無関係に存在しているのではないでしょうか。
あなたの意思とは無関係に、ということは、その生命の尊厳を認めてあげてください。
あなたのはじめてのお子さんに対しても、ご両親で、親のエゴ・都合を一切働かせないであげてください。
それがせめてもの、私がその子に代わってあなた達に伝えてあげられる言葉です。
全ての生命はその生命がその生命の主人公として生きています。
あなたの体の生命もあなたが主人公ではなくあなたの生命の働きが主人公です。
その生命を感じずに、自分意識というエゴを今後は増長させないように生きることです。
水子の供養とは、その生命に尊厳を見出し、自らが自らの人間性を見失わせないように生きることです。男性であれば精子一匹にも水子の精霊が宿る。
その生命の見い出しを引き出せればあなたはの中の本当の主人公が発動して、自然に手が合わさることでしょう。
これをご覧になられう方々が生命の尊さに目覚めてくだされば、きっとその子も浮かばれることでありましょう。亡き生命が生きる人を、子供を、大人をも導くという事はあるのです。合掌
あるも様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
その水子さんに確かなるご仏縁がありますようにとの水子供養と共に、できれば、もしもその子がこれからも輪廻の迷苦にあるようならば、必ず自分がその子のみならず、全ての者たちを救えるような存在となれるようにとの強い意志(悟りへの菩提心)を持って、少しずつでも仏教を学び進めて頂けましたら有り難くに存じます。
三宝帰依・菩提心生起
すべての有情を救済しようという願いによって
仏陀・仏法・僧伽に
悟りの心髄に至るまで
私は帰依いたします
智慧と慈悲を持って精進し
すべての有情を利益するために
私は仏陀の御前に
完全なる菩提心を生起いたします
この虚空が存在する限り
有情が存在する限り
私も存在し続けて
有情の苦しみを滅することができますように
川口英俊 合掌