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育児と仕事の両立

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有り難し有り難し 20

いつもお世話になってます。
私は3歳と9ヶ月の男の子の母です。
もうすぐ育休が終わり復帰します。
上の子の時も、育休一年頂きフルで復帰しましたが、時短は取れず残業もたまにあり、人間関係も女の職場で色々あり、辛い事が多かったです。助けてくれる方々も沢山いてなんとかやっていけました。
母が基本的に保育園に預けて働く事を反対していて、小さいうちから保育園へ預けるのは、良くない良くない可哀想と前からしつこく言い、それを言われるのも辛いです。
そのため、私が仕事復帰しても、手助けはしてくれません。自分は誰の助けも借りずに子育てした、大変なのは当たり前…という感じで母は基本的には手助けも相談ものってはくれません。私だって一歳の子を預けて働きたくはありません…。辛いのです。
主人だけの収入ではやっていけないから、働くしかないのですが、パートなら時間の余裕ができるしパートが良いのですが、パートになると今の育休手当てくらいの額の収入になるから、二人の保育料引いたら月わずか…
生活が成り立つか分かりません…
フルタイムなら、経済的に生活はやれますが、心身は圧迫されます…
昔は地域みんなが子育てを手伝ってくれたから良かったけど、今の時代は閉鎖的だし、早くから保育園入れて保育園の先生に子育て手伝ってもらう感じで子育てするのも良いよと言ってくださる方がいて心が安らいだのですが、母は保育園否定でキツいことを言います…。保育園へ入れてるのは子育てしてないとか、良い子にならないとか
泣けてきます

今後の勤務形態、母への対応
良いアドバイスはないでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お金をかけない生活

何にお金をかけているのでしょうか。
まずは収入がナイナイより、どうしてお金がナイナイなのか。
不平不満がアルアルより、出費がアルアルなのではないでしょうか。
ご主人とあなたの出費をまず見直すことから始めましょう。
参考にはならないかもしれませんが、私は服を買いません。
作務衣も穴だらけです。
靴はナイキのサンダルを一年中履いています。
前回買ったのは一年以上前。雨の日に靴底がすり減って滑って転んだら買い替えます。
髪の毛はバリカンです。
今日私は河原に野ゼリを摘みに行きました。
売れば3000円くらいの価値のあるものが摘めました。
サイタマですのでそこらへんに草が生えています。
引っこ抜いて食えばいいんです。
プランターで野菜を育てませんか。
パンより、コメにしましょう。
月、一万円以上食費が安くなります。
さしすせその調味料はイイのを使いましょう。体になるものですから。
一日一食残りめしでおかゆを取り入れましょう。ダイエットにもいいです。
米ぬかでぬか床をつくりましょう。
毎月一日はスーパーの冷凍食品半額デ―です。丸亀製麺も釜揚げうどんだけ半額です。お見逃しなく。スーパーはキホン、半額狙いです。
ヨーグルトを買う必要が無くなります。
奮発してフィリップスのヌードルメーカーを買いました。ネットで7000円。
これから野菜はどんどん高騰します。種をまきましょう。
買い物は業務用で買います。
ちびちびしたものを買うとすぐなくなるのでどでかいものを飼うことが多いです。
水は近所のスーパーに汲みに行き、飲み物は麦茶をボトルに入れて飲みます。
外でジュースを買うことはあまりありません。
当たり前になっている生活習慣で、意味をなさない出費を抑えてみてはいかがでしょうか。
妻は子育ては児童館に行かせていました。
お金もかかりませんし、友達もできて情報交換もできます。
人の役に立つことをしましょう。
お金が無くても幸せになれます。
ケチな人間やわがままなエゴ人間、人の愚痴、自慢話は相手にしない様にしましょう。時間の無駄です。心の向上を求めましょう。
仏教はその為にあります。
心の向上を求めましょう。
今、お金が無くて大変だった、なんてことを忘れとったはず。
お金でない所で幸せになりましょう。
幼稚園まではおばあちゃんに面倒見てくれないかどうか相談してみてはいかがでしょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お礼が大変遅くなりすみません‼
ありがとうございます‼
確かに、無駄遣いが多すぎる事に気づきました‼
主人の給料も決して低すぎる訳ではないとも気づきました。
出費を押さえてみます‼
ありがとうございます。

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