ヘイトスピーチが辛いです
私はゲイです。
それゆえに、ヘイトスピーチの攻撃対象にされます。
またご縁があって、複数の在日外国人の友人、顔見知り、同僚がいます。
彼らも聞くに堪えないヘイトに晒されています。
外国人へのヘイトも不愉快ですが、ゲイである私はLGBTがヘイトされると、自分のことなので、その数十倍不愉快です。
なので、LGBT以上にヘイトに晒されている彼らに感情移入してしまい、ひどく不愉快になります。
昔は、「嫌なら見るな」で何とかなったのですが、最近はツイッターを見てもSNSを見ても、ヘイトだらけです。仏教書を買うために本屋に行っても、店頭にひどい本が並んでいます。
政治とは無関係の趣味のサイトですら、「何でこんなところでまで?」とヘイトを見せられることも、しばしばです。
「私たちが一体あなたに何をしたと言うのですか?」と言いたいほど、酷い言葉もぶつけられました。
とても引用できない下品な罵倒もしょっちゅうです。
しばしば彼らと議論もしましたが、彼らをますます怒らせて、憎悪を深めただけでした。
喧嘩腰にならないように注意しながら、フォローを入れながら誤解をとこうとしましたが、まったくの徒労に終わりました。
議論をしても、かえってヘイトを増幅させるだけでは? と最近思うようになりました。
友人には「あいつらに俺達の気持ちなんて永遠に分からない。関わっても傷付けられるだけだ、ほっとけ!」と言う人もいます。
また虹色の旗を振りながら、「根気よく理解を求める」と言う友人もいます。
私はと言いますと、ネットの議論は時間の無駄と考え、我慢するようにしています。
でもたまに我慢できなくなって、つい反論や説得を試みてしまうこともあります。そのたびに酷い言葉をぶつけられ、落ち込みます。
ぼく達マイノリティは、ヘイトにどう対処すべきなのでしょうか?
長年の悩みです。
物欲。ひたすら物欲。 余計な好奇心。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
知音
人間、人生の中で真の理解者はせいぜい❝数人❞と知ることではないでしょうか。
結論は「誰もがマイノリティである」と自覚すること。
これが、彼等とおのれを赦せる力となるでしょう。
あなたもマイノリティ。
私もマイノリティ。
彼等もマイノリティなのです。
なぜか。
みんな自分のこと、自分がやってきたことしか知らんからです。
悪く言えば誰もが寂しい存在です。
尊く申し上げれば天上天下唯我独尊です。
彼等がやっている行為もその本質は同じでは?
本当の理解者がいない。だから誰かを責めるという事で偽りの仲間を見出そうとしているのでしょう。
彼等も孤独な連中だと思ってあげることです。あなたと同じだと分かるでしょう。
ヘイトスピーチする人・しない人であって、どのみちあなたの真の理解者は、本当に少ないものです。
私の理解者も少ないものです。
おそらく仏教の悟りを広めようとすることの孤独感は比較になりません。
日本の僧侶たちはたまたまお寺に生まれてしまっただけなのに一部の人からヘイトされます。
さらに僧侶業界で悟りを唱導すれば「思いあがるな・おこがましい」とヘイトされます。だからといってまがい物で二流なベタ仏教を広めれば自分の本心が自分自身をヘイトします。
あなたはあなた自身をヘイトしない事です。
その為には、あなたはあなた自身の中で、人が人をヘイトすることに関する自分意識をヘイトしないことです。
人はゲイであろうが僧侶であろうが人間は人間です。
その人間の❝反応❞は皆同じ。
人が人を嫌う。
それを通してあなたの中で「何」が行われているか。
あなたがものを見たり聞いた時に、その見たり聞いたことをまず本当に彼等と自らの手本になってあなた自身もヘイトしないことを修行してみてください。
あなたが自身の中で他をヘイトする気持ちを統御・統理しなければあなたも彼らと同じでしょう。
誰が誰に対してどんなヘイトスピーチを行なおうとも、まずはあなたはあなたの心を統治しなければなりません。❝統理大衆一切無碍❞自らの心の中の衆生=迷いの心を自ら統理する。
本当は相手はいません。自身の中の嫌悪意識こそが一番の問題なのかもしれません。
この事がお分かりになられる方は仏教界においてもマイノリティでしょうが。
公案「あいつが彼がと思うのはどこの誰のどこにおいてか。」
みなそれを知らないマイノリティと言うお話でした。
怒らず、しかし主張し続ける
黙っていては世間の認識は変わりませんから、主張し続けることは大事です。
一方で、いちいち怒ったり悲しんだりしていてはストレスで自分が苦しむだけです。
ですから、明るい気持ちで(怒らないで)いながら、世間に対して地道にアピールし続けるのが良いと思います。
仲間や敵の怒りを煽るのも良くありません。
価値観が違う人同士が議論をするのはかまいません。
しかし、怒ったり憎んだり悲しんだりはせずに、ケンカの殴りあいではなくボクシングの試合のように、さわやかに闘いましょう。
昔、少年ジャンプで連載されていた「シャーマンキング」という漫画がありました。アニメ化もされました。
その漫画には、他の少年漫画と大きく違う点がありました。
たいていの少年漫画では主人公が怒ってキレたときに最大パワーを発揮します。(スーパー◯◯◯人など)。
しかしシャーマンキングでは、主人公が怒らず静かな心のときに、実力を発揮できるのです。
現実社会では、キレて残虐な犯罪を犯す少年少女のニュースもあります。
多くの少年マンガではキレて残虐になる主人公がカッコいいように描かれてますが、本当は、シャーマンキングの主人公の方がカッコいいのです。
怒らず冷静に闘いましょう。
質問者からのお礼
丹下 覚元 (たんげ かくげん) 様
真摯なお答え、ありがとうございます。
全ての人に理解を求めること自体が、無い物ねだりなわけですね・・・。
人の持てる知識は限られたもので、基本自分のこと、限られたことしか分からない。
つらつら考えますに、私も自分と異なったタイプの異質な存在に、恐怖や嫌悪を確かに感じます。
しかし私は、自分が異質を理由に差別された経験から、「自分がされたら嫌なことは人にするまい」とヘイトは、可能な限り避けてきました。
しかしそれは、単に私が運が良かっただけなのかもしれません。
いや、私もそれと気付かずに、どこかでヘイトをしているかもしれません。
多くのご指摘、ありがとうございました。
願誉浄史 様
ありがとうございます。
「ヘイトにヘイトで返してはいけない」。
差別へのカウンター活動をする者の鉄則として昔から忠告されてきたことなのですが、私を含め、ついつい忘れがちになってしまうことです。
「怒ったら負け」
これも建設的な結果を目指す議論の鉄則なわけですが、私もこれを忘れがちです。
正直、ヘイトを受けると腸が煮えぐりかえることも、しばしばです。
でもそういう時は、いったん落ち着いて頭を冷やしてから、行動するようにしたいと思います。
こっちが怒ってしまっては、確実に相手も逆ギレし、建設的な議論はできませんからね・・・
大事なご指摘、ありがとうございました。