何もしたくない、人が怖い
大学二年生ですが、常に何もしたくなく、何もしてきませんでした。
大学に友達いません、資格もありません、趣味も楽しいこともありません。
この2年間ほとんどお家で寝転がってゲームかスマホかたまに読書してました。
望んでしてる筈なのに苦しいです。
何だか辛くてよく泣いてます。
友達も欲しいけど、人と仲良くしなければいけないのが辛いです。話せることもありません。興味のないことをきく忍耐もありません。
入学後は頑張って周りに合わせてましたが、数日で食欲がなくなりました。
それ以来無理しなかったら友達できませんでした。
よく同じ趣味の人を探して友達になるといい、とは言いますが趣味はありません。
趣味を探そう、みつけようと考えても、何をすればいいかわかりません。
何もしたくないからしてない筈なのに、苦しい。
どういう気持ちで、何をすれば楽になれますか。
死ぬまでこんななのは、嫌だなぁって、思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
何もしないことを「している」のです。
なこ様
こんにちは。拝見させていただきました。
趣味もなく何もしていない毎日がつらいとの事。自分で望んでいるはずなのにつらいというのは、本当は望んでいないのか、もしくは、「友達を作らなければならない」「皆に合わせて大学生らしい生活をおくらなければならない」「趣味を持たなければならない」という「べきである」という押しつけられた価値観が自分を責めることにつながっているのではないかなと感じました。
まずは日々の生活の自分をよくよく見つめてみることです。この場合の見つめるとは「責める」ことや「正しく」することではありません。動物園の生き物を観察するように「あなた」を観察するのです。どういう生態で生きているのかを知ることです。どんな時に気分が楽だと感じるのか、どんな時に嫌だなぁと感じるのか、そういう事を知ることが大切です。
スマホをいじっているならスマホで思ったことを感じた事をブログに書いてみましょう。ゲームならゲームの事、本を読んだ感想を書きましょう。こうしてハスノハに書ける文章力があるのですから大丈夫だと思います。友達は別に人生に必須ではありません。いなくても十分楽しい人生はおくれます。私は「友達100人出来るかなの歌の呪い」と呼んでいますが、友達が出来ないと「いけない」と思い込まされている人は結構多いです。
お坊さんですので是非仏教を学んでくださいと言いたいところですが、手近なところで写真をとることを始めてみてはいかがかなと思います。無趣味ななこさんだからこその良い写真がとれると思います。もっと個人的な事を言えば海外旅行にいきましょう。世界を知れば自分を知ることができます。合掌
お寺に足を運んでみては
お寺で開かれている、座禅会などに行ってみたらどうでしょう。必要以上に話す必要もないし、自らを知ることもできます。進むべき道が見えてきます。
ぜひそうしたところで、真剣に人生に向き合う人同士会話もできるように自然になるでしょう。頑張る必要もない。ただ自分とは何か、生きるとは何か、そうした疑問の答えを見つけることで、気持ちは楽になるはずです。
質問者からのお礼
座談会などへの参加は考えたことありませんでした。
近場では見つかりませんでしたが、探して自分を見つめ直すことから始めてみようと思います。
回答頂けて大変嬉しいです、ありがとうございした。
けんじゅ様
回答を拝見し、中学時代に日記をつけていたことを思い出しその日あったことを書いてみました。
何もないと思っていましたが、あれが面白かった、かわいい、など色々なことを考え思っていたことに気がついて、
全くの無ではなかったんだなと感じます。
また、先日出かけた時に写真を撮ってみました。
きれいに撮れると嬉しいものですね。
写真を撮ることをきっかけに、出かけてみたいと思います。
べきであるという価値観、言われて気がつきました。おっしゃるとおりです。
本当は、友達がいないこと自体ではなく、
いなければいけないのにいないことが、辛いのかもしれません。
この考えからはなかなか離れられないと思いますが、自分に大丈夫と言い聞かせていきたいです。
お礼が遅くなり申し訳ありません。
回答ありがとうございました。