悩みに捕らわれて気持ちをうまく切り替えられない自分が嫌
初めてこちらに投稿します。今の会社に転職してきて10か月ほどが経ちましたが、直属の上司との関係性がうまくいっておらず、少々苦境に立たされています。
今の仕事は私がやってきた仕事とは少し方向性が違うもので、未経験の内容が多いのですが、いずれは私がやっていた仕事も必要になると見込んで採用されました。ただし、それはまだまだ先のことで、今は取りあえず未経験の仕事に携わることになりました。
直属の上司はその分野の仕事を長くされている方なのですが、「私の仕事の仕方やスキル不足などが原因で負担が減らない」との理由で、最近では仕事を全然振ってもらえなくなり、私は会社に行ってもほとんどやることがない状態です。また、自分はそんなつもりはなかったのですが、私のその方に対する対応の仕方にも不満を持たれていたようで、入社当時はそれほどではなかったものの、だんだんお互いの間に不穏な空気が流れるようになりました。時には別の部署に異動したほうがいいのでは、むしろこの会社でなくても良いのでは、ということまで言われるようになり、どうしたものかと考えあぐねています。
私はこの方と決別したいわけではないですし、難しい面もありますが、うまくやって行けないかとも思っています。しかし一方では、この方にずっと合わせてやってくことが出来るのかという不安もあります。また、本当にスキル不足でこの部署ではダメだというのであれば、別の部署に異動したほうがよいのでは、と思うようにもなりました。(ただ、別部署に私のできる仕事があるかどうかもわかりません。)最悪は会社を辞めてください、ということになるかも知れないです。
今回の転職活動は結構大変で、職場が決まるまでに時間がかかりました。転職ばかりしていても仕方がないですし、会社の人間関係は組織で働く以上どこに行っても大なり小なりあるものだと思います。会社を辞めるという選択は最後の手段にしたいと思いつつ、どうすべきなのか、今ここで悶々と考えていても答えがすぐに出てこないことがわかっていながらも、この悩みからうまく距離を取ることが出来ず、気が付くと考えてしまう自分がいます。また、昔から人間関係のトラブルにはメンタル面で非常に弱くて、相手の反応に一喜一憂するのもすごく嫌です。どうすれば気持ちをうまく切り替えて、このような困難にも対処できるようになれるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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悩み苦しみの原因は煩悩
仏教では、あらゆる悩み苦しみの原因は、自分自身の心にある煩悩だと考えます。
煩悩とは、たとえば、欲・怒り・怠け・プライド等です。
また、諸行無常や諸法無我といった真理を理解していないことも煩悩です。
とりあえず、日常生活や仕事中にも、自分自身の欲・怒り・怠け・プライドにきめ細かく気づくようにしてください。
まずは、自分の欲・怒り・怠け・プライドを脇に置いて棚上げし、
もしも自分に欲・怒り・怠け・プライドが無いとしたらどう判断しどう行動するだろうかと考えてみてください。
上司との関係改善、あるいは、会社の中で自分がもっと役立つ存在になるために、何をすべきか?
それを邪魔するような欲・怒り・怠け・プライドが働いていないかどうか?
自分の煩悩に気づくことは、自分の愚かさに気づくことです。
愚かさに気づくと、賢くなれるはずです。
また、愚かさに気づくと、仏様や神々や人々から、不思議と助けられる場合もあるのです。
質問者からのお礼
願誉浄史さま、この度はご回答をありがとうございました。私の煩悩が何なのか、今ははっきりとは分かりません。それが分かった時、必要以上に悩んだりしなくなるものなのでしょうか。私は自分の愚かさにまだ気づけていないということなのですね。どのようにすれば自分の愚かさに気付くことができるのでしょうか。今の私には少々難しい課題です。
こちらのサイトの中に、仏教とは困難を避けるためではなく、困難とどう向き合うかを解くものだという言葉がありました。まさにその通りだなと。生きていると困難なことにはどうしても出会ってしまいます。そういう状況を避けて通るのではなく、出会ったときの上手な考え方やな対処法を会得したいです。