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ツイッターで書かれた悪口

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有り難し有り難し 42

こんばんは。

私は、相手に相手の気になることを質問してただけなのに、相手が急に「忠告ありがとうございます~これからもし続けます(ピースの絵幕)」と煽ってきて、それに悔しくなって言い返したら…

「何が言いたいのか全くわからない。」「ちょっとおかしいんじゃないですか?」って言われて、「ブロックすればいいじゃん」と言われてしまいました。

これだけでは終わらず、しかも裏でその人とその取り巻きが「そうだね!!時間の無駄だね!!」「やばい性格悪いのバレる」「ほんときもかった」と陰口を言ってたのが聞こえてしまいました。

そして最終的に「やっかいもの扱い」とされました。

ショックが断ち切れません。どうすればいいですか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

脳内こぴぺ、フル削除。

人の投稿やニュースを目にすると、みた瞬時に脳内スクリーンにそれが映し出されます。
('Д')…ゲ、でた。。
ウッゼー。ハイ、スルー。👋
(-.-).。o○👤
ですが脳内に今出てきたその人👤は、実際のご本人サマ👨👩ではないはずです。
実際のご本人様👨👩はそこにいない。
直接その人を相手にはしておられません。
脳内に出てくるその人は、その人のいる所から離れた箇所である自分の「アタマ」の中で映像化・情報化された「マボロシ」👤です。
👀
SNS疲れは、この「誤認」から生じるのです。
自身の中の幻影を相手に妄想を膨らましている。
効果的な方法は、自分の中のその本人に対する【脳内コピペ映像】を完全削除して、本人以外は相手にしないことです。
👿
私たちは苦手な人に会う時、
直接本人と対峙する前から自分の中のイメージを相手にしてしまっています。👨👩
SNSは本人と直接対峙していません。
本人ではない残像を相手にしています。
本人ではないもの=脳内に「こぴぺ」された相手の❝虚像❞の側を、あたかも今、出会っているかのように錯覚してコケています。
試しにSNSの相手の写真などをみてください。
絶対に本人ではない、謎の相手「ミスターX👤」を相手にしていると感じませんか?
ここに気づいて頂きたいのです。
多くの人が本人👤のいないところで「本人ならざるもの」=自身のイメージ相手に苦しんだり問題にされているのではないでしょうか。
「あっち」に存在する実際のご本人様✨👤✨ではなく
「こっち(自分の脳裏)」に仮在する『虚像』👻👤👻を相手にしているのが現代人の大半の姿です。
(゚Д゚✨)「そうかっ、オレが恐れていたのは❝自分だったのか。👻自分の中だけにしかいないマボロシを相手にしていたんだっ。❞本人はここには居ないんだっ!居たとしても会うべき相手は❝こっち❞じゃない!」
…ということに気づけると人生は軽いです。
他者のツイッター、Facebook、SNSの投稿の相手の正体とは、自分だけの脳内サブ映像👤であることを見抜けると対人恐怖症すらも治ります。
ここ申し上げるところの真意をご理解頂けた方は、もうその相手のマボロシ「脳内こぴぺ」は不要・無価値になっておられるはずです。分かるまで何度も読み返してください。
本人ならざるもの👻と悟られたからです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

良い勉強になったね

言葉というのは恐ろしいものです。

あなたにそのつもりがなくても、何気ないひと言が激しく相手を傷つける凶器になる。
その逆に、相手の発した言葉が深くあなたの心をえぐることもあるかもしれない。

今回はそれが現実となってトラブルになりました。
SNSで発言した言葉は、どんなに後悔しても取り消すことが出来ません。
一番の解決方法は、トラブった相手とはそれ以上からまないこと。
これから先も距離を置くこと。

あなたも悪くないし、相手も悪くない。
だから、良い勉強になったと思って、これから気をつけましょう。

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おきもち

個別相談可能
様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの苦しさや痛みを共に分かち合い、少しでも和らげることができれば幸いです。
自分自身も重度の知的障害児を育てながら家事と仕事で忙しくしています。 外に出ていることも多いので、なかなか時間がとれないかもしれませんが、なるべく時間が許す限りお話を聞きます。

質問者からのお礼

お答えいただき有難うございます。
真面目な回答や現代の若者風に答えてくれるなど、楽しませて答えを見させていただきました。
ありがとうございます!!
これを機に、新しい人生を歩んで生きたいです。

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