先祖供養、霊の存在について
私は仏教徒の家庭に生まれ仏教系大学を卒業し、いまは洗礼を受けたクリスチャンの身ですが、昔わからなかったことが、いま仏教から学びつつあります。
このサイトからも相談を通して自分自身と人生の道筋を見つけつつあります。
そこで質問ですが、クリスチャンの私がお坊様に質問やお話をいただくのは、罰当たりでしょうか?お寺に入るのはダメですか?
よく宗派、信仰が違うと異教徒扱いをしたり、罰当たりみたいなことをいう新興宗教もあるので。
私は過去、金縛りにあったり不思議な体験をしたこともあります。霊の存在、自分の周りにどんな霊がいるのか、悪い霊にあってしまった場合、どうすればわかるのか
先祖供養などで、子孫に災いなどが起こるのか教えてください。お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
目は何でも見える 耳は何でも聞こえる これを宗という
神さまや仏さんというのはそんなチンケな器の小さい存在ではあってはいけません。
私の親友はクリスチャンもいます。
自由な交流をしています。
このサイトにもお友達がいます。
宗教が違うからと言って付き合ってはいけないなどというようなバカバカしい教えは無視して大いに人間は交流を深めるべきです。
そもそも人間はそばだってうどんだってラーメン食べたって何も問題はないでしょう。
コーラ飲もうが、サイダー飲もうが、お茶飲もうがなんてことはありません。
宗派が違うからと言って他を敵対視する宗教に所属している彼らの宗教心は宗教心とは言わず、敵対心なのです。
過激思想団体と言っていいでしょう。
他の宗教を認めない宗教団体はカルトが多いから入ってはいけません。
過激な宗教は神さまや仏さますらも「本当はこうだったんだ」と自分たちの都合のいいように塗り替えたり、キャラを変えたりします。
そういう神様やらは結局正体が「人間」なのです。
なぜならアヤシイ新興宗教の大半は、教祖や教団幹部によって脚色された神、都合のイイ神様、人間サマですから、アヤシイ宗教に入信してしまった彼らは最初から絶対にあたりが入っていない宝くじを買わされているようなものです。
霊という事をあなたは誤解されているようですが、霊とは私たちの中の無き人たちに対する想いの事です。
内側から沸き起こる他存在への思いを霊魂と言っているだけです。
あらゆる宗教の中で仏教はもっとも理知的なものです。
仏教は仏教でもそこに所属する人間はピンからキリまでいます。
教えも解釈によってバラバラです。
あなたがこの人はマトモだなと思える人を師とするのです。
仏教なら何でも大丈夫妥当と思って学びに入ったその先がフランス語(仏語)勉強講座だったらお笑いです。こちら側も相手を見極める必要があるのです。
空想や想定、根拠のないものは、ちゃんと理知的な説明をしてくれる人のもとで教えを教わることが良いでしょう。経典に書いてあるからとか言って、方便の為の教えも全て現実だと思ったり、思わせている人は空想の世界に導く人ですから、話を聞くにしても注意が必要です。
クリスチャンでも大丈夫
クリスチャンでも仏教のテクニックは利用できますし、大歓迎です。
どうぞお寺にお参りください。
まぁたしかに、仏教でも一部の宗派で、異教異宗に厳しい祖師もおられましたが、現在では、伝統宗派でそこまで厳しいことはいわないでしょう。
霊の存在は、確かめるのは難しいです。
また、便宜上は「霊」と言ってますが、それらは、餓鬼や天などの生き物だと思います。
私たちと次元が違うので目に見えないのかもしれません。
先祖は、とっくに別の生き物に生まれ変わっています。
わざわざ過去世でつくった子供の子孫に危害を加えるほど、暇じゃないでしょう。
確かめようのないことは、考えなくてよいのです。