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由来について質問です

回答数回答 2
有り難し有り難し 15

仏教は面白い。
インドから北周りに来日した文化ですが、
その途中で、様々な宗派がありますよね。
○○仏教とか、○○教とか。
あ、日蓮大聖人を正当と見ている学会もそうですか。

私の名前は、数ある仏教の中でも密教に由来します。
「強く、賢くあれ」という願いが込められたものです。
「弘」の字が含まれていますから。
名前負けしないような生活を送りたいと思っています。

公開しても私自身はかまわないのですが……やめておきます。

何をもって強くありたいのかがよくわかりませんが、少なくとも1分野で力をつけたい、強くなりたいと思っております。

何をもって賢くありたいかは、よく分かっています。私の外見、すごく賢く見えるそうです。なので、目標は「自分の外見に負けないくらい」です。
賢さは表情に出るので、終わりのない戦いになるでしょう。それは百も承知です。

内向的、と言えば聞こえは良いですが、心療内科で「うつ傾向」と診断されています。
だから、することがない時はひたすら何かしらについて考えております。
自分自身の弱さは勿論、自分を取り巻く社会のことも。

さて、自分の姿勢は曲げないつもりでいますし、曲げるのも難しいのですが、ふと、疑問に思ったことがあります。

・神仏習合前の仏教において創世記とは、ガウタマ・シッダールタ王子を出家に導いた四苦でしょうか。
・王子が悟りを開く直前に悪魔の囁きがあった、とありますが、仏教における悪魔とは何でしょうか。

不躾ではありますが、よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教って面白いですよね

・他宗教の創世記に当たる話は「過去七仏」だと私は認識しています。お釈迦さまよりずっと昔に七人の仏がいたという話です。仏は造物主ではありませんので天地創造も国生みもしません。しかし長阿含経(じょうあごんきょう)というお経の構成上、明らかに創世記を意識して読ませる構成になっていると私は解釈しています。

過去七仏の特色は「過去七仏のうち最初の仏さままでは伝承があるけど、それ以前のことは不明」というスタイルをとっており、「どうやっても分からないことは議論しても無駄だし、ましてや心の拠り所になり得ない」という仏教の性格を象徴しています。

世界の始まりは分からないというスタイルは、仏教以前のインド神話に見られる発想です。神々が生まれた時にはすでに天地があったから、神々にも分からない…面白いでしょう?
さらに面白いことに、インド神話には複数の矛盾する創世記が共存しています。聖書みたいな造物主による創世記の話も存在します。真理は1つではないのです。

そんな自分と違う考えを認め、尊重し合えるおおらかさが仏教に受け継がれているわけですね。
だから仏教はいくらでも自分の姿勢を変えます。観音さまは三十三通りに変化します。三十三の化身の中に真っ直ぐな一本の芯が通っているので、いくら変化しても曲がりません。
実際、お釈迦さまの時点で神仏習合の傾向が見られます。一般の人に語る時は一般常識である仏教以前の宗教や神話を意識し、一般人の目線に合わせて語っています。その懐ろの深さ、広さ、大きさが仏教の強さです。

・仏教に当たる悪魔は心の弱さを象徴しています。要するにお釈迦さまにも色々と葛藤があったわけですね。また、日本に入ってくるよりずっとずっと昔の仏教では、出家者を世俗に戻そう戻そうとするベクトルを堕落と見なし、悪魔で象徴することもありました。

さて、仏教は仕事や受験で結果を残す能力を求める宗教ではありません。同じカシコサでも世間的な頭の良さを知恵、仏教的な賢さを智慧と書き分けます。強さも世間的な強さとは別物です。
せっかく密教に由来する名前をいただいたのですから、仏教的な智慧や強さを目指していただければ幸いです。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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お釈迦様の教えによれば、この世は常に移り変わる世界です。ですから創世というものは無く、表現することもできないくらいの遥かな昔から今まで、そして遥かな未来永劫まで続いている世界です。

お釈迦様が瞑想している時に十の悪魔が妨害しようとしました。
第一の悪魔軍、欲望
二、嫌悪
三、飢渇
四、渇愛
五、憂鬱と眠り
六、恐怖
七、疑惑
八、偽善と強情
九、正しい方法では無く得た利得と名誉と尊敬と名声
十、自分を褒めることと他者を貶すこと

