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49までの道のりを教えてください。

回答数回答 2
有り難し有り難し 16

先月、母が他界しました。

生前とても苦労して病気になり辛いまま逝ってしまいました。

魂となった母は成仏するまでの49日は審判を受けているとお葬儀の方にお聞きしました。
ネットで調べてみるととても怖い事ばかりで拷問のような仕打ちばかり書いてありました。

魂になってからも苦労してるんでしょうか?今どういう状態にあるんでしょうか私の近くに母はいるんでしょうか?

よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの生き方がまさに問われている

➀亡き人は今苦しんでいるのではないだろうか、という思いを起こしているのは誰でしょうか? あなた=「わたくし」 でありましょう。

➁そういう思いが起こるという事は、あなたのお母さまに対する生前のあり方から、今日までの過ごし方に「何か引っかかる処」があると言えるのではないかと思います。
「わたくし」 的な生き方をしてきたのではないでしょうか?
そこに嘘をついてはいけません。
仏教の審判とはそこにあります。
閻魔に舌を抜かれるとは、本心はごまかしがきかないという事です。
地獄の閻魔とは本心。良心の呵責。
本当に誠実に生きていたかどうかがお母さまにも、あなたにも問われているのです。
どこかしら隠していることがあるのであろうと思います。
その隠してきたツノが今、現われてきたという事なのです。
人間の良心、本心は絶対に隠せないということを説いたのが地獄絵図です。
無私にして、無我なる心こそ、仏の心に通じるものです。

四十九日、百か日とは、禅宗・曹洞宗においては、亡き人と❝共に❞一緒に仏に成る事の目安が四十九日でもあります。
あなた自身が、お母さまを救えるような、慈悲に満ちた、他を利する生き方をすることです。
あなたとお母さまが一体であるからこそ、あなたの中の霊である「お母さまにたいする思い」を晴れやかにすることです。
恥じない生き方をする。
自分に偽りの無い生活をする。
その為にもこれを機会に仏教を学んで善き供養となる生き方をなさってください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

そんなに怖がることはありませんよ

今生が終わると次の生を受けるのですが、その間に中有とか中陰とかいわれる期間があり、それが最長で四十九日ということですね。

この最長で四十九日の間は行き先が決まっていないので、それが中国に入り様々に脚色されました。初七日から七日ごとに裁判を受け、たいていは三十五日(五七日:いつなのか)までで行き先が決まるのでその時の審判を下すのが閻魔大王……、という具体です。

話は変わりますが、お盆のある日、六道絵というそれはそれは怖い絵を十五幅も見せていただきました。小学生のとき類似の絵を見て、夜、一人でトイレに行けなくなったのを思い出しました。あなたも六道絵と似た話によって不安になられたのですね。それは心配にしすぎというものです。

たとえば閻魔大王は怖い顔をしていますが、本来は地蔵菩薩であるとも言われます。怖い顔をして脅して、反省を促すんですね。そして反省し改心させてよいところに生まれさせるような判決を下すことになっています。

改心ということについてお釈迦様を参照しましょう。人殺しばかりしているような人間は地獄に落ちるのですか、という問いに、「そんなふうに考えてはいけない。そんな人間でも寝ている間まで人殺しをしているわけではない。それに、そんなふうに(地獄行き決定)考えてしまったら、心を翻す(改心する)ということもなくなってしまう」とお答になったそうです。

小学生のときの私は今生で、「悪いことをしたら死んだ後こうなる」とお知られたわけです。死後の世界が、あなたがご覧になったように怖いものだと書いてあるなら、その意味は、死者は中有(中陰)の間に悪かったところは反省し、改心なさるためです。そのうえでたいがいはまた人間かもう一段うえの迷いの世界である天上界に生まれておられるはずです。

私の宗旨、浄土真宗では、今生で阿弥陀仏の教えに出あいその救いにお任せしたなら、この世の命を終えたのちすぐさま覚りを開いて仏になるとしています。

ともかくあまり心配なされなくてもよいですよ。そのうえで母上を敬い手を合わせる生活をなさってください。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な者ではありません。むしろその逆で、しょっちゅう周りの方々にお尋ねして、教えてもらって生きています。質問について考え、答えようと悩むことで私自身が学び、僧侶として少しでも成長していけたら、と思っています。 youtube法話を始めました。私の名前ですぐ見つけていただきます。
本堂までWi-Fiの電波が届かないので、お内仏(家のお仏壇)のお部屋でお話します。

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