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信仰について

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有り難し有り難し 15

 私は仏教徒の家庭に育ち、幼い頃からお寺に通い、お坊様と話すのが大好きな幼少期でした。仏教系大学を卒業しましたが、就職後、人間関係でうまくいかず、キリスト教と出会い洗礼を受けました。
 しかし、教えへの疑問は続き、今は禅の考えに共感していて、キリスト教も仏教も
人の悩みに対する解決策としては考え方が近いなと感じています。
 このサイトに出会い自分の疑問、不安を
質問させていただき、ありがたく感じています。
 心配し過ぎず、考えすぎず、目の前の出来事だけを事実として生きていく?これでいいのでしょうか?
 生き方と考え方のアドバイスをいただきたいのでよろしくお願いいたします。

2015年8月24日 21:02

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

六根を大切に

目の前のことを事実として捉えるなんてこと考えなくても、目、耳、鼻、舌、身体、心がそのまんまを受け入れています。真実とは、そういうことだと思います。考えが先になると、真実からそれていきます。

今この瞬間しか存在していないということです。

そして思いは出てきても自然に消えていきます。こうしようああしようなんて考えることもなく、消えていくものです。

2015年8月24日 22:23
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有り難し
おきもち

悟りに国境、人種の隔てなし。 安らぎに宗教宗派の隔てなし。

たとえ話ですが、キリスト教と仏教とイスラム教の方がびっくりドンキーで同席で仲良く食事をしていたとします。
キリスト教徒の方にとってパンとワインがキリストの体と血を意味することであっても、皆でワインとパンを楽しんで頂けば誰でも等しく同じ味。
蓮の花が飾ってあれば仏教者にとって特別に映っても、他の人にとってそれはただのロータスでお店の飾り物。
ハンバーグはイスラム教の方は食べられないから豆腐ハンバーグを食べたとします。
そころが豆腐バーガーの中にも若干の豚肉や味の素が入ってたが、知らされていなかったので何も問題は起こらなかった、とします。
上記は仮の話ですが、ここにすべての宗教の小さな隔てを超えられる真の宗教性があります。
ものの本源、根源においては、どんなものにも何の付加価値や宗教思想的な意味も添えられていない。
讃美歌が流れれば、仏教徒であっても美しいと感じる。
音に宗教の隔てなく、耳に聞こえるサウンドにラベルなく、宗派はありません。
どんな人でも、世界各国の文化・宗教的な隔てなくすべてを純粋に味わい感じ取る力を持っている。それこそが真の宗教性であり、誰もがそういう世界を純粋に感じ取れる力をもっています。そういう本来の無色透明の宗教性を禅といい仏教の悟りといいます。
ですが、ここで禅だ仏教だと言ってしまうと、別の宗教宗派の方が隔ての気持を起こしてしまってもいけません。
「禅も宗教だ、宗派だ、思想だ」と誤解をされてもいけませんので避けるためにあえて「お店」を例に考えましょう。
お店は誰でも隔てなく受け入れ、お客が誰であろうと宗教宗派も選びません。
人間は本来どんなものでも等しく味わい、楽しむことができるはずです。
だから真の宗教家は、ラベル、肩書きの隔てを超え、根本を見抜く目を持った者でなければならない。信仰する側は何を信仰するにしても、その宗教が本当に宗教なのか、思想なのかを見抜く眼こそ、必需な心です。
禅だから坐禅でなければならない、という禅僧は偏狭な思想家です。
何故なら仏教や禅とは、物事の根本を見抜き、精神の自由性を得る教え。
禅に固執し他宗を認めなければ、そんな禅僧は偏狭的と言わざるを得ません。
宗教、宗派間であまり、こういうことが、押しつけがましくなるから宗教が宗教でありながら思想の対立になるのです。
この道理を弁えられ、もっと大きな道を行くべきです。

2015年8月25日 21:26
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

「宗教について」問答一覧

他の宗教を学ぶという事

私は…スピリチュアル的な物(パワーストーンとか占い)にハマった→流行りの御朱印集めにハマった→神社とお寺の参拝にハマった(その過程で神様や仏様と摩可不思議過ぎるご縁を頂きました!)→現在、神道と仏教の知識(書籍やネットが主)を学んでいるといったプロセスを踏んでいる者ですが… そんな私が「イスラム教」や「キリスト教」など世界の宗教を“なんとなく書籍やネットで学んで”良いのか…“仏教のお坊さんに”教えて欲しいです 何でそんな事聞くかと言うと…うまく説明出来ないのですが “神道の神様や仏教の仏様”に「こいつ異国の宗教に浮気しやがったな!?」って思われたり「こいつが我々に抱く信仰心はこんなものなのか…」って思われないか…どうか ちなみに何故私が日本にあまり馴染み無い宗教を学ぼうと発想したかと言うと単に他国の神の考え方捉え方を知りたくなった…それと 【高次元の存在は確かに存在するのだろうが、仏教神道といった宗教という人間の作った1つ2つの枠組みには捉えきれないものであろう、より多くの宗教(高次元の存在の考え方)を学べば、より高次元の存在と近しくなれるのではないか?詳しくそれらの存在を定義が出来るのではないか?そもそもその宗教に高次元の存在はいるのか】と発想がふと浮かんだからです こういったある種の実験(?)または知識欲の充実を図りたいのですが…どのような結果が付きまとうのか不安なんです “影響されやすい自分”が新たな知識や信仰を得てどのように仏教と神道を見直すか、場合によってはどのような報い(天罰とか仏罰)を受けるのかとか… あまりこんな事言うべきじゃないと思うのですが宗教は教義の違いからともすれば互いを否定しがちですもんね 私はそもそもお坊さんではないし在家信者の定義にも当てはまらない只の“神道仏教ファン”に分類されると思うので失礼は承知なのですが… 恐らくお坊さんの中には私と同じ事を発想された方がいらっしゃるのでないかな?と もしかしたら私のようにビビってまごついてる前に実践された方もいらっしゃるのでないかな?と思って質問させてもらいました どうか回答お願いします

有り難し有り難し 23
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宗教脱退したあと

4年程前にこちらで宗教についてご質問させて頂きました。ありがとうございました。 その後についてご相談させて頂ければと思い質問させてください。 私自身、夫が入っていた宗教へのトラウマは徐々に前向きとなり、試行錯誤で歩んでおりますが、脱退した(夫は脱退させられた気持ちが強いかもしれません)夫自身はそうでなかったようです。 私がどれだけ気持ちを前向きに変えようとも、夫自身は私でも息子でも埋められないぽっかり穴があいてると言われました。宗教を失うことによって、仕事も何もぶれる、お前自身は辞めたら幸せになれるって言ったじゃないか!!と言われ、今更ながら夫に宗教を辞めさせた私がいけなかったのかと、私がぶれてしまいます。 結婚してから入信してることを知り、人は死んでも死後硬直しない、太陽が直視できるようになる、地獄に落ちるから宗教の内容や名前は言ってはいけないなど、特殊な宗教で、我が家の場合は家庭が壊れてしまうと思ったので、辞めてもらった?辞めさせるようした?のですが、あれから何年経っても、夫は心に穴が空いたままなのが分かりました。 私自身、身内がお坊さんなのですが、人を労る気持ちや感謝の気持ちなどごくごく自然に教えてもらったのですが、夫自身は家族以外に頼れるものを失った気持ちが強いことが伝わってきて何とも言えません。 このままめげずに心を持って暮らしていけば夫の心の穴は埋まるのでしょうか?? 

有り難し有り難し 18
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