つまり、お釈迦様の心の中のことなのです。

ちなみに、悟りを得た後で梵天という神様に人々に布教するようにお願いされました。
この梵天はお釈迦様の心の中に現れた神様です。

人の心には悪魔も梵天も存在するのです。
悪魔を制して、梵天に従って生きていきたいものですね。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

【大慈様】

「面白さ」を魅力的に引き出してくださり、
お名前通り、大きな慈悲を感じました。

私が特に面白さを感じたのは、有名な「芥子の実」のお話です。
亡骸を抱えた母親に「死人を出していない家庭から芥子の実を貰っておいで」と言い、
それに倣った母親はやがて、「絶望は乗り越えるものだ」と気付き、
仏門に入りましたね。
おそらく、その母親にとっての悟りは、「絶望を乗り越える」ことです。

仏教でありながら、その根底は、まさに「考えさせること」「気付かせること」で、
「教えを説くこと」は本質ではないのかな、と思いました。
本当に面白いです。考え甲斐があります。
こうして、少しずつ「智慧」をつけていきたいと思います。

【聖章様】

確かに、文化・文明に終着駅はありませんね。
半年ほど前の質問で、「法=かくあるもの」と解釈しました。
(同時に、「法律=かくあるべきもの」と解釈しました。)
まさに、その「法」ですね。

今、ようやく聖章様の書き込みで、ヒントを得ました。
「川を去るものは魂だけじゃないんだ。時間もそうなんだ」と。
半年前は「法=『さんずい(川)』+『去る』=魂」と、凝り固まっていました。

挙げていただいた十の悪魔軍に、「おや?」と思うものがございます。
飢渇です。
これは、おそらく断食修行を40日もの間続けた直後、
瞑想に入る前ではないかな、と思われます。

断食修行の後、琴の音を聞いて、自分を弦に例え、
「やりすぎれば切れる。緩むと響かない」
的な言葉を残していらっしゃいます。
そして村娘に差し出されたヤギ乳を口に含んだ、と。

私はサンスクリット文字を読むことができないので、
文献を読み取ることができません。
なので、おそらく、ですが、当時は仏陀という名前でしたか?
仏陀のお弟子さんがそのインパクト故に
「飢渇」を思わず入れてしまったのではないか、と思われます。

しかし、理にかなっていますね。
「欲求」は、我々は生物なので神の導きであり、
「欲望」は、まさに悪魔のささやきです。

「心構え・生きる智慧」問答一覧

楽しかった過去を思い出してしまい苦しい

初めて相談させて頂きます。 文章の構成などめちゃくちゃだと思いますがご容赦ください。 私は20代、社会人の男です。 タイトルにある通り、楽しかった過去を定期的に思い出してしまいその度に苦しくなってしまいます。 きっかけはいろいろあるのですが、昔の友人から連絡があった時や、ふと過去の写真を見つけた時、はたまた仕事で辛いことや受け止め切れないことが起きた時などにそうなることが多いです。 前者であればまだ「あの時はいろんなことがあったなぁ」とポジティブに懐かしむことができるのですが、後者の場合(仕事で辛いことがあった時など)が非常に厄介です。 もともと私は要領が良い方ではなく0から物事を考えることも苦手なのですが、今の仕事では覚えることや考えることが非常に多く、いつも上司に怒られてしまいます。 いつも迷惑をかけてしまっているな、と落ち込む毎日です。 普段はなんとか自分なりに前向きに取り組み心もリカバリーできるのですが、 自分の中で限界になると「昔は楽しかったなあ」などと現実逃避してしまいます。 それがタイトルにも書かせていただいた状態であり、今まさに陥っている状況です。 こうなると目の前の物事に向き合う事も難しく、具体的には過去のメッセージのやりとりや写真などいろいろ漁ることに夢中になってしまいます。 しまいには、「なんとかあの頃にもう一度戻れないだろうか」と本気で考えてしまいます。それは絶対に無理だとわかっているからこそ、とても苦しくなるのです。 結婚しており趣味も楽しめているため、プライベートは充実していないわけでは決してないと思うのですが、どうしても仕事で辛い状態が続くとそういったドツボにハマってしまいます。 こういったときに私はどう向き合うべきなのでしょうか? 人間誰しも過去を懐かしむことはあると思うのですが、皆様はどう向き合っているのでしょうか? 今は将来どころか目の前も見えず、ただ過去に固執してしまっている状況です。

