どうも違うようです。
こんにちは。皆様の温かい教えに救われた者です。あれから家族力を合わせて介護と子育てを頑張っています。家の中は以前より穏やかになりました。
今回は、恥ずかしながら、夜の生活について。どうも私の考え方が極端らしくて、夫を傷つけたのではないかと。
私は今まで、男性というものは性行はやれればいいものであって、そこに人間としての愛情は存在しないと思っていました。食事と同じだと。ですから、夫にこう言いました。「私を抱くとき、いちいち私の体調を気にしなくてもいいですよ。やりたい時にやれば。ただ、私は風俗嬢ではないので、性的サービスはできないし、満足のいく反応はないかもしれない。それはタダでやれる女の限界だと思ってほしい。それでもたまには若いキレイな女とやりたいよね。いつも同じおにぎりじゃあつまんない。たまにはビフテキ食いたいのと一緒で。その時はお金出してプロの女性に相手をしてもらって下さい。素人の女性はダメだよ。相手の人生壊しちゃうから。」夫はしばらく考え込んだ後、「10年以上一緒に居て、俺の子供3人産んで、俺との性行をそういう風に思っていたんだ。じゃあ、俺が君を抱くのはタダでやれるからだと思っていたの?」と言うので、「男性ってそういうものじゃないの?」と逆に問うと、黙ってしまいました。
あまりに見も蓋もない言い方過ぎましたか?
私は男性の愛と性行は完全に切り離されていて、妻や子供への愛と性行は別だと思っていたのですが。夫は私を愛してくれていますが、こと性行に関してはタダでやれて手軽だからだろうとずっと思っていたのですが、違うのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
性的興奮だけでなく、安心や温もり。
そぅ。。。そんな風に、夫に伝えたのですねぇ。。。そりゃ、黙ってしまわれて当然かなと思います。
男性も女性も、妻や恋人とのセックスに求めるのは、性的興奮だけでなく、安心や温もりなんじゃないでしょうか。甘い言葉をかけたり、肌を撫でたりして、大事な存在を確認し合う。
相手の性的欲求を満たす目的だけで、あなたは身体を投げ出してきたのでしょうか。
夫とのセックスは、そんな機械的に思えましたか? あなたの中に、別の想いがあるんじゃないですか? たとえ、そんな風にセックスを感じていても、ここまでハッキリとは言わないでしょ?これでは言われた方は、ドン引きしてしまいます。
夫に対して、そこまで言ったのには、何か他に理由があるからではないですか?
追伸。。。
あなたも、傷ついていたのですね。心からの愛で肉体を求めら 愛し合う喜びを、本当に知っている人は、どのくらいいるのかしらねぇ。。。
好きだから抱けるのですよ。
あつこさん、こんにちは。
性愛について、あつこさんの人生の中で考えてきたことですね。男は本能である排出欲があるので、あつこさんの考えもあることにはありますが、かといって、男全員がそれだけでセックスを求めているわけではありません。AVだけで学ぶ(笑)と男はみんなきれいな女性だから抱きたいと思うかも知れませんが、愛しているからこそ抱けるセックスもあるのです。
だからよく巷でいう「男は浮気するもの」という、ひとくくりは嘘です。浮気せず妻だけで満足する男性もたくさんいます。相手が綺麗でも愛してないから抱きたくない感情って持っている男性は多いですよ。妻だから抱きたいという思いを持つ男性は多いのです。
そんな男性は愛情があってもセックスレスになる場合も多いです。心と体の愛は別物で分けることもできますが、表裏一体である場合もあります。一番の理想のセックスは心身共に満足することですが、それも一朝一夕でできるものではないので、夫婦がお互いに労わりあい築きあげていくものの一つです。でも、それがなかなかできないのが現実ですね(笑)。
だから、あなたの夫は愛しているから抱いていたのに、妻との子供が欲しいから、愛し合ったのに、あなたにそれを否定されて悲しい思いをされたと思います。あなたは、性欲を否定したいのではなく、夫の妻への愛を否定したのです。
自分でなぜそんな考えを持っているのかを自分で分析されているので、人それぞれ良いと思います。メンタルが影響するセックスに好き嫌いがあるのが普通だからです。だから同じように夫のセックスの愛を否定するのはいけないと思います。お互い肉体も触れ合うことを誓った夫婦なので、あなたがセックスに違和感があれば、セックスをどうするかは話し合って決めていけば本当は良かったのです。今回の言葉は文章を見る限り喧嘩腰なのでセックス以前の夫婦の関係性の問題だと思います。
合掌
ただのセックス、愛のセックス、マツリのセックス
日本の仏教者は、セックスについて意見を言うだけで、指弾されるような状況もあります。
ですが、あえて私のセックス観をお答えさせて頂きます。
僧侶というよりも、あくまで、一人の人間が考えるセックス観ですので、ご了解ください。
また、文字制限があるので、多くはかけないので、誤解を招く表現があるかもしれません。
ある社会学者さんの定義を用いながら、お話しさせて頂きますと、セックスには3種類。
1、ただのセックス
2、愛のセックス
3、マツリのセックス
に分けられます。
キーワードは「濃密」です。それぞれを説明しますと、
1、「ただのセックス」には、濃密さはありません。
マスターベーション的なセックス、(気持ち的に)相手のいないセックス、自分が気持ちよくなるだけのセックスということになります。
相談者の方のイメージは、これに近いかもしれませんね。
2、「愛のセックス」で重要なのは「濃密さ」です。お互いの内面をさらけ出すセックス、過去の色々なことをお互いに知っていたとしても乗り越えれるセックスです。それには、お互いを思い合うために「愛」が必要なものです。深い承認を得ることや共同身体性をシェアするようなイメージです。
