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なぜ今を生きなければいけないか

いつだったか、SF小説を読んで人間という生き物はとてもちっぽけでくだらない生き物だと感じたことがあります。
その思いは今でも私の根底にあり、私は人間が命を繋いでいく意味、私という人間が今を生きていかなければならない意味が分かりません。
ただ、弱くて不器用で、これから何も成し得ないだろう自分に対するあてつけや逃げの発想だろうとも思います。
いっそのことなにか精神的な病気にでもなってしまえればと何度も考えましたが、身体だけは健康体な私はメンタルにおいても中途半端なところで行ったり来たりを繰り返すだけで、結局何者にもなれないんだと惨めな気持ちになります。
彼氏にも、出来ることなら早めに死んでしまいたい、と言ったことはありますがどうしてそんなこと言うの、と窘められましが私にはそうやってたしなめる彼の気持ちが分かりません。
痛いことは想像するだけで心が苦しくなるので、自殺はすることはないと思います。
痛みもなく死ねるよ、と言われたら喜んで飛びついてしまうかもしれませんが。そんな状況はきっと妄想か漫画の世界だけでしょう。

私には気分の波があり、沈んでいるときは上記のようなことを永遠と繰り返し答えの出ないことで生きる理由を見失い虚無感に涙をながしています。
浮いている時も一時悩みもなくなり浮ついた心になりますが、沈んでいるときの落差からほんとうに今の自分は正しいのか、またすぐ沈んでしまうのではないか、そして改めて自分には何もない、自分は何者でもない、何者にもなれないことを認識してしまい自分は何をやっているのだろうなと物悲しくなります。

どう意識を切り替えていけば、少しは生きることに対して光を見出せるでしょうか。
どう方向を定めていけば、自分に対して前向きに向き合っていけるでしょうか。
長々と申し訳ありません。どうかご回答の程宜しくお願い致します。

生きる意味
有り難し 36
回答 3
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

「生きること」そのものが私たちの役割

お坊さん目線で「インターステラー」や「ルーシー」などのSF映画を見ていると、「ああ、すごい仏教的(密教的)だなぁ」と思うことがあります。
インターステラーは、五次元の宇宙空間に迷い込んで時間や空間を超えていくお話ですし、ルーシーはドラッグによって無理やり自分の脳機能をこじ開けられた結果、宇宙の真理に達していくというお話。お坊さん目線で言えば、どちらも「宇宙は自分の内面にあり、自分は宇宙そのものである」というテーマが根底にある気がします。
今でこそ映画や小説という媒体を用いて世界中でこうした考えが簡単に知れますが、昔はこうした宇宙観はもっぱら哲学や宗教の分野でした。
特に、密教はこの「宇宙観」を説いた教えであり、教えと実践を通して「宇宙を体験する」というスケールの大きい宗教です。これが、日本では弘法大師空海の頃から説かれる、ある意味で「仏教界のSF」です。笑
密教の教えをとってもシンプルに言えば
「自分は宇宙の一部であり、つまり自分は宇宙そのものである」という考えです。
自分は宇宙の一部で、芽吹いては散ってゆく花のよう。そしてまた大地に戻り栄養となり、姿を変えて芽吹くのです。

宇宙からすれば人間はちっぽけな存在....だとすれば、すごくワクワクしませんか?自分が勉強し、瞑想し、内面に向き合えば向き合うほど宇宙の真理び近づくんです。これはなにも宗教的な話ではありません。アインシュタインだって南方熊楠だって、突き詰めていくと宇宙観に没頭したんです。

なぜ生きなければならないか?
本来、意味はありません。だって全ての生命は風や雨と同じ現象です。しかし、それら些細な現象が無限に起きては消えてこの宇宙が成り立っています。私たちは宇宙を構成する大切な1人なんです。風には風の、雨には雨の役割があります。
そう考えれば、悲観的になる必要もないと思いませんか?死さえ命の一部です。
宇宙から生まれ、死に宇宙へかえり、また宇宙から生まれます。そう言った意味で生命は永遠であり、本来自分も他人も同じ存在です。あたかも大きな木から芽吹く木の葉のように、先端の姿が違うだけでもとは一緒です。
あえていうなら、「生きること自体が私たちに与えられた役割」なんです。

