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元カノの事が忘れられず、新たな恋愛ができません。

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有り難し有り難し 27

自分から別れを告げた彼女のことがやっぱり好きである事に気付き、復縁を申し込むもダメでした。

当初は後悔の気持ちで自分を責めに責めていましたが、自分の勝手が招いた事であり、
新しい交際相手を見つけた彼女の、これからの幸せを望む気持ちになりましたが、

彼女との沢山の思い出を二度と共有できないことへの後悔や
結婚していたら、どんなに楽しかっただろうという考えを巡らせたりしてしまい、
自責でのイライラ。将来への不安にウツウツとしてしまう事があり、辛いです。

新しい恋愛をしようと、周りに女性を紹介して頂いたものの、
彼女が理想となってしまっており、新たに他の女性を好きになれません

このまま好きな人もできず、結婚もできないのかと考えてしまい暗くなってしまっています。

わがままを言えた容姿・性格でもなく、紹介して頂ける相手も無限ではないので、
新たな人と会うのは一旦やめて、彼女への未練を払拭するのが先だと思っているのですが、
どう気持ちを切り替えていいのかわかりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

誠実に詫びて好意を伝えてダメならあきらめる

まず、このご回答はその彼女と付き合うためのものでは無く、自分の期待を無くして妄想から縁を切るためのものです。
未練とは妄想です。
たられば ああすればよかったこうすればよかった。
それは現実ではありません。
あなたのセルフのイメージです。
以下、さっさと目覚めて諦める為のお話です。
今あなたが相手にしているのは自分のメモリーです。
それは自分の妄想です。
甘く切ない、失われた時間。
ただの記憶です。
過ぎたことです。
もう終わりました。
それは完全な妄想です。
あなたが心の中で相手にしているのは、本物のその人ではありません。
あなたの中だけの独自の思い込みイメージ彼女です。
現実の実際のリアルタイムに生きて動いている彼女ではありません。
また、彼女はあなたのものでも何でもありません。
彼女は新しい彼を選択したのです。
現実世界で新しい彼氏さんを作っている訳ですから99・999999999999999%ありません。
あるというなら奮起して現実の世界で確かめて傷ついてストーカーになる前に諦めることです。
その前に彼女の自由と選択と尊厳を認めてあげてください。
そういうカタチの愛もあるものです。
へりくだりを持つことです。
ここまでは冷静になってくださいという事です。目は覚めたでしょうか。
さて、今から電話してください。
カッコつけてはいけません。
もう彼氏さんがいる以上、会ってくれと言っても厳しいでしょう。
ただ何も期待せずにあなたの反省と気持ちを伝えて、彼女を傷つけた事をきちんとお詫びして諦めてください。諦めるらめるために。
多分あなたは自分のことしか頭にないのではないでしょうか。
あなたがフったという事はあなたは彼女を大いに傷つけたという事です。
そこへの向き合いが弱いと思います。
未練とはコミュニケーションの不完全状態です。
きちんとお別れができればあなたの未成仏な気持ちはスッキリ晴れるはずです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

過去は過去すっきりとおさらばしましょう

今日に昨日は存在していません。
今日に、元彼女と一緒に居たということは存在していません。思い出となっているだけです。
事実は今目の前にある現実のみ。思いの世界と真実の世界どちらをとりますか。

思いの世界に生きていたら、一生新しい彼女はできません。なぜなら、記憶と比べるからです。記憶は変化します。真のように人をだまします。美化します。逆もあります。ねじ曲がるのです。

新しい女性と出会ったときに、そこに元彼女はいません。その人がそのまんまあなたの前に存在しています。その人の良さがグッと際立って見えてくるでしょう。

真を見ることを優先すれば、出会いはあるでしょう。思いの世界を優先したら、出会いはなくなるでしょう。

あなたはどちらを優先するべきか分かっているはずです。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

彼女を傷付けた事は、直接会って謝ることが出来ており。彼氏が出来た時点で、復縁は諦めて、彼女のこれからの幸せを願っています。

しかし、彼女の名字や、彼女の住んでる地名など、本当に些細な情報からでも自動的に彼女が浮かんできて、中々忘れられないのが辛いんです。

彼女と話せる機会があれば話したいですが、それこそ新しい道を歩む彼女には迷惑な話しだと思ってます。

でも、お言葉を頂けて、頭の中に閉じこもっている自分を見つける事もできました。

新たな人との出会いでは、実際に目の前にいる相手の良さだけを見つけて、好きになれる相手を見つけます!
どうも、ありがとうございました。

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