生きていくにあたっての考え方
私は「とても真面目で冗談が通じない」とよく言われました。
私には、生まれて間もない弟がいました。
当時小学5年生だった私は、弟をあやしたり、おむつを替えたり、
時には夜泣きに気づいて親を起こしたりと、子供ながらではありますが一生懸命育児(?)に協力していました。
ところが、4ヶ月になった頃に、原因不明のまま亡くなりました。
とても悲かったのですが、それと同時に怒りが
こみ上げてきてました。
「なぜ生まれて間もない弟が死ななければならなかったのか
神や仏がいるのならば、なぜ弟を選んだのか。
弟を殺したのは神や仏だ、私は絶対に信じない」
それから神や仏・宗教を一切信じなくなりました。
学生時代は性格が仇となって友だちもできず、
いじめの対象になることもありました。
社会人になる頃にはだいぶ和らいで、それなりにコミュニケーションを取れるようになりましたがうつ病を発症。心療内科に通いながらも
「この世界はとても生きにくい」
「死んだほうが楽になれる」
「生まれてきた意味が分からない」
と常に考えながら生きてきました。
しばらくしてから、某動画サイトで般若心経を
聞く機会がありました。
最初はネタ動画として見ていたのですが、
現代語訳がコメントされていました
「超すげぇ楽になれる方法を知りたいか?」
「生き方は何も変わらねぇ、ただ受け止め方が変わるのさ」
それらを何気なく見ていると、涙が止まらなくなりました。
物事が良くも悪くも転んだ時は、それが運命だと
半ば諦めながら生きてきました。
今まで思ってきた宗教観は間違いではないのか?今まで否定してきたけど、こんな私でも信じていいのか・・・?
神や仏を崇めるだけが宗教ではなく、もっと身近なところに「答え」みたいなものがあったのではないか?と考えるようになりました。
しかし、神や仏・宗教を信じないと思い二十数年経ちます。
今更考えを改めるのは、侮辱することになるのではないかと思い
申し訳ない気持ちで一杯でいます。
この世に神や仏がいるのかは分かりません。
しかし、般若心経を聞く(読む)と少しだけ見えるような
気がしました。
知恵も知識もない私ですが、少しだけ信じても
良いのでしょうか?
わかりにくい長文になりましたが、
説教していただければ心がとても救われるような気がします。
何卒よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自灯明・法灯明
「仏様の救いって何かと私も本当によく聞かれるんですけど、仏様っていうのは自分の足で歩かない限り助けてくれないんですよ。だから仏さんの救いって何ですかっていうことを、ある弟子が聞いたら、仏はあなたの苦しみを拭い去ることもしない、あなたの手を引っ張って悟りへ導びかない、あなたの苦しみに同情もしない、私はただただ真実を説くだけだと。つまり、真理・真実を説いてあなた考えなさいと。だから自分の足で歩けるかどうかをやっぱり仏様は見ている。」(テレビ『ぶっちゃけ寺』東賢性師発言)
「 仏さまに祈れば救われるとお坊さんは本当に思っているのですか?」という質問に対するご回答です。私は思いました。よくぞ全国放送で言って下さいました!と。
ぶっちゃけ、弟さんの死と神仏を結びつけたのは、あなた自身の頭の中で展開されたストーリーです。それを般若心経では顛倒夢想(てんどうむそう)、つまり逆さまにひっくり返ったような妄想だと喝破しています。
眼、耳、鼻、舌、皮膚に触れたそれぞれの情報は自然の作用です。そこからパッと感じるもの、例えば弟さんの死に触れて悲しいと感じたこともまた、生物の進化の結果として自然の作用です。ですが、そこから踏み込んで意味付けをしたり、嫌ったり好んだり恨んだりするのは全て、自分の頭が展開している夢想です。それら全てから遠く離れなさい。そうすれば、恐ることなど何も無いのですよ。恐る余地が無くなるのですよ。
そうですね…私としては、信じる信じないありきではなく、まず仏教をありのままに知っていただきたいです。そのためなら、いつでもウェルカムです。
あなたは変わって良いのですよ、諸行無常だから。変わったらいけないかもしれないとか、変わったら侮辱になるかなとか、それもまた、あなたの頭の中で展開しているだけの議論です。
ただ、先ほど「パッと感じることは進化の結果として自然の作用」と書きましたが、これは日頃の習慣の力によって調えることができます。そこを調えなさい、調えればあなた自身が楽になりますよ…と、お釈迦さまはおっしゃっています。
>おのれこそ
おのれの救主(あるじ)
おのれこそ
おのれの帰依(よるべ)
されば
まこと 商侶(あきゅうど)の
良(よ)き馬を
ととのうるがごとく
おのれを制(ととの)えよ
(法句経380、友松円諦訳)
多分、あなたはもう仏に出逢っています
はじめまして。
頭(理屈)で信じようが信じまいが、ゆうさんの心はもうすでに仏さまに出逢っていらっしゃるように感じられました。
ただ、ゆうさんが般若心経を通して出逢った「仏さま(神さま)」は、ゆうさんが今まで思い描いていたそれとは、全く異なる性質の存在です。
おっしゃるとおり「答え」は身近なところにあります。
そして、その「答え」には人間の分別を超えた深さと広がりがあります。
