自信のなさを回復したい
いつもありがたいお話を沢山読ませていただいています。
私は現在、人事関係の仕事を四年ほど続けており、特別優等生、というわけではありませんが、真面目に仕事に取り組んでいます。
ですがここ一年ほど、どうにも結果がついてきません。
自分では、心境の変化などは無いと思うのですが、与えられた仕事の変化、仕事環境の変化などが影響しているのか、「やる気が感じられない」と言われてしまいました。
特に、自分ではようやく乗り切ったと思われる繁忙期に、上司から「ここ一番で使いものにならなかった」と言われてしまい、自信がなくなってきています。
そんなことない、まだ大丈夫、今から挽回すればいいと自分に言い聞かせているのですが、小さなミスを繰り返し、悪循環を繰り返しているように思います。
更には、つい先日気づいたのですが、人の目を見て話すことが難しくなってしまっていました。無意識に視線を逸らしてまっており、それが人間関係をさらに悪くしているのでは、と考えると、声まで無機質になっていくようです。
この現状を打破するために、アドバイスいただけませんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あたりまえのことをあたりまえにする
仏教は処世術ではありません。
したがって、こうすればこうなる、というように物事を思い通りにすすめる道具ではありません。
あえて言うならば思い通りにいかないことを思い通りにしようと画策する教えではなく、思い通りにいかないことを思い通りにいかないままに受け入れて歩んで行く教えです。
ですので冷たく言うならば、ユタカ様が現状を打破したいと悩んでいることについては、「何か打破できるいい方法があるはず…そうすれば悩まなくて済むのに」という形で悩むのではなく、「打破出来ない現状にとことん真っ向から悩んでいきなさい」という教えなのです。
しかしそれでは味気ないので仏教そのものではなく、仏教にヒントをもらうならば、
あらゆる物事には原因がある。原因に応じて結果がある。結果から振り返ると原因がある。
ということになりますので、ユタカ様がお考えの原因一つ一つについて改善に向けて丁寧に取り組んでいただくこととなります。
人の目を見て話す
ハキハキと話す
円満な人間関係の維持に努める
与えられた仕事でも主体性を持って取り組んでいく
等、言わばあたりまえの考えです。
しかし、人間あたりまえのことをあたりまえにするのが難しいのです。
あたりまえのことをあたりまえに考えられず、そこから逃げ、何か上手い方法があるのでは?と脇道にそれようとする私たちに、あたりまえの事実をあたりまえの道理として教えてくださるのが仏教です。
まあこう考えると私たちのいわゆる道徳観や、教育の論理や、世間の常識の枠組みとあまり違わない面白くない教えのように感じるかもしれませんが、それは「打破するために」という前提がこの問いにはあるからです。
そこすら問わないのであれば、「打破できなくたっていーじゃん」となるのが仏教かもしれません。
まあ、とりあえずここではこれ以上の深入りはやめておきましょう。
あたりまえの道からそれずに歩めますよう応援しております。
質問者からのお礼
吉武様
早速のご回答ありがとうございます。
思えば、確かに私は、あたりまえの道からそれそうになっていたのかもしれません。
うまくいかないことをうまくいかないものとして受け入れ、できるところから一つづつ取り組んでみようと思います。
ありがとうございました!