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前世の記憶

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今アロマトリートメントの勉強をしていて、人体についても勉強しています。

その中でとてもきになるものがありました。
人間の脳のある箇所に前世の記憶も入っているというものでした。

私は死とは一度死んでしまったら記憶もなくただの固体になってしまうのかと思っていましたが、死んだ後も記憶が残るものなのでしょうか。
魂とかそういったものがあるのでしょうか。

だとしたらかなり面白いです。
私は不思議体験よくする割に占いや霊的なものはあまり信用してませんが、考えれば考えるほど興味深いです。

途方もない質問をしてしまい申し訳ありませんがお考えを教えてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

輪廻転生(りんねてんしょう)といいます。

前世の記憶とは、生まれ変わり死に変わりしていくことの前世の記憶ですね。
人の肉体は朽ち果てますが、
魂は生まれ変わり、死に変わりしていくという教えです。
輪廻は、人が何度も生まれ変わって、それは必ずしも人間に生まれ変わるとうことではなく、動物なども含めた生類に生まれ変わることを意味しています。
魂が無限に転生を繰り返すさまを、輪を描いて元に戻る車輪に喩えられているのです。
仏教では、魂は、物事にこだわったり(執着)と、迷い(無明)によって、
この輪廻から抜け出すことができないのだと説きます。
私は骨接ぎの先生もしているのですが、
アロマと前世の記憶がどのように関連するのでしょうか?
アロマや整体、リフレクソロジーなど代替医療で、
学んでいかなければないのは、解剖学や生理学といった医学的基礎知識だと思うのですが。
人体の構造がどうなっているのか、どういう器官がどのような役割を果たすのか、
神経、免疫、ホルモンの作用。
特にアロマの場合は、嗅神経(きゅうしんけい)は、12対ある脳神経の一つで、
最も頭側から分岐していることより第I脳神経とも呼ばれています。
匂いの感覚を司っていますが、運動機能を持たない純知覚性の脳神経です。
どういう匂いが人間にどういう精神作用を及ぼすのか、
アロマごとの効用について、しっかりとご自身の嗅覚で、
体感していただきたいと思います。
さて、前世の記憶とアロマの関係性についてですが、
残念ながら私は多少ともアロマの知識・経験がございますが、
お恥ずかしい話、初めて聞きました。
アロマはアロマとしてしっかり体感してその効用を学ばれることが優先かと、
できれば、解剖学、生理学、一般臨床医学(病気とその原因ですね)、
衛生学(衛生管理は大事ですよ)です。
お客様お1人お1人の精神状態をお伺いして、
これに対応するアロマをブレンドされて提供されることが大切ではないかと。
スピリチュアル的なお答えができず、申し訳ありません。
私は阿弥陀さまに生かさた人生を生きていくだけですので、
占いもしませんし、祈願や祈祷をいたしません。
ご照覧あれと、生きていくだけです。

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浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向きに楽しく愉快に生きていくためのヒントを自分自身も考え続けながら、また少しでも皆さんのお役に立てればと考えています。できるだけ、わかりやすく簡単にお答えしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。現在も整骨院をやっていますが、医療福祉関係の仕事に長年従事してきました。他に、知的障がい者施設の仕事に関わらせていただいています。また、イジメや引きこもりなど子どもたちのために何かできることがないか、現在模索中です。フリースクールをお寺で開講予定しています。仏教特に浄土学は死ぬまで研鑽だと思っていますが、居眠り専門なのが、課題です。

前世とは1秒前 来世とは1秒後

ありもしないことを空想・妄想して想念の世界に旅立ってしまって今世を見失うのはもったいなきかな。
誰が前世があると言ってありもしないことを認めているんでしょうか。
前世・来世よりコン世を本当に見たことはありますでしょうか。
まず、本当の今世に出会うことからです。
前世とは禅門においては一秒前以降の過去のこと。
実態のないこと。
すでに過ぎ去って、実際ではないこと。
来世とは、一秒後以降のすべて。
未だ来たらざる未来のこと。
過去も未来も今の一念としることです。
今の一念とは、今世の一念。一念とは読んで字のごとく、今の心。
一念は想念に過ぎませぬ。
ともに、今世に地に足がついていないふぁんたじぃわぁるどにて。
たった今の妄想も一秒過ぎればどこへやら。

所詮、前世も来世も人間の妄想・空想でしょう。
空想を楽しむ程度にして、真顔で信じるといよいよ理性ある思考ができなくなって明晰性を欠いて危なくなりますので、あくまで着実に、触れている目前のことを大切に生きて行ってほしいと思います。
ニュースや新聞あたりで前世や来世のことを全く取り上げていないのは何故でしょうか。
夢を壊すようで申し訳ありませんが、夢はゆめ。
現実、真実ならざるもの。
前世や来世があると信じるのは良いというふうにされておりますが、明晰な思考を失います。
あまりお勧めできません。
ちゃんと現実を見た方がいいと思います。
あなたは、まだ今世すら出会っていないと思います。
本当に今世に生きるとは、漫然と想念まじりで生きることではありません。
本当に今世、今、目前を地に足漬けて生きている人に前世と来世はありません。
色々な方の意見を聞いてみてください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
これも輪廻転生なんですね。私は宇宙の果てとか不思議なことを考えるのも好きで前世の記憶もなんだか不思議だと思います。

もちろん、この事はアロマトリートメントの重大な勉強でなく、嗅覚から脳への働きの勉強の際、先生が雑学的に信じるか信じるか信じないはあなた次第というように付け加えて言っていたものです。リンパ等勉強をしっかりしてますが、その説も考えると不思議で質問いたしました。

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