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輪廻転生について。

回答数回答 3
有り難し有り難し 35

はじめまして。猫かぐらと申します。
さっそくご質問させていただきます。
お釈迦様は輪廻転生から解脱されたとのことですが、前世を覚えている子供たちが世界中にいて、実際に前世としてその個人が存在していたという確証までとれるケースがあると聞きます。
仏教の概念では、生まれ変わりという意味での輪廻転生はあるという姿勢なのでしょうか。
もしあるのだという姿勢なのであれば、輪廻転生から解脱されたというのはどのような意味があるのでしょうか。
また、生まれ変わりとは、未熟な者が成長するために人生を一からやりなおすということなのでしょうか。
そうだとすると、この世は学校や道場のようなものなのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無余依涅槃と無住処涅槃

仏教は基本的に輪廻を説かなかった、説かれているように見えるのはインドの別の思想が仏教に流入しただけである、といわれることもあります。しかし、私が知る限り、最近の仏教学者はそうは考えておらず、仏教は輪廻転生を説く教えであるとしています。

私たちの目のとどく範囲でも、あなたのおっしゃるとおり、前世を覚えている子供を取り上げたテレビ番組を見たことがあります。臨死体験によって前世を思い出したという報告を読んだようにも記憶しています。

だからこそ、神通力のなかにその人の過去世をみる宿命通というものがあるのでしょう。仏教は輪廻転生を肯定し、それを説く教えだといってよいと思いますし、前世を知っている人のお話から考えてもそれはあながち否定できないと思います。私には前世が分からないので、自分の体験からは何とも言えないのですが。

さて、輪廻を超越し涅槃を得るのですが、その涅槃の目指すところが大乗になり変わっているようです。初期仏教や部派仏教では輪廻の鎖から解き放たれてもはや再生しない(新しい生を受けない)のが涅槃です。これを無余依涅槃といいます。これに対し大乗では涅槃に達した後、仏となって衆生救済のために活動しつづけると考えます。涅槃とは最終ゴールではなく、涅槃の悟りによって自由自在に衆生を救う(悟りを開かせる)はたらきを得るのだと考えます。これを無住処涅槃といいます。ここで依とは活動の依りどころとなる身体の意味です。お釈迦さまが入滅された後、この世の命が尽きたのですから、身体も滅するようなことです。大乗の無住処涅槃の方は完全な涅槃に達しつつそこにとどまらず衆生を救う活動をし続けます。それぞれについて涅槃を得る意義についてお分かりいただけたでしょうか。

さて、生まれ変わりの意味ですが、そんなふうにもいえるのかもしれません。斉藤一人さんはよくそんな風におっしゃいますね。

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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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輪廻からの解脱

これは輪廻転生の解釈によって話が変わります。(^<^)
輪廻転生を死後の世界論、生まれ変わり論とみているのであれば、私はノーコメントです。
私は、仏教の輪廻の思想に対してかつて深い猜疑心を持っていました。
「何故お釈迦さまとて死んだことも無いのに、死後の世界を語られるのであろうか?」と。
勉強していくうちに、それは後世の学者が作った「仏教思想」「仏教神話 的なもの」であると感じました。大きな宗教になればなるほど、神話の世界のように創作物も沢山できて話も膨らんで、後世の学者たちが話をふくらましてしまうものです。
私は根拠のない教えでは救われませんでしたから、輪廻を理知的に解釈する禅門の解釈が好きです。
禅門では輪廻転生は、今している、今解脱している、と説きます。
心は喜怒哀楽、一喜一憂、無限にループします。
その無限ループという輪廻を解脱するには、仏道しかありません。
それが菩提心です。
もう、こんな怒ったり、苦しんだりの生活をやめよう、と思い立つことです。
さらに修行を進めていけば、いつでも心は前の事、過去から解脱しているという事が分かるはずです。
さっきまで怒っていたあなたはもういない。
かつて鳴いていたあなたももういない。
今は今。
今は過去からいつでも解脱しています。

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おきもち

生まれ変わりとは、成仏できない未練があること

仏教の経典を見るかぎり、仏教は輪廻を前提にした思想です。
で、なぜ私たちが輪廻してしまうかというと、「まだまだ生きたい、まだ滅びたくない」という執着心があるからです。
仏教の修行のメインテーマは、この執着心をなくすことです。
ですから、輪廻してしまうということは、たいていは、修行が足りない(執着にとらわれ成仏できない)からです。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

藤岡様、ご回答をありがとうございました。

浅はかにも、お釈迦様は解脱されて人間の社会から遠く離れたどこかへ行かれたのかと思っていましたが、衆生を救う役割をされていたのですね。
最近の仏教では生まれ変わりを肯定しているのですね、それで納得しました。
涅槃に至るのは私には難しいですが、心穏やかに過ごせる時間ができるだけ長く続くように日々精進したいと思いました。
大変ご丁寧でわかりやすい回答をありがとうございました。

丹下様、ご回答ありがとうございました。
なるほど、日々輪廻転生しているという解釈ですと、今現在の心の有り様に気づいて成長していけますね。
では、どのように生活すれば輪廻転生から解脱できるのでしょうか。
やはり、気づいて改める、の繰り返しになるのでしょうか。

丹下様、ご回答ありがとうございました。
なるほど、日々輪廻転生しているという解釈ですと、今現在の心の有り様に気づいて成長していけますね。
では、どのように生活すれば輪廻転生から解脱できるのでしょうか。
やはり、気づいて改める、の繰り返しになるのでしょうか。

丹下様、ご回答ありがとうございました。
なるほど、日々輪廻転生しているという解釈ですと、今現在の心の有り様に気づいて成長していけますね。
では、どのように生活すれば輪廻転生から解脱できるのでしょうか。
やはり、気づいて改める、の繰り返しになるのでしょうか。

願誉様
執着にとらわれないので輪廻してしまうのですね。やはり他界するときには執着してしまうもなのでしょうか。
ご回答ありがとうございました。

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