お香典について
先日学生時代の部活の顧問の先生のお母様が亡くなられたことを、当時の部活のリーダーがグループで連絡を取れる某アプリにてみんなに下記のように伝えました。要約してあります。
・なるべく参列しましょう。
・行けない人でお香典を協力してもいいという人は一人1000円集金の考え
上記意見のある人はいますか。
という内容でした。
そのメッセージにみんな長いこと返信しておらず、先生ご本人でなくお母様ですし、きっと遠方に住んでいる子は困っているのでないかなと思い、私が一番初めに案を出しました。
あまり悪い印象もたれたくないのでやんわり書きましたが、要約すると個々の判断で行くのはいかがと案送りました。
そしたら別の一人の子がお香典は集めたほうがいいと言いだして、強制でなくてもお香典を出さなければいけない雰囲気になったと思います。
集金方法は伏せますが、県外の人も出せる方法になりました。
私は地元にいるしお母様は知りませんが先生にはお世話になってるので、出しましたが、お香典は募るものでもないと思いますし、「お気持ち」だと思うから事実だけを伝えてあとの行動は個々に任せてよかったのではと思います。
また、卒業して何年もたつので先生への温度感も人それぞれ違うかもしれないです。それにご本人ではありません。
実際、私が個別に連絡を取った子は、
「先生なら間違いなく行くし、お香典も出すけど、お母様は知らないので遠慮します」との答えがきました。
グループメールだったからみんな本心が言えなかったのかな…
それとも私がみんなとずれてるのかな…みんなに冷たい人間と思われて嫌われたかな…と心配です。
私なりに、他のみんなの立場、先生側の私たちへの気遣い等考えて案を出してみたんですが。
私としては、葬儀関連がいろいろ落ちついた時にみんなで先生を囲んで食事会をした方がよっぽど先生も元気づけられて気も遣わないと思うんですが。
自分がみんなとずれていることに今ちょっと落ち込んでいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
考え過ぎですぜ。このくらいでは嫌われません
私もよく意見を言ったり、何か言えよ的な視線を送られる方なので、ご心配なさる気持ちは分かる気がします。hasunohaでも先にご回答なさっているお坊さんと逆のことを書くと色々心配が尽きません。ホントですよ。
今回の件はあまり深く考えなくて良いと思います。お香典を募ること自体は珍しいことではありません。「香典 募る」でググってみて下さい。「会社で香典を募ることになったが、案内の書き方を教えて下さい」 というQ&Aがたくさんヒットします。
お香典を募ることには
・誰がお香典を送って誰が送らなかったというトラブルを避ける
・誰の時は大勢の香典が集まり、誰の時は少なかったというトラブルを避ける
・「〇〇一同」で香典をしたいが、予算が無いので公平に集めたい
・「〇〇一同」で香典をする方が、1人1人任意に香典をするよりも結果的に1人あたりの出費を抑えられる
など色々な意図が考えられます。
また、バブル期の前までは「お香典の範囲内で葬儀をする」というのが珍しくありませんでした。落語にも長屋でお香典を集める話があります。タイのあたりでは先に香典を集め、集まった金額を見てどの程度の葬儀にするか検討します。
現代日本でもお香典返しやお斎など全部込みで百万単位になる場合が多いです。それを当家だけで負担するのは厳しいので、地域社会や職場の繋がりが『お互い様』の精神で分担し合うのがお香典の裏の意味です。だから昔は『大勢で賑やかに送り出した方が良い』とされていました。この辺の認識が失われつつあるのが『人と人との繋がりの希薄化』の一面だろうと私は考えています。
まぁ、ここまで書いておいてナンですが、私も昔の部活の先生のお母様なら参列もお香典もしないと思います。温度差があると困るグループでもありませんし。よほどのガッツリ部活なのでしょうか…
「なるべく参列」も子育て世帯が増えてきたら雰囲気が変わってくるでしょう。
さて、本題が最後になりましたが、みんな黙っていたのは日本人の長い物には巻かれろ心理でしょう。
十人いれば十人それぞれの考えがあり、往々にして声の大きい人の意見が通るものです。何が正しいかではなく、ただの集団行動ですからあまり考えても仕方ありません。ついつい自分で心配してしまうほどには、みんな議論に関心を持っていないものですから大丈夫です。このくらいで嫌われはしませんよ。大丈夫。
自主的なことですから
拝読させて頂きました。お通夜葬儀にお包みなさるお香典は亡くなられた方をご供養する為のものです。
確かに社会的なお付き合いや義理で参列してお包みなさることもありますが、本来の意味と離れています。
お亡くなりになられた方を真心込めてご供養することが何より大切なことです。
表面が大切ではなく、中身である何が大切なことかを考えればおのずと答えは出て参ります。
そして供養なさることは決して強制ではありません。自主的な行いですから。
あなたの素直なお気持ちで考えて行動なさってくださいね。
お悔やみは個々の判断でいいと思います
めめさん私もあなたの考えでいいのではと思います。書かれているように亡くなられたのは昔の部活の先生のお母様であり先生本人ではないし、当然亡くなられたその方のお顔を存じ上げないわけですよね。また顧問の先生への想いや感情もそれぞれに各自温度差があってしかるべきだと思います。ですからあなたが各自の判断でとは自然なお考えだと思います。付き合いの半ば強制で香典を頂いても先方もそのことを知ったらかえってご迷惑では思います。私も同じようなことで周囲にご連絡する時はあくまで各自のご判断でしていただくよう気を配っております。本当は皆さんもあなたと同じ気持ちでしょうが、グループなので本音が言えないのだと思います。気になさる必要はないと思います。ただ、多少なりともご縁のあった方になりますから、その方のご冥福を祈っていただければ幸いですが。
質問者からのお礼
みなさま、ありがとうございました。
お香典の本来の意味や昔の風習も知れて為になりましたし、自分が思ったことが普通で安心しました。
私たちの部活は団結が命となる部活で割りとがっつりな部活でした。でも今はそれぞれの家庭事情もありますしね。独身の私が言うのもなんでが。
質問には書かなかったのですが、私が一番ひっかかってたのが言い出しっぺの部長が県外に住んでいて、地元にいる他の部員に全てを任せたことです。
私が思うにその部長が先生のお母様が亡くなった→通夜参列すべき→でも自分は県外で行けない→みんななんとかして!!
といったとこだったのかなと思います。香典募り終わって支払い方法も決定したのち、部長から「いろいろご意見があるかもしれませんが、香典集めます」と言っていた部長が「でもこれ先生のお母様だから強制でないです」とメールを入れてきたので、私もだから初めに言ったのに。。という気持ちになったのが嫌われたかどうかよりももやもやしているポイントだったのかもしれません。
みなさまのご回答を見て、誰かが亡くなるということはあって欲しくないですが、参列する際は真心やその人に感謝の意をこめて送りだそうと思いました。