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死ぬために生きるということ

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長文失礼致します。
「早く死にたい。なんのために生きているんだろう」という、答えの出ない疑問に悩んでいます。
前々から思っていた事ではありますが、最近は特に強く、そして気付けばずっとそのことばかりに頭を悩ませています。

数年前、母がうつ病を煩ってからというもの、発達傷害を持った姉の事もあり、両親の喧嘩は毎晩絶えず、その度私は一人で声も出さず泣く日々を繰り返しました。
当時小学生だった私に頼れる存在はなく、他の兄弟もすでに自立しており、我が家ながら自分の居場所がどこにもない感覚に押し潰されていました。

幼少期の経験からか、今は対人恐怖症なのかなと思う程人と関わるのが苦手で、集団の中にいると酷く虫酸が走るような感覚に襲われ「どうしてこんな所にいるんだろう」と、自分の存在意義を見失います。
昔から勘の鋭い自覚はあり、相手の顔を見るだけで相手の考えている事が分かってしまう為、カウンセラー相手でも本音を言う事は滅多にありません。

己を含む人という生物が嫌いで、その為他人から向けられる好意が気持ち悪く感じてしまいます。
そのくせ人を傷付けることが怖くて出来ず、自分が傷付けたという事実に自分が傷付き、自己嫌悪に陥ります。
「他人を傷付けるくらいなら自分だけが苦しい思いをしていればいい」と、笑顔を作り、他人を優先する…我ながら馬鹿馬鹿しい程の矛盾と無意味な自己犠牲のせいで、結果他人から好かれ、異性からは好意を向けられたりと、終わらない悪循環で苦しみます。

そして例えば、化粧っ気のなかった同級生が久々に会ったら化粧をして綺麗に着飾っていたりなど、自分の知らない所で周りが変わっていってしまうことに恐怖を感じます。
つい最近、年の離れた姉の妊娠事実を知りました。喜ばしいことのはずなのに、最初に抱いた感情は戸惑いや恐怖でした。姉と彼氏との仲がそこまでよくなかったこともありますが、それよりも自分の姉が姉でなくなる事に漠然とした喪失感を覚えました。
姉を独り占めしたいだとか、そういう事ではなく、ただ変わることへの恐怖が非常に強いです。自分は変わりたくない。

このように、人とろくに関わる事もできず、どうしようもない性格なのでこの先不安しかありません。死ぬことを考えてる時は他のことを忘れられるので、今はどうやって死のうか、又、大人になったら死のうと心の逃げ場を作っておく事で生きています。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人と人との繋がりの中で、心の居場所は、見えてくるものだから。

そっか。。。恐怖や不安。。。だったら、死んだほうがいいかな〜 そう考えるほうが気分がラクなんだねぇ。。。

この世は、時間が流れ、いっときも留まることがありません。環境も、人の気持ちも、自分のことだって、本当はよく分からないまま、その流れに生きている。安心できる居場所は、そのときどきで、変わっていくのかも知れない。いや、私が変わっていっているのかも知れない。
実際には、みんな、そんな深く考えずに、今を生きている。

あなたの取り巻く環境でね、親や 姉さん、お兄さん、友達、みんなそれぞれに、移りゆく時間を精一杯生きているとね、自然と環境は変わっていくものよね。それも、あなたにとったら恐怖や不安なのよね。

そこを解消するのは、あなたの その気持ちを、ちゃんとぶつけることだと思うよ。上手く言葉に出来なくても、こんなふうに感じるんだって、ここに私 居ていいんだよねって。

人と人との繋がりの中で、心の居場所は、見えてくるものだから。

私は、悩みを解決するカウンセラーではないけれど、あなたの気持ちを、その気持ちのまま、尊重したいなって思うよ。
どうこう出来るものじゃないけれど、私は変わらず、あなたの気持ちを受け止めたい。ちゃんと認めてあげたい。

死ぬ道まで考えるのならば、これが縁だと思って、また連絡ちょうだいね。

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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仏様に導かれて

拝読させて頂きました。あなたの思いをじっくりと読ませて頂きました。
己の存在や回りの存在を考えると嫌悪感をもつことは確かにあるでしょう。生きることがすべて罪でもあるように感じることもあるっでしょうし、それぞれの生きざまを見ると恐ろしく感じることはあると思います。
あなたがそうお感じになることは否定されることでもありませんし、その時その時の感覚は人生の中で常に揺れ動いていきます。
自分にも他人にも不安や恐怖を感じるでしょう、そしてこれからあなたが成長なさっていく過程でも様々な感情が入り混じって参ります。

普遍的な真理として今いえることは全てのものが移り変わりゆくという事実です。
私達自体もおよそ3カ月でその細胞は移り変わっていき、決して同じ状態を留めることはありません。ですから自分であると自覚している自分も常に変わっていっているのです。
当たり前と言われればそうですが、その現実を自分が受け止めて受け入れていくことは本当に恐怖と隣り合わせのことです。
それぞれの細胞には寿命があり、新陳代謝をしてもその生命には寿命が与えられています。
まだまだ先の事かもしれませんが、あなたにも私にもあなたのご家族様にも同様にその事実は与えられているのです。
そのことをどう受け入れていくのかが実は人生で一番大切なことではないかと思います。
誰しもが普段は意識しない或は目を背けている厳然とした死に向かっているという事実に向き合うことはとても恐ろしいことでもあります。
そこでは自分を取り繕うことはできません。ありのままただただ受け入れていくほかはありません。
これからの人生において様々な出来事もあるでしょうし、様々な方々との出会いや別れもあるでしょう。あなたはありのまま素直にお向き合いなさって頂いて喜びや苦しみの波を乗り越えていって頂きたいと切に願います。
あなたも私もその生命が全うされる時には必ず必ず仏様がお迎えなさってくださいます。そして心安らかに仏となっていくのです。まだ人生は始まったばかりです。

あなたがこれから素敵な出会いや経験の中で素直に成長なさっていかれてその生命を力強く発揮していかれ、仏様に正しく導かれて参ります様にと切にご祈念申し上げます。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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