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染みついたマイナス思考

はじめまして 会社員の20代男性です 一度投稿したものを消してしまったので再投稿です マイナス思考が染み付いてしまって、どうすればいいのか分かりません 以前数年間お付き合いしていた方が少し精神的にデリケートで、自分を傷つけたり、卑下したりする事が多い人でした 普段は明るくて優しい人で、少しでも元気になってほしくて、彼氏としてできる事はなんでもしようと思っていました しかし最後は結局私の方が抱えきれなくなってしまって、5年ほど前の私が就職する直前に別れてしまいました 弱っている人を見捨ててしまったと罪悪感を感じていましたが、数ヶ月後に連絡がきて、付き合っていた時に私が本当に支えだったと感謝を気持ちを伝えてくれました ただ、私自信が私を許す事ができずに今日まで来てしまいました 未練というのとも違い、自分自身の事が許せない、最低な人間だと思えて仕方ありません 夢だった職業にも就けて、上司や先輩に私を評価していただいても、「本当の自分は最低な人間で、周りの人を騙している」と感じてしまいます こういった感じなので、人からよく思われる事がすこし怖いと感じます みんなが優しくしてくれるのはみんなが良い人だから。 自分が何かいい結果を残せたのは周りのおかげ。 そう考えてしまいます 趣味を楽しむにしても、自分のような人間が…と思い好きだった事もだんだんと熱中できなくなりました 自分の夢を叶えたいという気持ちも無くなってきました 人並みの幸せも諦めて、自分と関わった人がみんな健康で幸せでいてくれて、自分はたまに美味しいものが食べられたらそれでいいと思ってこの数年は生きてきました なんで生きてるんだろう?と思う事もありました ただ最近、もう少し自分の幸せを大事にしようと思ってはじめてみたアプリをはじめてみました 何人かお会いしたりもしましたが、こんな自分を相手に気を使わせてしまっているような気がして申し訳ない気持ちでいっぱいです 以前お付き合いしてた人のせいして、今の自分を正当化したいという訳ではなく、ただただ自分が許せないのです ずっと誰にも話しておらず、実はこの事を誰かに聞いてもらうのも初めてです でも今後の人生の分岐点が今年は多いような気がして、何かを変えないとと思い相談させていただきました 長文大変失礼しました ご回答いただけますと幸いです

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生き方や考え方を変えたい

私は今就活中の大学生です。ここ数年、自分の人生に行き詰まりや限界を感じています。精神的にしんどいことが多く、このままではこのさき生きていけないという不安感があります。 私はおそらく人より不安感が強く、同じ出来事でも一般的な人の数倍、辛さや不安を感じやすいのだと思います。 その辛さにどうやってこれまで打ち勝ってきたかというと、とにかく頑張ることでした。「不安だ、不安だ」と悩む私に、「不安なら不安が気にならなくなるまで頑張るしかない!」とよく親から言われてきました。 頑張っても微々たる不安しかかき消せず、でも頑張らないよりはマシだといろんなことを頑張ってきました。 そのおかげか、周りの人からは「頑張り屋さんだね、コツコツ頑張ることができるんだね」と褒められます。だけど虚しいです。私は鈍臭いから、何をするにも頑張る必要があるだけ、簡単にやってしまえる人が羨ましいと思います。それに、頑張ることにもキャパがあります。この先、私が頑張れなくなった時、私はその人たちからなんと言われるのだろうかと考えてしまいます。実際、頑張ることの限界が近いと最近感じます。 「勉強を頑張るのは、将来やりたいことができた時に困らないためだよ」と言われて、それを信じて自分の可能性を広げるために学業に打ち込んできました。 しかし、頑張れば何にでもなれるわけではありません。就活がうまくいかず、「なんのためにこれまで頑張ってきたのか、頑張ればなんでもできる訳ではないということは理解していたはずなのに」と落ち込んでいます。 私は頑張ることでしか存在価値を示せません。だけど、頑張ることもそろそろ限界が近いです。というか、もう限界を超えています。それに私は頑張れない自分をきっと認められません。 ただ生きているだけでも人よりも多く不安を抱えて、それを乗り越えるために頑張ることもできない。 心と体を休めたくても、社会人になればそんな猶予はないはずです。 早急に私の中の何かを変えなければ、私はこの先、きっと生きていけません。というか、少しでも生きやすいように自分を変えられないのなら、もう私はこれ以上の苦しみを味合わないように消えてしまいたいとすら思います。 どうすれば、もう少し楽に生きていけるでしょうか。もう限界です。

