慈悲の心を増やすにはどうしたら良いですか?
前に質問させていただき回答を頂くなかで、自分に慈悲の心が無い(かなり少ない)と気づきました。性格が悪くなっていると言いますか…
自分を好きになるために良い人間に変わりたいと考えています。アドバイス頂けたら嬉しいです。
下に思いの丈を述べさせていただきます。
慈悲の心は大切だと認識しておりますが、ここ数年で急激に慈悲の心が消えていっています。(自分でも自覚するくらいに急激な変化です。)
元々慈悲の心は少なかったのかもしれませんが、今や枯渇しています。
自分の分析では、自尊感情や自己肯定間が非常に低からではと考えています。そこをまずは何とかしてみよう、自分を肯定してみようと小さなことですが日々の習慣的に継続してできることに取り組んでいます。
また、余裕がないのか(何故余裕が無いのでしょう?)人に対する寛大さも欠けて来ています。
以前人から、私には「白」か「黒」しかなく、世の中には「グレー」が沢山あるのだ。それを理解し許容できなくてはいけないと忠告を頂きました。
今では「今、これはグレーだな」と理解できますが、許容まではできていません。(どちらかはっきりしてと考えてしまいます。)
''大きな苦しみを耐える方が強くなれる、人に優しくなれる''と何かで読みましが、
3年~4年ほど前に大変忙しく厳しい環境の仕事に心を病み、今年異動をした職場で「しんどい、辛い」という周りの同僚に対し、「私の苦しみや辛い環境と比べたら、全然マシではないか!!」と狭い心になっています。
(辞めたり長期の休みなどを取らなかったので、耐えたと自分では捉えています。)
人に対して寛大さも慈悲も無い状況で、自己嫌悪におちいります。自分を好きになりたいはずなのに…
分かりにくい質問かもしれませんが、良い人間に変わるにはどうしたら良いかアドバイス頂けたら嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まずは自分に慈悲を向ける
迷える豆大福さん
自分に慈悲の心が少ないと気づいたということは、このこと自体評価できることではないですか。自分を客観的にみれることが自尊感情や自己肯定感をもつ始まりです。性格が悪くなっている気がするのは、ひとつは自分のありのままがよく観えるようになったからかもしれません。ほんとうはもうちょっとマシだと思っていたのに、ありのままの自分は違ったと知るとショックですね。もう一つは自分をもっとよくしようとか変えようと思って、ちょっと頑張りすぎているかもしれません。無理して自分に厳しくすると、人にも厳しい目を向けたくなってしまいます。
慈悲のこころを持つためには、まず自分に慈悲を向ける必要があります。自分を好きになるということは、理想的になった自分を好きになるという意味ではありません。人に優しくできなくて心が狭くて寛大さのない自分、そういう自分を認めるということではないかと思います。
そうすると、こんな自分でも友達でいてくれる人もいるし、親切にしてくれる人もいるし、助けてくれる人もいる・・・。ありがたいな~と感じる。自分も人を裁かないで、人の悪いところも赦してあげよう。だって自分だってたくさん赦されているんだもん・・・って気持ちになりませんか。
より良い自分になろうとする向上心は人間として大切なことです。でも、上向きばかりでは人は向上しないのです。自分のありのままをダメなまま受け入れることからしか慈悲は生まれてきません。慈悲はエゴの下に隠れています。自己嫌悪も自分を思うように変えたいというのもエゴなのです。
力を抜いて身体の感覚を感じながら「ありがたいな~」と思うことからはじめてみてください。慈悲はだれの心ににもあるものです。まずは自分に慈しみのこころをむけましょう。仙如
質問者からのお礼
回答を頂いたことに気づかず、お礼が遅くなりました。大変失礼致しました。
回答をくださり、ありがとうございます。
ありのままに気づいたというよりも、ありのままは駄目と押さえていた(前もあまり押さえられていないと思いますが…)のが、余裕が無いのか押さえきれず、''自己中心的な嫌な自分が垂れ流し状態''です。
そして、確かに自分に慈悲の心を向けたこともありません。大嫌いです。
(この前も年配の方に、自分の駄目なところばかりでなく、良いところも見つけてあげないと、可愛そうだよ。と言っていただきました。)
それでも、なかなか自分に慈悲の心を向けることができません。
最近では、職場で挨拶をするのもままならず、ダメな自分を日々攻めています。
頑張って自分に慈悲の心を向けられるようになりたいです…
アドバイスくださり、ありがとうございました。