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ペットの死についての深い後悔

先週愛犬が亡くなりました。13歳でした。留守にしている間の出来事です。主人が看取りました。
私達が出掛けるとき、元気に鳴いてはいたのですが、数日前から体調を悪くしていたのも事実です。

ちょうど4年前に新しい家に引っ越してきて、旧宅時代は玄関で飼っていたですが、新しい家で室内で飼う選択を出来ず、ガレージの中のケージで飼っていました。
旧宅時代は玄関の中で誰かが帰ってくる毎に声をかけたり撫でたりしたのですが、引っ越してからは、ガレージで、自由もきかず、可愛がっていたお兄ちゃん達も独り暮らしを始めて、色々なストレスがあったのかなと。3年前から痩せ始めました。
でも、とても元気がよかったし、散歩も必ず毎日行ったし、食欲も旺盛だったし、高齢にもなっていたので、最近は動物病院にも相談していませんでした。

先々週から体調を崩していたのですが、動物病院にはかかりませんでした。

後悔です。誰からも愛される見た目もかわいい愛犬でした。
なぜもっと撫でたり遊んであげなかったのか、もっと自由にさせてあげなかったのか、私のことが大好きだったのに構ってあげなかったのか。動物病院に連れていかなかったのか。死ぬときも一人で行かせちゃったし。主人は愛犬を好きではありませんでした。
引っ越してからは、人間が快適な生活になったのに、広い家で愛犬は狭くつまらない自由もない生活をさせてしまい、後悔で一杯です。

何を見ても愛犬を思い出し、涙し、夜は眠れません。可哀想なことをしたな、寂しい思いも痛い思いも苦しい思いもさせたなと。
私に出来ることをしてあげてなかったなと。
そう思いながらも、この辛く苦しく深い悲しみからから抜け出したいと思ってしまいます。
子供にも冷たく当たってしまっています。いけないとはわかっていても。
時間が過ぎて解決してくれるまで待つしかないのでしょうか。

有り難し 125
回答 2

質問投稿日: 2015年8月5日 18:41

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。
回答僧

慈眼

動物は今のあり様をそのままに受け入れる

ふたばさま

愛犬が亡くなったとのこと。悲しいでしょう。
ペットも家族の一員として考えられるようになった時代です。とてもペットを大切に育てている方が多くいます。ペットは人と話すことができないために、人は、ペットの気持ちを想像して
「こうしたら喜ぶかな」
「こうしたらいけないかな」
「何でこんなことをするのだろう」
と思いを巡らせます。

ただ寝ている姿を見ているだけでも、
「ああ、今日は外を元気よく走ったから疲れたのね」なんて決めつけます。
本当の気持ちは犬にしか分かりませんが、犬は、過去を後悔して悩んだり、将来を心配して生きてはいないと思います。今を、そのままに生きています。

ですから、ふたばさまの愛犬も、「もっとかまってほしかった。」とか
「さみしかった」なんて思いはなかったと思いますよ。

いま、ふたばさんが思っている愛犬の気持ちは、すべてふたばさんの気持ちです。
ふたばさんの想像です。
大丈夫ですよ。ふたばさんの愛情をかけて撫でてあげた時は、そのように愛犬は喜んでいたでしょう。きちんと愛情を受けて後悔の無い人生を送っているはずです。

ふたばさんも安心してください。考えの世界は無限に広がります。しかしそれは、想像の世界。嘘の世界。本当のことではありません。大丈夫です。

すべて、あなたの考えの中の後悔であります。

4年前

ペットを仏様として拝む

ペットは家族と同等か、またはそれ以上の存在ですね。日本ではじめてホスピスをおつくりになった柏木哲夫先生の講演を拝聴していますと、家族はターミナル期の患者さんを苦しめることもあるが、ペットはもう掛け値なしに患者さんを救います、等とおっしゃっています。

私は以前、犬が息を引き取ったからお参りに来てほしい、と依頼を受け、なんで犬なんかのためにとお思ってしぶしぶお参りに伺ったことがありました。しかしただの一回で完全に自分の考えが間違っていることを知りました。ですから、お尋ねの文章を拝読していて、お気持ちが分かるような気がしますし、気に病んでおられるのが当然であるようにも思います。

拝読しているとき、同時に、「愛犬リー」という小学四年生(当時)の女の子が書いた作文のことを思い出していました。長崎の学校の先生で仏教信者だった竹下哲さんという方がNHKのラジオのなかで紹介された作品でした。著作権等がどうなのか分かりませんが、少し引用してみましょう。

「私は、リーが死んでからやっと気付いた。リーは私に、『お念仏をしなさい』と教えてくれた。本当は仏さまなんだ。リーは自分の体を犠牲にしてまで教えてくれた。そのためにも、リーの死を無駄にしないためにも、お念仏でリーを思い出し、リーに篤く感謝しなければならない。私は今になってこう思う。リーはきっと死ぬときに私を求めたに違いない。リー、本当に済まなかった。私はお念仏でリーとまた会いたい。リー、また親さまのもとで会おうね。さらば、リーよ」

ペットとの楽しい日々から、また老いて死んでいったなかから、この子はたくさんのものを教えられたのでしょう。そのことからペットを仏様として拝む気持ちが生まれてきたようです。

今まで、あなたと仏教など宗教との関わりがどのようなものであったか分かりませんが、大切なペットの死を機会に、仏様の教えに触れてみられては如何でしょう。

4年前

質問者からの有り難し - お礼

心優しいコメント本当にありがとうございました。新居での生活から亡くなるまで、悔いの残る過ごし方をしてしまいましたが、愛犬が今の有り様をそのままに生きているとのお言葉に救われました。大丈夫ですと言うお言葉も。

私の後悔は心から消えることはないのですが、今後は悔やんでばかりいないで、今自宅にあるお骨をきちんと納骨し、愛犬の冥福を祈り続けたいと思います。仏様の教えにも心を寄せていきたいと思います。
亡くなってから1週間ちょっと、悲しみ悩み悔やみ寂しさから眠れぬ夜を過ごしていますが、心配している家族のためにも頑張ります。そして、愛犬を子犬時代から可愛がっていたお兄ちゃん達のためにも、今後は家族に対して悔いの残らないような行動をしていくように努力します。

早々に思いやりに溢れたお言葉、心から感謝いたします。

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