hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

劣等感を和らげる方法はあるのでしょうか?

回答数回答 2
有り難し有り難し 13

私は友人・親類への大きな劣等感に苛まれています。

己を持ち上げるような書き方となってしまいますが、私は世に言う一流大学を卒業しました。

しかし、就職は思うように進まず、今は書店の外商員として大学を訪問する日々を送っています。

幸い、衣食住に困るほど困窮はしていないのですが、私の友人や親類は、皆、超一流企業に勤め、華やかな生活をしております。

就中、唯一の兄妹である妹は、現在、私の最も勤めたかった企業に勤め、夢に向かって着実に歩みを進めています。

私たちは母を早くに亡くしたこともあり、兄妹仲は良好で、妹も私のことを敬愛してくれています。

ですが、その敬愛が、私の中で大きな劣等感に変換されてしまうのです。

どうにか彼女に追い付こうと、私も必死に動いてはいるのですが、努力が足りないのか、あるいは方向が間違っているのか、その差は広がるばかりです。

人は人、自分は自分、と己に言い聞かせてみても、劣等感はまるでおさまってくれません。

この劣等感と上手く付き合っていく方法はあるのでしょうか。
教えていただけますと幸いです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏道とは比較(思考)を生きず絶対(目前の事実)をいきること

人間は自分一人で生きている時には「絶対状態」を生きています。
絶対とは、対を絶したさまです。対、対するもの、比較相手が無いので比較するものがありません。
集団生活で他人と居る時、どうしても人と自分を比べてしまうことがあろうと思います。
ですが、それは、ある基準において比較してるというだけです。
本当の真実のすがたは単独、ソロ活動なのです。たとえバンドであってもソロ活動をしているからバンドなのです。
食材でたとえますと、豆は実にいろいろなものになります。
大豆、しょう油、豆腐、みそ、うすあげ、厚揚げ、大豆油、もやし…
自分の個を生きている人には比較がありません。
あなたの一族や一家が大豆だと考えてみてください。
あなたが味噌で妹さんがしょう油だとしても、それぞれ用途、使い道、方向性が異なるだけです。しょう油の方が食卓ではよく用いられるかもしれませんが、味噌には味噌にしかない持ち味があります。
あなたはしょう油やうすあげになろうとせず、自分の味噌を生きる。
それがあなたの絶対の生き方です。
妹は妹の人生。あなたはあなたの人生。お金がある人は皆幸せでしょうか?
あなたはあなたでソロ活動で絶対の自分を生きることが仏道なのです。
一流企業に入ってお金があっても不幸せな人がいる。
お金が無くても、学が無くても幸せな人がいる。
あなた不足しているところ、学ぶべきところがここだということを明確にさせるために天から与えられた試練だと思ってみましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

何をもって一流とするか

一流大学、一流の会社そうした価値観は誰が決めるのでしょうか。人がそういうからそうなのでしょうか。収入が多い人は立派な中身のある人なのでしょうか。どんな大学を出ようと、大学に行かなかろうと、それは全て過去の話。

今それを引きずることほど愚かな生き方はありません。

大切なことは、あなたが今の仕事に誇りを持てるかどうかではないでしょうか。比較ではなく、その仕事そのものから感じたもの。それが真実でしょう。そして人間の中身は仕事で決まるわけではありません。

お店で店員さんに対し威張る客、トイレ掃除をしてくれる方に迷惑なトイレの使い方をする、そういう人は仕事に優劣をつけている愚か者です。

あなたは、賢いかたのようです。何が本物か見極める力があると思いますよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