劣等感を和らげる方法はあるのでしょうか?
私は友人・親類への大きな劣等感に苛まれています。
己を持ち上げるような書き方となってしまいますが、私は世に言う一流大学を卒業しました。
しかし、就職は思うように進まず、今は書店の外商員として大学を訪問する日々を送っています。
幸い、衣食住に困るほど困窮はしていないのですが、私の友人や親類は、皆、超一流企業に勤め、華やかな生活をしております。
就中、唯一の兄妹である妹は、現在、私の最も勤めたかった企業に勤め、夢に向かって着実に歩みを進めています。
私たちは母を早くに亡くしたこともあり、兄妹仲は良好で、妹も私のことを敬愛してくれています。
ですが、その敬愛が、私の中で大きな劣等感に変換されてしまうのです。
どうにか彼女に追い付こうと、私も必死に動いてはいるのですが、努力が足りないのか、あるいは方向が間違っているのか、その差は広がるばかりです。
人は人、自分は自分、と己に言い聞かせてみても、劣等感はまるでおさまってくれません。
この劣等感と上手く付き合っていく方法はあるのでしょうか。
教えていただけますと幸いです。
友人・親類への劣等感。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏道とは比較(思考)を生きず絶対(目前の事実)をいきること
人間は自分一人で生きている時には「絶対状態」を生きています。
絶対とは、対を絶したさまです。対、対するもの、比較相手が無いので比較するものがありません。
集団生活で他人と居る時、どうしても人と自分を比べてしまうことがあろうと思います。
ですが、それは、ある基準において比較してるというだけです。
本当の真実のすがたは単独、ソロ活動なのです。たとえバンドであってもソロ活動をしているからバンドなのです。
食材でたとえますと、豆は実にいろいろなものになります。
大豆、しょう油、豆腐、みそ、うすあげ、厚揚げ、大豆油、もやし…
自分の個を生きている人には比較がありません。
あなたの一族や一家が大豆だと考えてみてください。
あなたが味噌で妹さんがしょう油だとしても、それぞれ用途、使い道、方向性が異なるだけです。しょう油の方が食卓ではよく用いられるかもしれませんが、味噌には味噌にしかない持ち味があります。
あなたはしょう油やうすあげになろうとせず、自分の味噌を生きる。
それがあなたの絶対の生き方です。
妹は妹の人生。あなたはあなたの人生。お金がある人は皆幸せでしょうか?
あなたはあなたでソロ活動で絶対の自分を生きることが仏道なのです。
一流企業に入ってお金があっても不幸せな人がいる。
お金が無くても、学が無くても幸せな人がいる。
あなた不足しているところ、学ぶべきところがここだということを明確にさせるために天から与えられた試練だと思ってみましょう。
何をもって一流とするか
一流大学、一流の会社そうした価値観は誰が決めるのでしょうか。人がそういうからそうなのでしょうか。収入が多い人は立派な中身のある人なのでしょうか。どんな大学を出ようと、大学に行かなかろうと、それは全て過去の話。
今それを引きずることほど愚かな生き方はありません。
大切なことは、あなたが今の仕事に誇りを持てるかどうかではないでしょうか。比較ではなく、その仕事そのものから感じたもの。それが真実でしょう。そして人間の中身は仕事で決まるわけではありません。
お店で店員さんに対し威張る客、トイレ掃除をしてくれる方に迷惑なトイレの使い方をする、そういう人は仕事に優劣をつけている愚か者です。
あなたは、賢いかたのようです。何が本物か見極める力があると思いますよ。