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輪廻転生について。

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はじめまして。猫かぐらと申します。
さっそくご質問させていただきます。
お釈迦様は輪廻転生から解脱されたとのことですが、前世を覚えている子供たちが世界中にいて、実際に前世としてその個人が存在していたという確証までとれるケースがあると聞きます。
仏教の概念では、生まれ変わりという意味での輪廻転生はあるという姿勢なのでしょうか。
もしあるのだという姿勢なのであれば、輪廻転生から解脱されたというのはどのような意味があるのでしょうか。
また、生まれ変わりとは、未熟な者が成長するために人生を一からやりなおすということなのでしょうか。
そうだとすると、この世は学校や道場のようなものなのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無余依涅槃と無住処涅槃

仏教は基本的に輪廻を説かなかった、説かれているように見えるのはインドの別の思想が仏教に流入しただけである、といわれることもあります。しかし、私が知る限り、最近の仏教学者はそうは考えておらず、仏教は輪廻転生を説く教えであるとしています。

私たちの目のとどく範囲でも、あなたのおっしゃるとおり、前世を覚えている子供を取り上げたテレビ番組を見たことがあります。臨死体験によって前世を思い出したという報告を読んだようにも記憶しています。

だからこそ、神通力のなかにその人の過去世をみる宿命通というものがあるのでしょう。仏教は輪廻転生を肯定し、それを説く教えだといってよいと思いますし、前世を知っている人のお話から考えてもそれはあながち否定できないと思います。私には前世が分からないので、自分の体験からは何とも言えないのですが。

さて、輪廻を超越し涅槃を得るのですが、その涅槃の目指すところが大乗になり変わっているようです。初期仏教や部派仏教では輪廻の鎖から解き放たれてもはや再生しない(新しい生を受けない)のが涅槃です。これを無余依涅槃といいます。これに対し大乗では涅槃に達した後、仏となって衆生救済のために活動しつづけると考えます。涅槃とは最終ゴールではなく、涅槃の悟りによって自由自在に衆生を救う(悟りを開かせる)はたらきを得るのだと考えます。これを無住処涅槃といいます。ここで依とは活動の依りどころとなる身体の意味です。お釈迦さまが入滅された後、この世の命が尽きたのですから、身体も滅するようなことです。大乗の無住処涅槃の方は完全な涅槃に達しつつそこにとどまらず衆生を救う活動をし続けます。それぞれについて涅槃を得る意義についてお分かりいただけたでしょうか。

さて、生まれ変わりの意味ですが、そんなふうにもいえるのかもしれません。斉藤一人さんはよくそんな風におっしゃいますね。

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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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輪廻からの解脱

これは輪廻転生の解釈によって話が変わります。(^<^)
輪廻転生を死後の世界論、生まれ変わり論とみているのであれば、私はノーコメントです。
私は、仏教の輪廻の思想に対してかつて深い猜疑心を持っていました。
「何故お釈迦さまとて死んだことも無いのに、死後の世界を語られるのであろうか?」と。
勉強していくうちに、それは後世の学者が作った「仏教思想」「仏教神話 的なもの」であると感じました。大きな宗教になればなるほど、神話の世界のように創作物も沢山できて話も膨らんで、後世の学者たちが話をふくらましてしまうものです。
私は根拠のない教えでは救われませんでしたから、輪廻を理知的に解釈する禅門の解釈が好きです。
禅門では輪廻転生は、今している、今解脱している、と説きます。
心は喜怒哀楽、一喜一憂、無限にループします。
その無限ループという輪廻を解脱するには、仏道しかありません。
それが菩提心です。
もう、こんな怒ったり、苦しんだりの生活をやめよう、と思い立つことです。
さらに修行を進めていけば、いつでも心は前の事、過去から解脱しているという事が分かるはずです。
さっきまで怒っていたあなたはもういない。
かつて鳴いていたあなたももういない。
今は今。
今は過去からいつでも解脱しています。

