寝たきり
いつも、お世話になっております。この度もよろしくお願い致します。
主人のお父様が寝たきりになり早半年。この半年間1度も動かず、口は大きく開け閉じる事も無く、目も見開いた状態のままです。もちろんこのまま一生口から食べ物を入れる事は無いです。
会う度、人間の命、生きる力、そしてお父様を見ていると生き仏のような寝たきりですが私達の心に響く何かを感じます。時には切なく、時には泣きたく、時には力強く感じます。
しかし、最近はお父様は、はたしてこの今のご自分の状況を願っているのか?もう嫌なのでは?とても疑問に思います。話せない、動けない、食べれない、口が閉じれない、この状況を理解し生きていたいのか?側にいる人間のエゴでは?と思ってきました。
人間は、寝たきりになると何を思い、感じ考えるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
尊厳死を自分で考える。
頑張るママさん、こんにちは。
介護お疲れさまです。
寝たきりのお姿を見ると、本当に人間に死について、自分はどう死ぬのかと、考えることになると思います。私も葬儀を通して多くのご遺体を接するために、自分の死に方もいろいろ考えさせられ、そして自分の終末の生き方を考えている最中です。
野生の動物には老衰はありません。老衰になる前に他の動物の餌になるからです。人間とペットだけが老衰を経験します。老衰の死とは一気に訪れるものではなく、一部一部が機能を失い、時には苦しみながら最期を迎えます。しかし人間は延命治療によって失った一部の機能を補完させながら、更に肉体の寿命を続けさせるのです。
最近は、安楽死というキーワードがたびたびメディアの話題になるとは知っていると思います。合わせて、尊厳死というキーワードも話題になっています。二つは似ていますが、それぞれ意味が違います。
自分も生きることとは何か、自分が寝たきりとなり、自分の意志で示せなくなる前に、自分の死に方を考え、家族に伝えておきたいといつも考えて勉強しています。もちろん臓器移植意志カードもきちんと財布に入れてあります。
義父の今後をどうするかは、ご主人側家族の微妙な問題だと思いますので、自分が決めるわけには行きませんが、介護する立場から夫にはその思いを伝え考えるきっかけにさせてください。家族は生かしたいと思うでしょうが、一番大変な介護をしていないと空論だけが前に進みます。施設に入れるか延命治療の中止を含めて、夫側実家・親族に決めさせる時期が来ているのです。
意識はあるのかないのか、肉体は動かなくとも精神だけは動いていることはたくさんあります。本人はそれが幸せなのか、苦痛を感じているのかどうか。本来であれば自ら食べられなければ衰弱死する自然の原理を、引き延ばしてしまう。答えは本人の意思が確認できない以上、生きている家族で決めなければなりません。
つらいですがそれが死の現実。お釈迦さまが悟るきっかけになった死の認識だと思います。
介護疲れなさらぬように。合掌
質問者からのお礼
お忙しい中の、ご回答感謝致します。ありがとうございました。
尊厳死ですか…考えていませんでした。有り難いお言葉であり、又新たに考えなければいけない時期なのかと深く心に決めました。自然の原理を引き延ばしている。というお言葉も、心に刺さりました。
残された家族の想い、寝たきりの人間の想い。たくさんたくさん考えていきたいと勉強になりました。
本当にありがとうございました。