hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

信仰について

回答数回答 2
有り難し有り難し 15

 私は仏教徒の家庭に育ち、幼い頃からお寺に通い、お坊様と話すのが大好きな幼少期でした。仏教系大学を卒業しましたが、就職後、人間関係でうまくいかず、キリスト教と出会い洗礼を受けました。
 しかし、教えへの疑問は続き、今は禅の考えに共感していて、キリスト教も仏教も
人の悩みに対する解決策としては考え方が近いなと感じています。
 このサイトに出会い自分の疑問、不安を
質問させていただき、ありがたく感じています。
 心配し過ぎず、考えすぎず、目の前の出来事だけを事実として生きていく?これでいいのでしょうか?
 生き方と考え方のアドバイスをいただきたいのでよろしくお願いいたします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

六根を大切に

目の前のことを事実として捉えるなんてこと考えなくても、目、耳、鼻、舌、身体、心がそのまんまを受け入れています。真実とは、そういうことだと思います。考えが先になると、真実からそれていきます。

今この瞬間しか存在していないということです。

そして思いは出てきても自然に消えていきます。こうしようああしようなんて考えることもなく、消えていくものです。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


悟りに国境、人種の隔てなし。 安らぎに宗教宗派の隔てなし。

たとえ話ですが、キリスト教と仏教とイスラム教の方がびっくりドンキーで同席で仲良く食事をしていたとします。
キリスト教徒の方にとってパンとワインがキリストの体と血を意味することであっても、皆でワインとパンを楽しんで頂けば誰でも等しく同じ味。
蓮の花が飾ってあれば仏教者にとって特別に映っても、他の人にとってそれはただのロータスでお店の飾り物。
ハンバーグはイスラム教の方は食べられないから豆腐ハンバーグを食べたとします。
そころが豆腐バーガーの中にも若干の豚肉や味の素が入ってたが、知らされていなかったので何も問題は起こらなかった、とします。
上記は仮の話ですが、ここにすべての宗教の小さな隔てを超えられる真の宗教性があります。
ものの本源、根源においては、どんなものにも何の付加価値や宗教思想的な意味も添えられていない。
讃美歌が流れれば、仏教徒であっても美しいと感じる。
音に宗教の隔てなく、耳に聞こえるサウンドにラベルなく、宗派はありません。
どんな人でも、世界各国の文化・宗教的な隔てなくすべてを純粋に味わい感じ取る力を持っている。それこそが真の宗教性であり、誰もがそういう世界を純粋に感じ取れる力をもっています。そういう本来の無色透明の宗教性を禅といい仏教の悟りといいます。
ですが、ここで禅だ仏教だと言ってしまうと、別の宗教宗派の方が隔ての気持を起こしてしまってもいけません。
「禅も宗教だ、宗派だ、思想だ」と誤解をされてもいけませんので避けるためにあえて「お店」を例に考えましょう。
お店は誰でも隔てなく受け入れ、お客が誰であろうと宗教宗派も選びません。
人間は本来どんなものでも等しく味わい、楽しむことができるはずです。
だから真の宗教家は、ラベル、肩書きの隔てを超え、根本を見抜く目を持った者でなければならない。信仰する側は何を信仰するにしても、その宗教が本当に宗教なのか、思想なのかを見抜く眼こそ、必需な心です。
禅だから坐禅でなければならない、という禅僧は偏狭な思想家です。
何故なら仏教や禅とは、物事の根本を見抜き、精神の自由性を得る教え。
禅に固執し他宗を認めなければ、そんな禅僧は偏狭的と言わざるを得ません。
宗教、宗派間であまり、こういうことが、押しつけがましくなるから宗教が宗教でありながら思想の対立になるのです。
この道理を弁えられ、もっと大きな道を行くべきです。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

「宗教について」問答一覧

生霊や神様仏様のお力について

よろしくお願い致します。初めての質問で兄の相談をさせて頂きました。 兄はアルコール依存で鬱の疑い、飲酒運転の果ての接触事故、そして兄に対する母の言動で私は精神的に不安定でした。 俳優さんの自死から私の中にもそのような感情が芽生えてしまったこともありました。 表では笑って人を励ましているのに、その感情と並行するように闇がありました。 しかし、これではいけない、楽しい事をしようと母と京都旅行をする事になり、お寺や仏様・神様などを調べているうちに、神様・仏様がどのような力を持っているのかを知りました。 ---- 頭がおかしいと思われるかもしれませんが、兄には生霊が憑いている気がしてお祓いについて真剣に調べました。 「突然背中を強く叩く」というものがあり、不意を突いて兄に実行しました。 兄は驚いていましたが、表情が変わった気がしました。 次の日に、不動明王様の事を知り、お力を借りようと兄が仕事に出かけた後、部屋の前で「これは兄の言葉としてお聞きください」と真言を何度も唱えました。 すると帰宅した兄が、珍しく「温泉いきたい」と出かけ「さっぱりした」と帰ってきました。 数年続いた鬱蒼とした雰囲気とは何か違うように感じ、不動明王様に感謝しました。 それから毎日私は、「全ての神様、仏様、一日宜しくお願いします」「本日も有難うございました」と挨拶をしています。 その中でも、とりわけ話を聞いてほしい神様や仏様の名前を呼ぶのですが、毎日変わる事もあります。 しかし、沢山の神様や仏様をその時の気分で信仰するのはいけないのでしょうか? 一番お慕いしている神様(または仏様)を信仰したほうが良いのでしょうか? 私は先祖のお墓があるお寺の宗派も知らないし、両親は新興宗教に所属しており、お仏壇にはその宗教のお経を唱えています。 私というと、3年前から安井金毘羅宮にお祀りされている崇徳天皇に惹かれ不思議なことが重なり、崇徳天皇がお傍にいるように感じお慕いしています。 怨霊として恐れられていますが、私にはそのような方には思えません。 また、生霊・悪霊は本当にいるのでしょうか?霊感がないので、除霊などできるはずがないですし、それでも、毎日兄や家族の為に神様に挨拶をすることや真言を唱える事を続けた方がいいでしょうか? 読みづらい文章で申し訳ありません。 宜しくお願いいたします。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