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生まれ変わりとは、成仏できない未練があること

仏教の経典を見るかぎり、仏教は輪廻を前提にした思想です。
で、なぜ私たちが輪廻してしまうかというと、「まだまだ生きたい、まだ滅びたくない」という執着心があるからです。
仏教の修行のメインテーマは、この執着心をなくすことです。
ですから、輪廻してしまうということは、たいていは、修行が足りない(執着にとらわれ成仏できない)からです。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

藤岡様、ご回答をありがとうございました。

浅はかにも、お釈迦様は解脱されて人間の社会から遠く離れたどこかへ行かれたのかと思っていましたが、衆生を救う役割をされていたのですね。
最近の仏教では生まれ変わりを肯定しているのですね、それで納得しました。
涅槃に至るのは私には難しいですが、心穏やかに過ごせる時間ができるだけ長く続くように日々精進したいと思いました。
大変ご丁寧でわかりやすい回答をありがとうございました。

丹下様、ご回答ありがとうございました。
なるほど、日々輪廻転生しているという解釈ですと、今現在の心の有り様に気づいて成長していけますね。
では、どのように生活すれば輪廻転生から解脱できるのでしょうか。
やはり、気づいて改める、の繰り返しになるのでしょうか。

丹下様、ご回答ありがとうございました。
なるほど、日々輪廻転生しているという解釈ですと、今現在の心の有り様に気づいて成長していけますね。
では、どのように生活すれば輪廻転生から解脱できるのでしょうか。
やはり、気づいて改める、の繰り返しになるのでしょうか。

丹下様、ご回答ありがとうございました。
なるほど、日々輪廻転生しているという解釈ですと、今現在の心の有り様に気づいて成長していけますね。
では、どのように生活すれば輪廻転生から解脱できるのでしょうか。
やはり、気づいて改める、の繰り返しになるのでしょうか。

願誉様
執着にとらわれないので輪廻してしまうのですね。やはり他界するときには執着してしまうもなのでしょうか。
ご回答ありがとうございました。

「輪廻転生」問答一覧

解脱する方法は確立されていますか?

私には、「もう二度と人に生まれたくない」という、漠然とした、でも強烈な願望があります。 生まれ変わった自分は今の自分とは関係のない赤の他人であり、そんなことを気にする必要はない、なぜそのような悲しいことを考えるのか、もっと楽しく生きなさい なんてことを言われたりするのですが、むしろなぜ他のみんなはそう考えないのだろうと思うくらい 私にとっては本当に強く願っていることが「もう絶対に、絶対に生まれてこないこと」です。 仏教には輪廻転生の考え方があり、その輪から外れる方法が解脱だと聞き齧りました。 まだ仏教について何も知らない人間の質問で大変恐縮なのですが、 つまり解脱することができれば、もう命として何かに宿ることは二度とないのでしょうか。 私にはそれがとても魅力的なことに感じます。そこで、解脱の方法とは、こうである、と言うものが確立されているのであれば教えていただきたいです。 でもきっと、そんな簡単な、うまい話はないのだろうとも思いますし、この質問自体どこかズレているのかもしれません。 もし回答できるものではないのだとしたら、自己研鑽として、仏教について学びたいとも考えておりますので、何も知らない人間がまず手始めになにをすべきかを教えていただけますと幸いです。 このような場を設けていただいていること、質問のご縁をいただけたことに感謝致します。

