hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

輪廻転生について。

回答数回答 3
有り難し有り難し 26

はじめまして。猫かぐらと申します。
さっそくご質問させていただきます。
お釈迦様は輪廻転生から解脱されたとのことですが、前世を覚えている子供たちが世界中にいて、実際に前世としてその個人が存在していたという確証までとれるケースがあると聞きます。
仏教の概念では、生まれ変わりという意味での輪廻転生はあるという姿勢なのでしょうか。
もしあるのだという姿勢なのであれば、輪廻転生から解脱されたというのはどのような意味があるのでしょうか。
また、生まれ変わりとは、未熟な者が成長するために人生を一からやりなおすということなのでしょうか。
そうだとすると、この世は学校や道場のようなものなのでしょうか。

2015年8月15日 13:03

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

輪廻からの解脱

これは輪廻転生の解釈によって話が変わります。(^

2015年8月16日 9:19
{{count}}
有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

無余依涅槃と無住処涅槃

仏教は基本的に輪廻を説かなかった、説かれているように見えるのはインドの別の思想が仏教に流入しただけである、といわれることもあります。しかし、私が知る限り、最近の仏教学者はそうは考えておらず、仏教は輪廻転生を説く教えであるとしています。

私たちの目のとどく範囲でも、あなたのおっしゃるとおり、前世を覚えている子供を取り上げたテレビ番組を見たことがあります。臨死体験によって前世を思い出したという報告を読んだようにも記憶しています。

だからこそ、神通力のなかにその人の過去世をみる宿命通というものがあるのでしょう。仏教は輪廻転生を肯定し、それを説く教えだといってよいと思いますし、前世を知っている人のお話から考えてもそれはあながち否定できないと思います。私には前世が分からないので、自分の体験からは何とも言えないのですが。

さて、輪廻を超越し涅槃を得るのですが、その涅槃の目指すところが大乗になり変わっているようです。初期仏教や部派仏教では輪廻の鎖から解き放たれてもはや再生しない(新しい生を受けない)のが涅槃です。これを無余依涅槃といいます。これに対し大乗では涅槃に達した後、仏となって衆生救済のために活動しつづけると考えます。涅槃とは最終ゴールではなく、涅槃の悟りによって自由自在に衆生を救う(悟りを開かせる)はたらきを得るのだと考えます。これを無住処涅槃といいます。ここで依とは活動の依りどころとなる身体の意味です。お釈迦さまが入滅された後、この世の命が尽きたのですから、身体も滅するようなことです。大乗の無住処涅槃の方は完全な涅槃に達しつつそこにとどまらず衆生を救う活動をし続けます。それぞれについて涅槃を得る意義についてお分かりいただけたでしょうか。

さて、生まれ変わりの意味ですが、そんなふうにもいえるのかもしれません。斉藤一人さんはよくそんな風におっしゃいますね。

2015年8月15日 17:40
{{count}}
有り難し
おきもち

私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...

生まれ変わりとは、成仏できない未練があること

仏教の経典を見るかぎり、仏教は輪廻を前提にした思想です。
で、なぜ私たちが輪廻してしまうかというと、「まだまだ生きたい、まだ滅びたくない」という執着心があるからです。
仏教の修行のメインテーマは、この執着心をなくすことです。
ですから、輪廻してしまうということは、たいていは、修行が足りない(執着にとらわれ成仏できない)からです。

2015年8月17日 12:50
{{count}}
有り難し
おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

質問者からのお礼

藤岡様、ご回答をありがとうございました。

浅はかにも、お釈迦様は解脱されて人間の社会から遠く離れたどこかへ行かれたのかと思っていましたが、衆生を救う役割をされていたのですね。
最近の仏教では生まれ変わりを肯定しているのですね、それで納得しました。
涅槃に至るのは私には難しいですが、心穏やかに過ごせる時間ができるだけ長く続くように日々精進したいと思いました。
大変ご丁寧でわかりやすい回答をありがとうございました。