神社の境内に村のゴミ捨て場があります。

私はシニアで、以前は母子家庭の母でした。 フリーター暮らしが長く、転居も多かったです。自然が大好きなのと、健康のために田舎暮らしを志向し、今は自然の多い古い村の一角に住んでいます。 もとは大阪府の町で生まれ、東京の都会に長くいました。 社会的弱者でしたので、転居する度に、その地域の氏神様(神社)にご挨拶に行き、加護や導きをお願いしてきました。転出して去る時も、氏神様に報告やお礼は欠かしませんでした。 それが、今は過疎の村にいて、氏神の神主さんはもう不在で、村の人が形ばかりの掃除を受け持っています。(お寺ももう住職は不在です) 氏神はさびれています。 その神社は、集まる場所みたいにはなっていて、村全体でゴミ拾いなどをする場合は、その境内に集合します。神社に隣接して自治会の集会所が建てられていて、その集会所を利用する際も、神社の境内を使い、車も止めます。 で、神社の境内の端っこに、村の人の日常的なゴミステーションが設置されています。 私はふだん別のゴミ集積所を使用しますが、乾電池や電球、蛍光灯などの特殊ゴミに関しては、その神社のゴミステーションを利用しなければなりません。 最初は慣れることが先であまり深く考えなかったのですが、先日、車でその神社の境内に行き、乾電池などをコンテナに捨てて、また車で神社の境内を斜めに横切って裏の道に出るということをした時、「神様に対してすごく不遜な、失礼なことをしている」という思いがこみ上げてきて、何か、ドキドキひやひやしました。 そもそも禊祓いの神社に、「ゴミ」は、ダメだと思うのです。 友人や身内に意見を聞いてみたところ、関西の人は、「神社にごみすてばー? バチあたんで!すごいなあ・・」という反応ですが、関東の人は、「ゴミ出すスペースがそこしかなかったんじゃない?」「氏子って、神社から長い年月お金や労力を取られてきてるから、仕返ししてるんじゃない?」「所詮建物に過ぎないし、空き家でしょ?」等と言います。畏敬の念というのが、ぜんぜん無いです。 文化の違いみたいです。 どうしようもないのですが、心にもやもやが残って困ります。 神社を畏敬したら、畏敬の念のない村人に合わせられないし、村人をまねて神社に対する畏敬の念を捨てるということも、私にはできません。 私はどう解釈し、どう神社や村人と接すればいいでしょうか?

有り難し有り難し 17
回答数回答 3

宗教の見つけ方、供養の仕方

もしかしたら同じ質問あったかもしれませんが、見つけきれなかったので質問させてください。 現在私達夫婦は20代後半ですが、何気なく自分達が亡くなった時の事を話し合った時があり 葬儀の事やお墓の事など色々疑問が出てきました。 まず私達夫婦の実家はどちらとも南無阿弥陀の仏教ですが、私の両親は嫁ぎ先の宗教や慣しに従いなさいと言っていて、 夫の両親は夫は次男だから家の墓には入れないから好きなようにやれと言われました。 そこで、私達には娘が2人なので跡を継ぐ事は無いと思うし、市の共同墓地と言うのでしょうか…子供達にお墓の手入れなど負担をかけない様なお墓に入りたいと思っています。 ただお葬式を家族葬にしてお坊さんを呼ばないお葬式(できるだけお金のかからない方法)にしようかと話してたのですが、その場合四十九日や、三回忌七回忌等も無くなると思うのですが、魂は成仏されるのでしょうか? そもそも私の勝手なイメージですが、お墓=お寺というイメージがあり、お経を上げないお葬式を行ってもいいのでしょうか? 今回は明日死ぬかもしれないという体で話し合ったので、多分十数年生きたら考え方が変わるのかもしれませんが… 直接お坊さんから知恵を頂ければと思い相談しました。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