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神通力

 前回「釈尊の悟りは神通力を得た結果?」を投稿しましたが、当たりのようです。  駒沢大学学長を歴任された水野弘元先生の著書「釈尊の生涯」の「成道と三明六通」には「(前略) そして濾尽智通以外の五神通は、必ずしも仏教者だけでなく他の宗教家や鬼神狐狸の類に至るまでも、浅深の差はあっても、これも得ることが出来るとせられる」と書かれています。  三明六通の「六通」とは先ほどにに記述の「五神通」とあるように、「六神通」と考えることが出来ますので、「神通力」を得たと考えて差し支えないと思います。  古代インド社会では「輪廻転生」は常識であったそうですが、当時のインド宗教者は、互いに神通力を競い合ったと考えられます。  三明の最初の一明は「過去に関するすぐれた智慧の宿命通(宿命明)」となっていますから、釈尊だけでなく、それ以前の宗教者にもそこに到達して、「輪廻転生」が世間に広まったと考えられます。  余談ですが、阿含宗を創設した桐山靖雄師は、著書「輪廻する葦」のなかで、成仏法と称して、神通力を修練することを勧めたようです。私は読んでいませんので想像ですが、論理の「阿含経」ではなく実践法の「雑阿含経」を研究していたようです。

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輪廻転生の考え方について

質問が2つあります ①仏教では輪廻転生と言う考え方で生まれ変わると言われていますが 人口の増減についてはどう考えているのでしょうか? 今の日本の人口は1億人を超えていますが 奈良時代 大宝律令ができたころは310万人~320万人ほどだったようです。 日本史の教科書では 昭和初期の満州事変が始まった頃のことを 日本は中国人4億5千万人を敵に回すことになった と書かれていますが 今は中国の人口は軽く10億人を超えています 同じ国籍だけに輪廻転生するとは限らない 世界規模で考えるべきとしても 現在世界の人口は70億人程度いるようですが 1世紀に前に比べても数倍になっています もっと言うなら 数万年前の ~~原人 とかいたころはどうなのか? とか いろいろ説明がつかないことばかりです。 昔の 江原啓之さんが出てくるような心霊番組はテレビでやらなくなりましたが (便乗した霊感商法 悪徳商法がはびこるようになるとか、輪廻転生を信じた人が人生をやり直すために自殺するケースが出たなどの理由で弁護士などがテレビ局に抗議したそうですが) 当時の番組では江原さんは輪廻転生を言っていて 「あなたの前世は~」と言う話になると 全て人間であり、他の動物だったケースは見たことがありません。 しかし 全ての人間が また人間に輪廻転生をするとすると 個体数の関係で辻褄が合わないことになります。 これは仏教ではどう考えているのでしょうか? ②私は亡くなったら全て「無」に帰す 霊魂も輪廻転生もないインチキだ と言う考え方は好きではありません。 それは 大切な肉親を亡くし時点で「永遠の絶縁」を意味するからです。 死ぬことは怖いとは思いませんが、肉親と未来永劫絶縁になると想像するほうが怖いです。 霊魂や輪廻転生を完全否定する宗教家の方もいるようですが、肉親を亡くしたら情なんて捨てろ と考えているのでしょうか?

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誕生の仕組み

 輪廻転生が真実であるとすれば誕生の考え方が大きく変わります。  まず結論から言いますと、「心は自分自身であり、親から貰ったものではない」と言うことです。 即ち自分の生老病死は自己責任であるということです。  ことわざからはじめますと、  「身体髪膚これみな父母より賜う。あえて損傷せざるは孝の始めなり」  これは身体だけであり、心は別ということになります。  「子は授かりもの」   もし心も親譲りであれば我が子であって、授かるとは言わないでしょう。  「とんびが鷹を産む」  親子の気質は別物であるという事でしょう。  「愚兄賢弟」  もし親譲りであれば、兄弟でも性格が違うとは、遺伝子的には考えられません。 原則的には類を以って集まるはずですから、性格が似ていることは多々あります。  臨死体験者(新堂のぶ子氏)の言葉(講演会にて)  「親が子を生むのではなく、子が親を選択する。」  ある宗教学者はネットで「龍樹と輪廻転生」と題し   「ブッダは、『大縁経』で、意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。」と述べています。  「意識」は心と同一と考えてよいと思います。   以上が結論の根拠です。

有り難し有り難し 8
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