丹下様、ご回答ありがとうございました。
なるほど、日々輪廻転生しているという解釈ですと、今現在の心の有り様に気づいて成長していけますね。
では、どのように生活すれば輪廻転生から解脱できるのでしょうか。
やはり、気づいて改める、の繰り返しになるのでしょうか。

丹下様、ご回答ありがとうございました。
なるほど、日々輪廻転生しているという解釈ですと、今現在の心の有り様に気づいて成長していけますね。
では、どのように生活すれば輪廻転生から解脱できるのでしょうか。
やはり、気づいて改める、の繰り返しになるのでしょうか。

丹下様、ご回答ありがとうございました。
なるほど、日々輪廻転生しているという解釈ですと、今現在の心の有り様に気づいて成長していけますね。
では、どのように生活すれば輪廻転生から解脱できるのでしょうか。
やはり、気づいて改める、の繰り返しになるのでしょうか。

願誉様
執着にとらわれないので輪廻してしまうのですね。やはり他界するときには執着してしまうもなのでしょうか。
ご回答ありがとうございました。

「輪廻転生」問答一覧

輪廻があるなら、私は天界も地獄も見て来たのでしょうか?

こんにちは。 前回質問で、輪廻思想がどうも腑に落ちない、と主張した者です。 ただ、輪廻に限らず、事物が「ある」とも「無い」とも断定するのは中道の教えに反すると感じるので、輪廻思想の側からも質問させてください。 輪廻転生があるなら、私は六道あらゆる世界を見て、生きて来た事になりますよね。何しろ仏教の宇宙観は無数劫の時間スケールで成り立ってるのですから。 また、私は、いわゆる地球外生命というものも、必ずどこかの惑星で誕生し生を営んでいると信じています。 そうなると、私の魂(?)は天上界のめくるめく壮麗な世界も体験して来たし、地獄の底の恐ろしい責め苦も受けて来た事になりますよね? また想像を絶するような異星の光景も目の当たりにしてきたのではないでしょうか? 輪廻転生が教えているものって、 「そういう一切合切の有情は、別個に生きているのでなく、過去、現在通して、物質から魂のレベルまで、密接に繋がって生きてるんや。天人も地獄の衆生も、あらゆる命も決して他人事じゃおまへんで。なにせアンタがそれ自身だったんだからな。」 と言っているようにも思えるんです。なぜか関西弁ですが。 そういう所から、いわゆる慈悲って生まれるのでは無いでしょうか? 生前や死後を無記とするのは「智慧」ですが、また輪廻をわが事として受け止めるのは「慈悲」の根源なのかな?とも思います。 この2つの考えは矛盾するものではないとも、私には思えます。 お坊様方は輪廻と言うものをどのように受け止めてるのか、気になったので再び質問させて頂きます。 お考えを聞かせて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

輪廻転生はあるのでしょうか

こんにちは。 私は数年前から一人暮らしをしており、1人の時間も長くなると考え事をする時がしばしばあります。 その中で昔の嫌な記憶を思い出すことがよくあり、思い出した嫌悪感に我慢できずにたまに泣いてしまいます。 自分の性格や人間性のダメな部分に嫌気がさして自己嫌悪に陥るのですが、ああしてこうして育ててくれればこんな人間にはならなかったのに、と親のせいにしてしまう自分に何より腹が立ち、情けなくなります。 もちろん四六時中こうして悩んでいるわけではなく、仕事ができるありがたさや趣味に打ち込める楽しさもあり、普段はポジティブに生活しています。 ですが、人間いつか死ぬのなら、できるだけ早く死にたいなとも考えています。 自分で言うのもなんですが、感受性が豊かな自分にとっては家族も含め人付き合いに疲れてしまい、早く楽になりたいんだと思います(叱られるかもしれませんが… 死後の話でよく『輪廻転生』と耳にします。 私は現時点で20数年しか生きていませんが、もし人間として生まれ変わるのなら、またこんな人生を送らなければならないのならないのは御免だなと思います。 やはり死後の魂は何かに形を変えて生まれ変わるのでしょうか?だとしたら魂の数には限りがあるのでしょうか? もう一度生き物に転生せずに済むのなら、魂ごと消えてしまいたいです。