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夫の過去の浮気が忘れられない

浮気、不倫など自分とは無縁だと思っていたら、夫が不倫していました。 夜中に自分の部屋で女と電話している所を同居の娘に聞かれてバレました。 娘も私に言い出さなくて、2ヶ月は胸に秘めていたそうです。 女と遊び始めてからは、夫は 仕事にも行かず、女のシフトに合わせての外出、外泊、3日空けずに女と昼間からホテル。私は離婚するつもりで、探偵を雇い 証拠を揃えて、弁護士も雇い、女に慰謝料請求しました。怒り狂った夫は、私と娘に恫喝まがいの暴言を吐きましたが、結局は、慰謝料請求を取り下げて欲しいと言う事。もちろん、却下するものの、女は弁護士から送られた内容証明を無視。 弁護士からもあんな酷い態度の女性は初めてで、無視を続けてる以上、どうしようもない。訴えたところで、離婚していないのなら、判決で決まる慰謝料なんて少額。 訴えれば、私が損をすると畳み込まれました。 夫とは、よくよく話し合い、許してはいないけど、謝罪は受け入れる事にし、仕事にも復帰した夫、憑き物が取れたように、顔つきも元に戻り、平穏な毎日を送っていますが、私はあの女が許せないままになっています。夫が1番悪いことはわかっているつもりですが、無視をしつづけてる女が許せない気持ちが続いてしまってます。 自宅のパソコン、夫のLINEが同機していたので、2人のLINEやりとりはずっと見ていました。見てはいけなかったのでしょうが、探偵に情報を送るために確認していました。そのLINEには女が、離婚をそそのかしていたり、泊まりをねだっていたり、私の悪口を書いていたり、別れると言いながら、夫を呼び出しホテルで仲直りを繰り返している事がわかりました。 夫はもう一年前の事、もう終わった事と自分の中では終わらせてしまってます。 夫とは穏やかに暮らしているものの、私には落とし所が見つけられないままになっています。こんな私は見苦しいですよね? 再構築を選択したとは言え、あの頃の夫の顔つきや、暴言などがフラッシュバックしてしまいます。 こんな私にお言葉を頂ければありがたいです。残りの人生を穏やかに暮らしたいのです…

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普通の家庭への羨望、前向きにがんばれない

あまり一般的とは言えない家庭で育ちました。 親は共働きですが父親が働いたお金をすべてギャンブルに注ぎ込むため、生活費や学費がなくなり子どもの私や姉が高校に入学すると同時にバイトを始め母と一緒に生活費を工面する生活でした。高校卒業時に全部自分で責任を背負うことを決め家を出て、大学に進学しました。そして海外の大学院に進学し今に至ります。 現在私は30歳になり、海外で自分がずっとやりたかった仕事ができています。 それは子どもの頃からの地獄のようなアルバイトの生活とこれからの奨学金の返済義務を犠牲にやっとこの場所に立てているのです。なのにただ何もかも用意された環境で育ち、困ったことがあればすぐに頼れる実家や家族がいて、お金の心配をする必要なく日々を前向きに過ごせている周りの友だちが羨ましくて仕方ありません。 その上「逆境こそがんばらなきゃ!貧困を努力で乗り越えた人たちはたくさんいるよ!」「もっと賢い方法でお金を稼ぎなよ」と子どもの頃から何不自由なく育った人たちに言われても、素直に受け取れません。 周りからがんばれと言われても、そもそも子どもの頃から全部自分で稼いできた人が存在すること、親に頼れない家庭が存在することを知らない人ばかりで実際私の立場は誰にもわかってもらえないことと、周りとのスタート地点の大きな差をただただ思い知らされて心が折れそうです。 「確かにあの時もっとかんばれたんじゃないか?あの時少し怠けていたんじゃないか?」など自分の技量不足や努力不足も疑い始めました。でもこれでも立ち止まらず、立ち止まれずに心と体をぐちゃぐちゃに壊しながらも今まで一生懸命やってきました。 これからももっともっと前向きにがんばってお金を稼がなければなりません。それなのに私は今も周りの生まれた環境を羨み、比較して、なぜ私は今までもこれからもこんなに苦しまなければならないのかと絶望してしまいこれ以上がんばれないままでいます。 周りとの生まれの違いを気にせずに、どうやったら前向きにがんばれるでしょうか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