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お寺での心構え

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有り難し有り難し 23

 お寺で参拝するときは現世の利益を願う事を避けて、自分の命を仏様に感謝する事にとどめなさい、というような事を聞いたことがあります。 

 しかしそれとは全く反対の事をおっしゃる僧侶にお会いした事があります。(お寺では結婚や出世など、なるべく具体的な願い事をお願いすべきだと、、) 

 どのような心構えでお寺に参拝するのが良いのでしょうか? 


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

俗的な現世利益を求めることを経て、真の現世利益へ到達します

御利益(ごりやく)という言葉は勘違いされております。現世利益というと、一般には子孫繁栄・商売繁盛・立身出世・福寿長久という願いがかなうことのように理解している人が多いようです。そういう方々に比べれば、北斗星さんの理解の方が正しいと思います。
  利益(りやく)の解説としては、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説が参考になります。
「仏教に従うことによって得ることのできる幸福・利益のこと。自分を益するのを功徳(くどく)、他を益するのを利益とよんで、自利と利他を分けることもある。この世で受ける利益を「現世(げんぜ)利益」(現益)、後の世で受けるものを「後世(ごせ)利益」(後益)という。(中略)俗には、病気を治し、寿命が伸び、金銭や名誉などを得ることを現世利益とよぶが、仏教では世間一般の名声や利欲を名利(みょうり)として厳しく退けている。[松本史朗]
                               」
 仏教の教えを通して得られるものは「子孫繁栄・商売繁盛」等ではありません。私なりの理解で申し上げれば、「少欲知足の実践を通して欲望をコントロールし、心の平安を得ること」であり、「抜苦与楽の実践を通して他者に喜びと安楽を与えること」であります。一般に現世利益という言葉が仏教の教えを離れ、即物的な欲求を満たす意味に使われることは誠に残念なことです。我々僧侶も教化が足りないことを大いに反省しなければなりません。
 (お寺では結婚や出世など、なるべく具体的な願い事をお願いすべきだと、)と言った某住職の言葉には全面的には賛成できませんが、真意を推し量ることも大事です。目先の目標や欲求の達成のために神仏の加護を求め、神仏に祈る。その結果を御利益として神仏に感謝すること自体、間違いではありません。素朴な祈りとその結果をを経て神仏に感謝する日々を送り、段階を経て仏教で言う御利益の意味に気が付いていただければ宜しい、と思います。北斗星さんの考えは正しいと思いますが、他者の祈りも広い心で受け入れてあげてください。 

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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合掌にはいろんな意味があるものです

挨拶の合掌
感謝の合掌
懺悔の合掌
礼拝の合掌
祈りの合掌
誓いの合掌
願いの合掌
供養の合掌
無我の合掌
悟りの合掌
何を祈ったっていいのです。
その人がその人なりに、自分が自分をより良い自分導いている姿であると思ってあげてください。
私は、感謝の時もあれば、自らが自らの仏になるべく合掌をする事もあります。
仏教において一番大事なのは、自分が本尊さんと同じようになる事でしょう。
いつか仏になろうと願うより、いま仏にならんと、ただ、ただ手を合わす。
そしてのちに、すでに仏であったと覚するのみ。
仏というは、無為、無我、無作、無常、無念なる本来の自己に帰ることです。
無為…心にはからいなきこと
無我…ものに対して自我の見解無きこと
無作…作り事や造作、キャラづくりなきこと
無常…常に過去から解脱して執着なきこと
無念…思いに影響されることなきこと
無願…自我の願い無きこと
無心…是非善悪の掴み事なきこと
これを仏となづく、おのれの心の他に仏を求むべからず。

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質問者からのお礼

吉田俊英 様 ご丁寧なご説明とアドバイス、本当にありがとうございました。 初めての投稿でドキドキしていたのですが、このような拙い質問に対しても親身になってご返答してくださったことに、まずは深く感謝申し上げます。 私が仏教の教えに関心を持つようになったのは2年ほど前の事であり、寺院を訪れる機会も多くなりました。 吉田さまがおっしゃって下さった言葉を表面だけではなく真の意味で理解できるように努力していきたいと思います。 

丹下覚元 様 ありがとうございます。 まだ私には、仏になろうと祈ることはできないと思いますが、仏様に近づきますように、との思いで手を合わせることはできそうです。 特に観光地などの有名な寺院などでは、つい仏像や建築物の鑑賞に気がとられてしまい、そぞろな気持ちで手を合わせてしまうことが多いですが、そこに導かれたことに対する感謝を忘れないようにしたいと思います。 

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