百箇日、喪中について
本日祖母の49日を終え、納骨いたしました。
先日こちらに49日前にも関わらず男性と深夜まで一緒に過ごし、その末にホテルに行ってしまったと後悔の旨質問させていただき、愛のあるご回答いただきまして、本当に心が軽くなりましたが、祖母は無事によい道に行くことができたのだろうか、自分の行動を見て悲しい思いをしなかっただろうかと不安で、未だに自分の行動を少し後悔してしまう時があります。
今回もそれに関係する相談です。その男性と関係に進展がありそうで、今後のデートのためにも百箇日を迎えるまでと喪中の期間も慎むべき行動があるのか教えていただきたいです。そしてやはり宗派に従った行動をとるべきなのでしょうか。(ちなみに家は曹洞宗です。)今後後悔しないためにもアドバイスをいただけたらと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ことさらに心配されることはないと思います
喪中がいつまでというはっきりした決まりがあるわけではありません。宗教宗派というよりも地域やお家の習慣で、おおよその期間や慎むべきことが伝わっているといった方が良いかも知れません。
ひとつの目安として、一周忌を小祥忌、三回忌を大祥忌と呼ぶことがあります。
小祥忌は「小さなよろこびごとをひかえる」、大祥忌は「大きなよろこびごとをひかえる」という意味であると言われます。
「小さなよろこびごと」はたとえば婚約などの家族内での慶事であり、「大きなよろこびごと」は結婚や新築など家族以外の方も巻き込んでの慶事と考えればよいかと思います。
いずれにしても、あからさまに慶事を祝うことをつつしみましょうということで、結婚式は少し先延ばしにするけど入籍だけは先にしておく、というような場合まで制限されるかどうかはそれぞれの判断によると思います。
好意ある方との交際や一緒に何かを行うことは日常生活の一部だと思いますので、ことさらに喪中だから云々と心配されることはないかと思います。