意識の切り替えを必要とするならばただ一つ。
「スケールのでかい宇宙は、自分の内面にこそある!」と自覚することです。

回答僧

仙如

1日1つちいさな善いことする

かこさん

あなたの言う通り人間という生き物はちっぽけでくだらない生き物です。くだらないだけではなく,森林をを壊して海を汚して他の生物に脅威を与え絶滅に追いやりロクなことをしません。
人間がいなくなれば自然は美しさをとり戻します。そう考えると私も自分がいなくなればいいと思います。せめて1人分のごみは少なくなるし、私などどうせ大したこともできないし、かといって死ぬほどのこともないし~と私もそういう考えを根本に持ちながら生きています。ちょっと気分が沈みがちの時は、「他のお坊さんならもうちょっと気のきいたこと答えるんだろうから私でないほうがいいかな」と思ったりもします(笑)

ただどうしようもない虚無感の根底には「意味あることをしたい」「何者かになりたい」という気持ちがあることも事実です。かこさんの文章のなかにも「何かを成し得たい」「何者かになりたい」という気持ちがとても感じられます。そういう衝動の少ない人はそもそも生きることに光を見いだしたい、前向きになりたいという問いを発しないものです。

あなは地上でこういうと問いと向かい合うためにやってきたいのちであると思ったらどうでしょう。偉大な哲学者もお釈迦さまもみんなこの「生きる意味」問いながら生きたのです。
あなたもそういう系譜につながる一人です。もちろん人それぞれ能力が違いますから誰もが名を残すような偉大な哲学者にはなれませんが,その問いを小さな行動としてあらわしていかれることを提案します。ほんとうにつまらないくだらないことでいいのです。そもそも人間はくだらないのですからね。

たとえば、1日1つ道のごみを拾うとか、エレベーターで「お先にどうぞ」とすすめてあげるとか。1日1つ何かいいことしたら手帳に書いていってみてください。小さいことから行動としてあらわしてください。あなたは意味あることをできる可能性を持っている人です。だから1日1つの善いことをすることからはじめてください。いきなり意味あることはできないのです。小さな積み重ねです。いつか、かこさんの前方に光が見いだせますようお祈りさせていただきます。仙如

おっしゃるとおり。
人間はちっぽけな存在だなと、私はプラネタリウムに行くと思います。

人類......さらに突き詰めると、生命体がなぜ存在しているのか、私も分かりません。
なんでこのような存在が、できたのでしょうか。

ただ、存在してしまっている以上、この事実は変えれませんし、嘆いたところで無意味だと思うんです。

かこさんは、弱くて不器用で、何者にもなれないだろうと、自己評価し未来を悲観されてますが........
失敗して傷つくことに恐れを感じられてませんか?

確かに、病気になったり、早く死ねたら、もう傷つくこともないでしょう。
でも、よくお解りでしょうが、ご自身がいくら望んだところで変えようがありません。

また、沈んで虚無感に涙を流すかこさんも、浮いても不安を感じるかこさんも同一人物、あなたそのものです。
これも変えることは出来ない。
あなた自身が受け入れてあげるしかないのですよ。

ところで、生きる理由って必要なんでしょうか。
私は必ずしも、必要だとは思っていません。まあ、必要に越したことはないでしょうけど。

かこさんは、生きる理由を考えようとするから、どんどん自分を追い込み苦しみが生まれてくるのではないでしょうか。

私は、今を生きるという言葉が好きですし、よく使います。
なぜなら、過去に囚われず、よくわからない未来を、ムダに悲観しない生き方をする方が楽だからです。

遠くかすんだ、不確実な前方ばかり見て恐れを感じ、歩くことに嫌気がさすよりも......

ガムを踏まない、段差に注意するなど、しっかり足元を見て.......
今出来る事だけをしっかりこなして、人生を歩いて行けば、それでいいのではと思いますが、いかがでしょうか?


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