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曖昧さへの不安感

回答数回答 2
有り難し有り難し 14

お世話になっております。
柴田秋です。

今まで3回質問させていただきました。

・葬式を挙げてほしくない旨
・想いを伝えるのに忍耐が足りない旨
・忘却することに対する困り感の旨

すべてに共通しているものの一つに、曖昧さへの不安感があるように感じます。
つまり、下記のことなどが曖昧です。
少なくとも、私の認識の上ではそのように捉えています。
・死後の世界
・宗教、信仰
・自分を含めた人の心

これ自体は私だけのものですが、コモンセンスとして、他の方にもそういったことはあるのではないかと思います。

3つのことを質問したいと思います。

1.僧職についておられる貴方でも、曖昧なことへ不安を感じることはある、または過去にはありましたか?

2.僧職についておられる貴方は、不安へどう対処する、または対処しませんか?
  ここでいう不安とは、一般的な不安全体としての意味です。

3.対処しないという方に向けてですが、それによって問題が起こった時、同感じ、何を心がけますか?
  または問題がおこりませんか?

僧職と言っても様々ですが、ここは仏教に所属していらっしゃる方への質問の場なので、仏教としての立場でのご回答で構いません。

以上、お手数ですが、お答えをいただけるとありがたく思います。

もし仮にご回答をいただけた場合、ご回答者の方が望まぬかぎり、それを見て何を感じたかは心のなかにとどめておきたいとおもいます。
ご回答していただいた行為そのものへのお礼は申し上げる心構えです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きることは曖昧さの連続です

柴田秋様 質問を読ませていただきました。三点のご質問に対し、私の経験や考え方を書かせていただきます。
世の中は曖昧なことだらけだと感じています。白黒ではっきり決着がつくことというのは勝負の世界くらいではないでしょうか。しかし勝負の世界でも、先のオリンピックのように何年も経ってから順位が変わることもありますから、絶対ではありません。
若いころは自分の行為や言動が他の人にどう映っているのだろうということが気になっていました。気になるということは、あることないこと考えて不安になるということです。恋愛はその代表的なものですね。相手の気持ちが知りたいという一心で行なう行動が電話やメールやデートと言えるのではないでしょうか。
「三つ子の魂百までも」という言葉があります。三歳の頃に身体で覚えた経験や知識、考え方などは百歳になっても変わらないということですが、最近になってウソだという研究結果が発表されました。63年間に亘る研究の結果、14歳の時と77歳の時では全く別人と言われるくらい変化していたというのです。
仏教では、諸法無我と言って、いつまでも変化しない自分というものはないという立場に立っていますが、それが実験的に裏付けられたような形です。つまり、自分でさえ絶えず変化している曖昧なものだということです。
私は不安なものに対し、自分の努力で解消できるものであれば努力を続けます。自分の努力では、如何ともしがたいものであれば諦めて受け入れる努力をします。諦めるという言葉は仏教では大変重要な言葉です。明らかに見極めるというような意味であり、努力を止め放棄するというような意味合いはありません。
仏教では怒り、腹立ち、嫉み、妬みなどの悪感情や、ウソをついたり暴力をふるったり犯罪を犯したりすることは、すべて無明から始まっていると説いています。無明とは物事の道理や真実がわからないということです。何故分からないかというと、煩悩があるからだと言います。その煩悩をひとつづつ取り除いていく道が、八正道や六波羅蜜に説かれています。
少し簡単に書きすぎましたが、あなたが不安に感じておられることへの回答が、お釈迦様の言葉の中(ダンマパダ)に説かれています。一度目を通されては如何でしょう。合掌

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有り難し
おきもち

鳥取市にある浄土真宗のお寺の住職です。36年間のサラリーマン生活を経て20...
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不安と人間と宗教

「死後の世界」や「心」を取り扱っているのが「宗教」ですよね。死後の世界が気になるのは人間だけですし、宗教が必要なのも人間だけです。

「心」とは抽象的な表現ですが、英語にすると、マインド(考える)と、ハート(感じる)に分けられると思います。部位にすると、「脳」と「体」です。

人間は考えるというマインドの働きにより、「死んだらどこにいくんだろう?」とか「心って一体何なんだろう?」と色々頭の中で考えて、思い浮かべます。先走って勝手に結論をだしてしまう人もいます。
ですがこれ、わからないんです。仮に結論が出たとしてもそれは、その人が頭で考えて出した結論でしかなく、その人の考えでしかありません。作り物です。

宗教は私たち人間を「考えの外」に導いてくれるものです。「思考」ではなく「事実」の方向へと。ここで大事になってくるのが、「ハート」です。体、感じ、です。体は常に今にいます。感覚も常に今です。
頭は今には居れません。常に考え、何かを求め、何かを作り出そうとします。

曖昧を嫌いはっきりさせたがるのが「思考」ですが、事実は分からないんです。「分けられない」んです。分からないということが身に染みて分かることが、宗教の目指すところですかね。

思考だけで全て片付けようとすると、この世界は不安だと思います。

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有り難し
おきもち

若輩者ですが、宜しくお願い致します。
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質問者からのお礼

>生きることは曖昧さの連続です

りょうよう様、ご回答ありがとうございました。

>不安と人間と宗教

宗像義順様、ご回答ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