その「答え」を仏教徒である我々は「仏さま」(キリスト教では「神さま」)と呼びます。
そして、その姿を、より明確に浮き上がらせるために「答え」に敬意を払い、日々地道に精進するのです。
難解な知識は不要です。
必要なのは、フラットであろうとする心がけと謙虚な学びの姿勢。
般若心経に触れたときの気持ちを忘れずに、毎日に感謝して真摯に生きる。
これをベースに、時間をかけて仏さまとしっかり向き合い続けて下さると嬉しいです。
合掌
縁起を見るものは・・
ゆう様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
弟様のことは、誠につらいことでございましたね・・幼心ながらにも抱えられた理不尽なことへのお気持ちも、もっともなことでございます・・神仏を恨まれになられても仕方がないと存じます。
般若心経のそのロック的現代語訳は拝見したことがあります。
拙生の印象では、表現的に良いなーと思うところもあれば、少し違うかな・・と思うところもあったり、でもそんなに大きく外れているとは思いませんでした(と、偉そうなことを言える身では全くないのですが・・)
般若心経は、「空」を説くということはもちろんなのですが、「空」と共に「縁起」というものも説きます。
「縁起」について、我々にとって分かりやすいのは、「結果には、必ず原因と条件がある」ということであります。
今、出ている結果にももちろん、原因と条件がありますが、今出ている結果の原因と条件はどうあがいてももう変えることはできません。
しかし、これからの結果へと向けた原因や条件は変えれることができるものがあります。
その中で、釈尊がお説きになられたのは、悟り・涅槃という結果へと向けての、その原因と条件についてでございます。
仏教は、釈尊が説示なさられました、その原因となるもの、条件となるものをしっかりと学び修していくことで、良い結果へと向けて調えていくことを目指して参ります。
釈尊は「縁起を見るものは法を見る。法をみるものは縁起を見る」・「縁起を見るものは法を見る。法を見るものは仏を見る」とおっしゃられましたように、仏教は、「信じる云々」というよりも、「縁起」の理の欺かないことをしっかりと知れば、自ずと、善い因縁の行いを積むべくに仏法を学び、そして、実践していくことによって、やがては仏となれるのですよ、という教えでございます。
どちらかというと、まずは、仏法というよりも、「縁起」の理について納得してみなさいと、そして、納得してから、仏法を学びなさいと、そんな感じでございます。
何も根拠もないのに、いきなり信じる、信じないとかではなく、まずもちろん、疑って、釈尊のおっしゃられていることが本当に正しいのかどうか、それをしっかりと吟味していくことからでも構わないのではないだろうかと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがたいお言葉とお叱りを頂きありがとうございました。 仏は「あなたの苦しみを拭い去ることもしない、
あなたの手を引っ張って悟りへ導びかない、
あなたの苦しみに同情もしない、私はただただ真実を説くだけだ。」 まさに仰る通りだと痛感しました。 勝手に自分の中で意味付けをしたり、何かに理由をつけて
何かのせいにして楽になろうとしていたところがあったと
思います。 これからは自分自身が楽になるためにも大慈様が仰られるよう
「自分の頭が展開している夢想」を少しでも払拭できるよう日々を
生きていけるよう頑張ってみようと思います。 そして自分自身を調え、仏教の世界や、般若心経の正しい教えを
学んでみたいと思います。 おのれの救主(あるじ)
おのれこそ
おのれの帰依(よるべ)
されば
まこと 商侶(あきゅうど)の
良(よ)き馬を
ととのうるがごとく
おのれを制(ととの)えよ 肝に銘じてこれからも日々努めていきたいと思います。 今回は本当に有難うございました。
妙香様
ありがたいお言葉を頂き、ありがとうございました。
今、私が出逢うことができた「仏様」を大切にしたいと強く感じております。
日々精進する心を常に持ち続けたいと思います。
また、「フラットであろうとする心がけと謙虚な学びの姿勢」を忘れず、辛いことや楽しいことも前向きに、
日々を健康に送れることに感謝します。 時間をかけて仏様としっかり向き合い続たいと思います。 今回は貴重なお言葉を頂けた事に感謝します。
ありがとうございました。
川口英俊様
ありがたいお言葉を頂き、感謝しております。
皆様からのお言葉を頂き、私の中にあったやりきれない気持ちを
神様や仏様へぶつけていた、八つ当たりしていたと気付かされ
とても恥ずかしい気持ちでいっぱいです。
結果につながる「原因と条件」となるものを時間はかかるでしょうが、
少しずつ学んでいきたいと思います。
皆様からお言葉を頂戴し、仏教の世界に強く興味を持ちました。
仏教は何千年もの歴史があり、宇宙のように広く・深い世界であり、
私のような人間がどれだけの事を学べるかは分かりませんが
まずは「縁起」の理について私なりに学び、納得することから始めたいと思います。
今回は貴重なお言葉を頂き、とても感謝しています。
ありがとうございました。