有り難し有り難し 26
回答数回答 3

輪廻の主体

輪廻転生の事を考えると胸が痛くなります。何故仏教は命を一回限りとしないのでしょうか。 もちろん今ある生も今生限りのものですから人生が一回限りであることには変わりありません。 ただ殉教、殉死、心中等を遂げた歴史上の偉人の前世や来世が全く下らない物だったかもしれないと思うと胸が張り裂けそうになります。 自分の運命や人生を全面的に肯定して死に切ったとしても、過去世や来世の全く違う人生によって矛盾をきたしたものになるとしたらどうでしょうか。 「七度生まれ変わって朝敵どもを皆殺にしたい」と言って自決した楠木正成が果たして貧民街の子供に生まれ変わる事は無いと誰が言えましょう。 彼は生まれ変わりを願いましたが、あくまで自分の人生を貫き通す意思であり、運命愛に過ぎません。 生涯不犯を誓って異国で命を落とした宣教師達の前世がどこかの売春婦であると考えただけで吐きそうになります。 もしそれで良いのならこの世での清貧、忠義や誠意も全く無意味なものとなりますから。 ただ輪廻思想が広大無辺な仏教の歴史の中で偉大な説法者達に受け継がれてきたものである事は否定できませんし、 私は至らぬ凡夫ゆえ仏教の各宗派の前提とする輪廻の教義まで仔細には存じ上げません。 仏教では、特に自性を認めない中観派では何が輪廻するとされているのでしょうか? 水車を廻す水や携帯を動かす電気のように、「私」ではない、「私」の生み出す執着そのものが輪廻するのでしょうか? 執着が輪廻するのであれば悟りを得た=執着を滅した釈迦が解脱に入られたと解釈できるように思えますが。

有り難し有り難し 36
回答数回答 3

輪廻からの解脱

回転寿司が大好きで週に一度は食べに行っています。 そこで、hasunohaの左上のロゴの類似であるホッキ貝より、味は赤にし貝、歯ごたえはつぶ貝が好きだなと気づきました。 気付いたんですが、ホッキ貝も食べますし、赤にし貝やつぶ貝のみ食べるという事をしませんでした。 そして回転するベルトコンベアを見て、自分の輪廻からの解脱は本当に難しいなと感じました。 今回の『輪廻』の定義は死んだ後の話ではなく、 『執着する限り何度でも苦が繰り返される、因果応報としての輪廻』です。 (本を見たりネットで調べたり人に聞いたりしたわけではなく、毎日自問自答しているうちに『生きているうちにも輪廻している』と気づきましたので、これは仏教やブッディズムでいう輪廻ではない、というご意見もあろうかと思いますが、その場合は正しい言葉を教えていただければ有り難いです) 気付いてもなかなかやめられない、そして心に余裕がなくなったら外的要因のせいにしている自分の心がいます。 ダンマパダや七仏通誡偈の中に、 諸悪莫作(サッバパーパッサアカラナン) 衆善奉行(クサラッサウパサンパダー) 自浄其意(サチッタパリヨーダパナン) 是諸仏教(エータンブッダーナサーサナン) がありますが、白楽天に言った道林禅師の『3歳の子供でも分かるが80歳の老人にもできない』という偈に自分の経験を当てはめて痛感しております。 僧侶の皆様は忘れてしまったらしょうがないのですが、忘れてしまいそうなときはどのようにして忘れないようにしていますか。 (忘れてしまいそうなときは忘れていないから、忘れることはない、という答えもあるでしょうが) 苦の輪廻を寿司で例えると味にアクセントを与えるワサビ(たまに多くつけすぎたり少なくつけたりして苦しむがちょうどよい辛さを探している)だと、勘違いしている自分がいるのかな? と迷ってしまっています。 いや、違う。ただ何も考えてないだけですね。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る