3、「マツリのセックス」は、「愛のセックス」に対して提示されているものです。「愛が無くても、濃密なセックスはできる」という意見です。
例えば、相手に愛情がなくても、40歳で童貞だった人が初めてするセックスは、彼にとって「濃密」な体験になります。
他にも、モデルのように容姿が良い人とはそういう体験ができなかった人とっては、容姿が良い人とのセックスには、愛が無くても「濃密」な体験になるでしょう。
と、一概に「セックス」といっても、それぞれに求めるもの、それによって得られる体験は違います。
スッキリしたい人(1)、愛をもって深い承認を得たい人(2)、濃密な体験を求める人(3)などなど。。。
なぜ、「濃密さ」が必要であるか?ということについては、何かの機会にご質問いただければお答えいたしますが、
ご理解頂きたいのは、
「男性の愛と性行は完全に切り離されていて、妻や女性への愛とは別」ということは、言い切れない、ということです。
長文失礼いたしました。
いちがいには言えませんが。
「セックスは性欲を処理するだけのモノ」とは考えない男性もいます。少なくともわたしはそうです。きっと、あつこさんのパートナさんも、そうなのだと思います。
『恋人たちの予感』という映画で、主人公の女性が主人公の男性に「女性のオーガズムは演技だ」と断言し、男性から「違う」と言われ、白昼のカフェで「実演」するシーンがありました。まだ10代だったわたしには強烈でした。「そうなのか。もしすることがあればだまされないようにしよう。」
あの場面の前提は、「男性の努力もあって女性はオーガズムに達するはず」という男性の思いでした。映画を見る男性の多くがそれに共感するはずというところからあの映画は作られていると思います。わたしも共感しています。わたしとしても、自分の快楽だけのためにやってるんではないです。それならば、一人でやればすむことです。(映画の主題がそこにあったわけではないことも申し添えます。)
性にまつわるいろいろについて、自分の経験を前提に、あまり赤裸々に書いたり言ったりするのは気が引けます。単純に恥ずかしい。なのでこれ以上のことはわたしも書かずにおきます。ただ、いろんな人がいて、いろんな嗜好があるので、自分のためだけにしている人も、恐らくいるのだろうなとは思っています。
男性の性意識について、自分を棚上げにしない立場から書かれた、古今東西でほぼ唯一と言ってよい、研究書というか、何と言うかがあります。いちおうご紹介いたします。
森岡正博『感じない男』
(ちくま新書 2005年 ちくま文庫 2013年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4480430571
著者は大学の教授で、自分を棚上げにしない立場から書かれています。読んで衝撃を受けました。自分自身の「性」意識を問い直す手がかりにもなりました。
著者はいろんなことを考えてこの本を世に問うたのですが、自分の周囲の人が、この本以降、自分を見るときに変なバイアスがかかるという、ある意味では当然のことだと思うのですが、それを考慮していなかったのがちょっとまずかった、みたいなことを文庫の後書きにたしか書いておられました。びっくりしました。まずはそこだろと思いました。
変わった本ですが、男性の性意識について、今とはちがう視点を得るための手段の一つとしては、大変におすすめの本だと思います。
質問者からのお礼
答えにくい問題に答えていただき、ありがとうございます。
私がこのような考えに至ったのは、父親の影響が大きいと思います。母を妊娠させた後、愛人と駆け落ちした父が、連れ戻された後、何故母との間にさらに私を作ったのか。「そこにタダでやれる穴があるから。」だと私は判断しています。男性の性行は性欲処理だと思っています。そこが女性と違うのです。女性の性行は「愛する人の子を育む」為の愛情表現からきています。実際に産むかどうかは別にして、受け入れる事で愛情を表します。だから、一般の女性は軽い気持ちで体は開きません。
女性が不倫した時、夫は妻をなじりますが、それは妻が他の男を本気で愛したと思っているからでしょう。男性が不倫したとき妻が不倫相手を憎むのは、他の女性が夫を愛し、横取りしているのが許せないからでしょう。
父が癌で入院中だった時、「お父さんが駆け落ちした時、お母さんは、どうしてお腹の子供を堕ろして離婚してくれなかったのかしら。そうすれば、私や姉は生まれないですんだのに。性欲の成れの果てとして生まれた私達は、いい迷惑だ。」と話した事がありました。図星を突かれたせいなのか、父は何も言いませんでした。
私や、私の友人達は、性行に快楽など感じた事はありません。女性をモノ扱いしたアダルト動画や雑誌を教科書にして展開される、独りよがりで乱暴な行為。苦痛で仕方ないけれど、愛があるから受け入れるけど、乱暴で下手くそ。愛がなかったら、拳で殴りたくなる。「この下手くそ‼」って。でも、愛しているから、相手の自尊心を傷つけないよう、必死で演技しています。相手は自分の快楽で頭一杯ですから、まず気付かれません。夫が自分の快楽に溺れているとき、私は演技しながら「はよ終われ。」と思っています。自分の性欲は自分で処理します。
その方が安全で確実です。
巷にはセックスレスな夫婦が多いと聞きますが、当たり前だと思います。子供が生まれたら、やりたくないでしょう。あんなこと。
私が夫と性行するのは、100%夫の為です。しかし、年齢のこともあり、女優ばりの演技はもう無理です。友人達も「タダでやれる穴があるだけマシだと思ってほしい。」と言っています。性欲処理なら、それで充分だと。つまらなかったらプロに頼めばいいし。
男性は、多分否定するでしょうね。性行に愛はあると。それぐらいのファンタジーを女性に与えるのは、男性の、ある意味優しさなのかも知れませんね。