密教について、

こんにちは。 沙門一緒さん、お言葉、回答有難うございました。 前回の質問にもある通りなのですが、 密教についてまだ、不安が消えません。 私は、密教という言葉を聞いたので、 なんだろう?という気持ちでハスノハで調べましたら、お経の名前や、相談、道具の名前が出てきました。そして、関連ページをうっかり開いてしまって、ハスノハの管理人さんがやっている写真付きのブログを見ました。一瞬、ほかの記事も見てしまったかもしれません。 今は一切見ていないのですが、前々回の質問の時、ハスノハの質問を見てしまい、不安で不安で何回もその質問を見たりしてしまいました。(画像ではないです) 私は、密教の情報をわざと、漏らしたり わざと、お経を唱えている所を盗み聞きするつもりは全くありません。勝手に唱える気持ちもありません。 しかし、不安で母に道具とお経の名前を言ってはいけないと言ったりしてしまいました。 また、ポロっと言ってしまうかもしれません ただ、日本史などに載っている密教のまんだらや像などは見ても大丈夫ですか? 今は見ていませんが、ハスノハ管理人さんのブログに載っていた写真は問題ありませんか? 「地獄に落ちる」という言葉が強烈すぎてずっと不安でどうしようもないです、 毎日、脅迫のように、地獄に落ちるとパッと出てきて、落ち込んでしまうので、 周りの人にも迷惑がかかってしまって、苦しいです。申し訳ないです。 すみません、怖がってしまって、また相談するかもしれないです。 どうかお願いします。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2

宗教や宗派ってそんなに重要ですか?

宗派のラベリングに重要性が見いだせず、むしろ弊害を感じることが多いです。 (800文字と長めです。) 以前とある牧師さんに教わりました。「キリスト教は浄土宗とソックリだ。日本向けのローカライズのために、あえて仏教に化けて広めた可能性を疑う研究者すらいる(笑)」 真偽はさておき、個人的には同感です。核心部たる念仏などは酷似しており、言葉が違うだけで内容はほぼ一致かと(素人目には)感じています。となると、キリスト教と浄土宗の本質的な違いは何でしょうか?人智を超えた神仏を※※教だけが独占できると見なす構造にも疑問があります。 ここからが本題です。その違い(ラベリング)は、諸々の軋轢を覚悟してまで保つべき、重要な違いなのでしょうか? 些細な見解の差で派閥や宗派が分かれていき、しまいには宗教戦争が起こるのだとしたら、単なるセクショナリズムと何か違うのでしょうか?5%の違いのせいで協力できず、残り95%の共通点を捨てているように見えます。ましてや同じ宗派や寺院の所属でも、個人ごとに意見はバラバラだというのに。宗派の上納金制度?などを聞いても、宗派はいわゆるビジネス上の"のれん"に過ぎないのでは?との現実的な疑問も浮かびます。 問いの対象は浄土宗だけではなく、宗教と道徳の境界線についてです。話がそれますが、中東問題などを理解する上でも避けて通れないテーマです。奇譚のないご意見を頂けると嬉しいです。 問を整理します。 「学べば学ぶ程に、宗教や宗派のラベリングに重要性が見いだせません。むしろなぜ拘るのかわかりません。私に欠けている視点を、どうかお聞かせください」 以下は補足です。 私はキング牧師やガンジーを尊敬しています。彼らは別々の信仰を持ちつつも、※※教徒のためではなく、社会全体の差別撤廃のために活動しました。それでいて、全ては信仰に基づくと明言しています。このスタイルに敬意を持つ反面、宗教宗派のラベリングに違和感を持つということは、何かを見落としているのでしょうか? 宗教とか宗派に拘りがなく、人に言われるまで気づきもしないのはダメなのでしょうか?

有り難し有り難し 51
回答数回答 5

お先真っ暗

色々な人に助けられて何とか生きています。婦人科系の病気は中々手強いです。 私は一応キリスト教の信者なんです。もう20年以上も教会には行っていません。キリスト教では自殺は絶対に認めません。私が薬を買っただの飲むだなとここで言っていますが、どうしても理解出来ないんです。理由や原因が何であれ心身共に弱っていて命を絶ってしまった人の霊魂を受け入れないなんておかしいって神父様に言った事があります。頑張った、ギリギリまで頑張ったけど駄目だった人を、神から与えられた命を勝手に消したのは許されないなんて慈悲の神様がする事なんですか?って。結局水と油で教会には行かなくなりました。聖書をこの時くまなく読みましたが、自ら命を絶つ事は許されないと弟子が言っていて、イエズス・キリストは言っていないなと。こんな私がおかしいですが、自ら命をを絶った人の霊感が天国で安らかに過ごせます様にと祈っています。それは間違っていると神父さまが言ったので、もう教会には行かない事にしました。お坊様はどう思われますか?やれ薬をかったとか飲むとか言った私が聞くのは変かもしれませんが。 政府は決して認めようとはしませんが、CORONAの第1波が治らない内に明らかに第2波が日本を襲っていると思っています。益々主人は日本には来れないだろうと、もう一生会えないかもしれないとさえ感じています。婦人科系の病気はさっぱりです。治りません。通院に疲れています。でも、何とか生きています。息も絶え絶えです。

有り難し有り難し 28
回答数回答 2

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る